2019年11月23日土曜日

りんご

りんごを机に置いておくと、いい匂いがする。

一生懸命、頭を働かせると、とてもお腹が空く。
それだけでなく、エネルギー補給を怠ると夕方ごろに"電池が切れる"。
そんなことを発見して以来、研究しながら何かをつまむようにしている。

初めは、お菓子だった。
特に理由もなく、思いついたもの、周りが食べていたものがお菓子だった。
食べ過ぎると、ニキビが大量にできたり、なんとも体調が芳しくなかった。
それでいて、何も食べないと電池が切れてしまう。
難しい。

そんな中、たどり着いたのが果物や、野菜、豆腐だった。
これがとても良い。

夏は、冷蔵庫にきゅうりや豆腐を忍ばせている。
トトロで、きゅうりを丸かじりで美味しそうに食べている様子を幼少期にみて以来、何もつけず、丸かじりで美味しいと思える便利な味覚を持っている。
プリンをたべるような感覚で、豆腐も何もつけずに食べている。

冬。この季節はりんごや、みかん、保存もしやすく食べやすい果物が多い。
その上、机に並べておくと、自然に色にあふれて、楽しい。
りんごは、とても良い匂いがする。
むかし、アメリカにいた際の、僕の部屋の窓辺の写真でもどうぞ。



2019年11月9日土曜日

おみせ

近所のご飯屋さんが9月いっぱいで閉店していた。
そこで食べたり、持って帰ったりできるお店。
ぼくの生まれるずっと前から、続いていたらしい。

そっか、そうだよね。
と思った。

お疲れ様でした。
と思った。


2019年11月2日土曜日

きず

高校の時、音楽の先生が話していた。
生まれながらに、指が4本しかなかった子供のことを。

初めは、親に言われたこともあり、ずっと手袋をしていた。
「どうしていつも手袋をしているの?」
黙り込むことしかできなかった。
どうしても塞ぎ込みがちだった。
自分は、指が一本「欠けている」。
指がない、自分は欠陥のある人間だ。

きっかけを話してくれたかもしれないけど忘れてしまった。
ある日、手袋を、脱ぎ捨てた。
そして、聞かれるたびに説明した。
足が速い人、頭がいい人、背が高い人がいる。
それと同じように、指が4本の人も、いるんだ。
自分がひた隠しにしていた、ちょっと足りない手は
周りの人からすると、気にすることでもなかったみたい。
むしろ、だんだん可愛く見えてきた。

こんな話。
今思うと、創作かなとも思う。どっちでもいい。
僕は、擦り傷ばかりしていた子供の頃を思い出していた。
ガーゼや絆創膏で覆っていると、擦り傷はなかなか治らず、
消毒だけして、そのままでいた方がずっと治りが早かったな。
確かに、まだ血が止まっていない段階では絆創膏などで覆うことは大事。
ちゃんと守ってあげないと、痛いし、色々なところをよごしてしまう。
でも、どこかで絆創膏を取り払い、
自然に晒さないと膿んでしまう。

どこまで守り、どこで"自然"に晒すか。
難しいけれど、ずっと考えていないといけない気がする。
人と人との関わりも、そう。
一応、教育をする立場。
どこまで守り、どこで"自然"に晒すか。
優しく、褒めているのは楽だ。好かれるし。
でも、それだけだと、たどり着けない場所があると思っている。
本当に相手のことを思ったら、守ってあげてばかりじゃダメなんじゃないか。
それでいて、厳しさばかりだと、萎縮して成長が阻害されることも。
多分正しいと思っていることがひとつ。
基準がはっきりしている必要がある。
いつ、褒められ、いつ、厳しくされるか。
そうはいっても、人はどんどん成長するから、絶対的な基準はない。
うーん、わからないけど、考え甲斐があるなと思っている。
うーん。そうやって、考えて考えて。
一緒に成長するのが教育かもなと思っている。

うーん。





2019年10月27日日曜日

中国

中国に行ってきた。
噂には聞いていたのだけれど
本当にGoogle 関連(youtube 等も)SNSは全く使えなかった。
ちょっと冗談かなとも思ったんだけど、本当だった。

そうだよな。なくても別に社会は成り立つよな。

自己主張の国だ。
横断歩道を渡るのが難しかった。
切れ目なく車が往来する。
車線すら、結構無視されている。
右側通行で、信号が赤でも右折はOK。
つまり、歩行者の信号が青でも車はひっきりなしに通る。

