東京よ
雪ふる音も
掻き消して
昔、「東京駅で雪」というお題で俳句を作るという企画をみて勝手に作った俳句
気に入ってはいますが、深みはたぶんありません。
日本語は科学的な議論に向かない
という意見がちらほら。
でも、どこかで読んだ「俳句、短歌」という文化と
数学の相性の良さはここで繰り返し主張してもいいかなと思います。
数学では、いろいろな情報を"捨てて"最後に残った大事なところをみる、
という考え方が大事です(少なくともぼくは好きです)。
これが、俳句や短歌の文字制限のもと、情景を記述する、
という日本で昔から行われている遊びととても相性が良いと言われています。
前にも書きましたが、ぼくは"密度"の濃い表現が好きで
その意味でも、数学と、俳句や短歌は似ています。
「ひとこと」にどれだけの意味、気持ちがこもっているか。
文章や、お芝居や、様々な物語もきっと同じ。
ひとことを、
「一手」に変えれば囲碁に。
「一瞬」に変えればスポーツに。
気づかなければ、見逃してしまうほどの「そこ」にどれだけの"密度"をこめられるか。
まだまだ"絶対量"が足らなくて、そういう数学が書けないのが悔しいですが
目標はこんな感じです。
2018年1月27日土曜日
2018年1月20日土曜日
あっちそっちこっち
少し前に、なんだかとても良い講演をきけたおはなし。
気にはなっているけれど、
よくわからないと思っている分野は
結構いろいろあります。
そのうちの二つ、全然関係ないと思っていた二つが
実はつながっております、という講演。
数学をやると''絵''が見えます、そんな話をなんどかしましたが、
実は、絵が見えるためにはその分野において
ある程度経験が必要です。
(少なくともぼくの場合)
定義を見ても、その分野の人が何を、見ているのか
なかなか見えないことも多々あります。
直接聞いてみても、こっちの言葉とあっちの言葉の違いもあって
なかなかうまくわからない。
先日の講演では、あっちと、そっちの、言葉が、
ぼくが最近、こっちに、あることに気づいた言葉で説明されて
ずいぶんわかった気分になれたのです。
細かいところをきちんとわかったわけではありませんが、
ずいぶんと良い気分になれる講演でした。
語り口もなんだか素敵で、心地よかった。
ぼくは気ままに、やりたい研究をやる人になりたい。
そのために、知らない分野もどんどん学びたい。
そんなとき、''気分''がわかっていると見えかたがぜんぜん違う。
良い講演をきけました。
ぼくもあんな講演ができるように、なりたい。
気にはなっているけれど、
よくわからないと思っている分野は
結構いろいろあります。
そのうちの二つ、全然関係ないと思っていた二つが
実はつながっております、という講演。
数学をやると''絵''が見えます、そんな話をなんどかしましたが、
実は、絵が見えるためにはその分野において
ある程度経験が必要です。
(少なくともぼくの場合)
定義を見ても、その分野の人が何を、見ているのか
なかなか見えないことも多々あります。
直接聞いてみても、こっちの言葉とあっちの言葉の違いもあって
なかなかうまくわからない。
先日の講演では、あっちと、そっちの、言葉が、
ぼくが最近、こっちに、あることに気づいた言葉で説明されて
ずいぶんわかった気分になれたのです。
細かいところをきちんとわかったわけではありませんが、
ずいぶんと良い気分になれる講演でした。
語り口もなんだか素敵で、心地よかった。
ぼくは気ままに、やりたい研究をやる人になりたい。
そのために、知らない分野もどんどん学びたい。
そんなとき、''気分''がわかっていると見えかたがぜんぜん違う。
良い講演をきけました。
ぼくもあんな講演ができるように、なりたい。
2018年1月13日土曜日
考えるということを考える
今日は「集中」すると言うことについて。
20代前半のときは自分でもよく「集中」出来ていたなと思うのですが
その「集中」はよく聞くそれとは、少し違う、気がするというおはなし。
気がついたら朝だった。
そんな"集中"をよく聞きます。
しかしぼくは、もちろん通常よりは頭は動いているが
上手く集中できて"いない"ときに
あっという間に時がたったと感じると思っています。
単純作業、計算、プログラミング。
頭は動いているような、止まっているような。
単純作業、計算、プログラミング。
頭は動いているような、止まっているような。