初めは、誰かについて行くことしかできなかった。
みんなどうやっているのだろうと観察していた。

だんだん、ちゃんと意思疎通をしていることが見えてきた。
横断歩道を渡るとき、

あのー、渡らせてもらえませんか、いや、えっと・・・

そんな空気を出していたら、いつまでたっても渡れない。
車と人だし、言葉は交わせない。僕は、言葉は話せない。
でも、空気は伝わる。わかってきた。

よし、僕はこれから横断歩道わたるからな!止まれよ!
しゃーねーなぁ。

こんな"会話"をすれば、横断歩道は逆にいつでも渡れた。
互いに強い主張をしても、成り立つのは
互いに主張を受け入れられるからなのかもしれない。
意外と面白い。
僕は強気の会話でないと伝わらない気がしていたけど

わしゃー、これからここ通るでよ。轢かないでおくれよ。

とおじいさんが、横断していた。ちゃんと通じていた。
ただ間違いなく、おじいさんも主張をしていた。

日本はマナーが良いと言われる。
言わなくても伝わる。
それはとても素晴らしいことだと思う。
でも、そのせいで
言っても伝わらないことや
言われたことを受け入れられないことも
案外多いのではないかなと
そんなことを思った。

2019年10月19日土曜日

elegant と arrogant

英語を聞いていて、
あれ?エレガントと言った?ここで?
と思うことが何度かありました。

よくよく聞くと elegant ではなく arrogant でした。
エレガントの意味はまあ、わかるけれど
arrogant は傲慢な、とか横柄な、と言う意味。
LとかRとか、たぶんわかる人にはわかるのだろうけど
発音がよく似ており難しい。

I was elegant と聞こえて、ん?となり、正しくは
I was arrogant だったりしました。
I was elegant とは、なんと arrogant なんでしょう。

しかしこんなにも発音が似ていると考えてしまう。
elegant であることは、もしかして arrogant であることに近いのではないか。
もしくは arrogant の先にelegant があるのではないか。

英語が生まれた時、すでに人は
こんなことをわかっていたのか!すごい!深い!

なーんて思ったりするのだけれど、最近、こういった
気づき、とか、ちょっとした思考が「すごい」とか「深い」とか
そう思うのは気のせいかもしれないなと感じはじめている。

深い、とか。簡単に言い過ぎではないかと。
そこはもしかしたら、浅瀬ではないかと。
便利な褒め言葉として、深い、が使われてはいやしないかと。

数学を思い出してみる。僕はいまだに数学の深さ、とか、美しさとかが分からない。
分からない、と言うと言い過ぎかもしれないけど、納得はしていない。
何度か多少深くに進んだ記憶はあるのだけれど、その時でさえ
この深さは「普通」で、その先にきっといける人は
いくのだろうなという感覚が残っていた。
それには、今いる場所を深いとか、言っていられない、そんな気持ち。

深い!すごい!などと思った時、問いかけたい。
そこは、ゴールなのかい?

2019年10月12日土曜日

じあまり

台風で みんなやすみで なんかいい
多くの人が やすめますように

じあまり。

いつもより、静かで、平和だ。楽しい。
そんなことを言うと怒られるのだろうか。
まあまあ、良いではないか。
こんなに東京で自然を感じられる機会もないのだから。

ぜんぶ受け入れて、楽しく生きるのさ。

2019年10月5日土曜日

現代数学レクチャーシリーズ

日曜の午後をまるまる使って数学の講演を聞くという大層な企画に、無料とはいえ本当にたくさんの人が集まってくれました。きっと企画をしてくれた、すうがくぶんかさんのお力が存分に発揮されたと思っています(すごい!ありがとうございます)。

早々に講演を終えた僕は他の人の話を聴きながら
やっぱり数学っていいな
と、ずっと思っていました。
数学の良さをもっと知ってもらいたいなと思うようになりました。

そういえば、1年ほど前に「数学小噺」とタイトルをつけて講演をした際に、数学の"おきどころ"を「笑い」と同じような場所にしたいと思っていた。

数学者は「数学にできるもの」を日々探している。芸人さんが日常に笑いを探すように。笑いのある日々と同じくらい、数学のある日常も、きっとよいもの。簡単な数学から大学レベルの数学まで、言われないと気づかないけれど、確かにそこにある数学を紹介していきます。

こんな謳い文句で講演をした。小さなところに笑いをみつけてにっこりするように、小さなところに数学をみつけて、にっこりできたら、なんでもない日々が楽しくなるだろうと思っている。

みんなは気づいていないけど、気をつけてみれば、ちゃんと見つかるんだよ。

そんな話をしたら、女の子が
え、妖精さんみたい!
と言っていた。

そうそう、そんな感じ。そんな感じ。こんな純粋な形で伝えられたらいいな。おっさんには難しいかな。今回の講演を少しずつ育てていけたらと、思っています(なので、呼んでください笑)。ありがとうございました。