考えてみると、そんな"集中"は
「時間」に「感覚」が置いて行かれている。
ぼくが、「集中」できたと思うとき、
1時間や、30分といった、短い時間に
ものすごい沢山のことが「わかる」。
いつもなら数時間、もしかしたら月単位で得たであろう感覚を
"一瞬で"得る。
時間に対して,自分が非常に"速く"動く。
これは何なのだろうと思い、考えて、ふとこれは
スポーツでよく聞く「ゾーン」に近いのかもしれないと思う。
この「集中」を目指したい。
スポーツで、時間に対して自分が置いて行かれてはいけない。
きっと、「考える」でもおなじ。
きっと、「考える」でもおなじ。
「集中」すると言うことを「潜る」と表現する人がいる。
「3月のライオン」とか。
数学者でもそのような記事を書いているひとが。
数学者でもそのような記事を書いているひとが。
なるほど、と思う。
潜ったときは時間がゆっくり流れる。
1分がとても長く感じる。
1分にいろいろなことを感じる。
感覚が冴える。
そして、とても心地よい。
思い返すと、
周りの音がいつもよりよく聞こえ
雑音に「弱く」、静寂を欲する。
そんなときに、よく「集中」していた。
いろいろ冴えちまう、そんな感じ。
そんなときに、よく「集中」していた。
いろいろ冴えちまう、そんな感じ。
「気づいたら朝」の集中は「何も聞こえなく」なり
きっと、少し、違うもの。
その「潜る」時間、「ゾーンに入る」時間の量が研究者として
大事なんだろうと思っていたし、今でも思っている。
実は,20代半ばを過ぎた頃から数年、ほとんど「そこ」には行けなくなった。
今は、たまに、です。
その辺の話は、また今度。
2018年1月6日土曜日
新年
初詣。
良いことも、悪いことも、どうぞそのままでお持ちください。
最近は、毎年そう願っている。
相変わらず良いことがあると調子にのるし、
失敗からは学びそこなってばかりだけれど。
そのままの、てざわりある日々を集めて、受け取って
良い一年と言いたい。
2017年は、「自分で動くと面白い」ということを
この歳になって再確認した。
今年は、もっともっとやっていこうと思います。
元日、向かいの家のおばあちゃんから
「まさいのお兄さん、電気がぜんぶ消えてしまった」
と呼び出される。
ブレーカーをいじったら、ちゃんと点いた。
うん、何をすれば良いのか、よくはわからないけど、
今年は良いことをしよう、と思いました。
2018年、はじまりました。
やってやりましょう!なにかを(あやふや)
良いことも、悪いことも、どうぞそのままでお持ちください。
最近は、毎年そう願っている。
相変わらず良いことがあると調子にのるし、
失敗からは学びそこなってばかりだけれど。
そのままの、てざわりある日々を集めて、受け取って
良い一年と言いたい。
2017年は、「自分で動くと面白い」ということを
この歳になって再確認した。
今年は、もっともっとやっていこうと思います。
元日、向かいの家のおばあちゃんから
「まさいのお兄さん、電気がぜんぶ消えてしまった」
と呼び出される。
ブレーカーをいじったら、ちゃんと点いた。
うん、何をすれば良いのか、よくはわからないけど、
今年は良いことをしよう、と思いました。
2018年、はじまりました。
やってやりましょう!なにかを(あやふや)
2017年12月16日土曜日
ケチャップ
ぼくは最初の論文を書くのが遅い人でした。
簡単に言うと、工学から純粋数学へ移るという、
なかなかどうして頭のおかしいことをやったのが
理由です。
でも、ぼくはかなり「準備をして」数学の世界へ飛び込みました。
大学院に入りたての段階で、
基礎知識は博士課程に進むつもりで研究してる友達と比べても
それほど劣るものではなかったかと思います。
でも、今となってみると「数学のやり方」をわかっていなかった。
とくに、大学4年間を数学科で過ごすと''自然''に身につく感覚のようなものがどうやらあるようです。
準備がそれなりにできていて、セミナーなどを順調にこなしたぼくがいざ、
研究の段階に入ると、急に何もできなくなりました。
何かが足りない。
師匠が気づいたのは大学院の4年目(標準は5年)のはじめくらいでした。
共同研究者や周りの人にそれを''補って''もらいながら、
それが何か、わからないままに博士号をもらいました。
きっかけ一つで、論文なんていくらでも書けるようになる
拠り所にしていたアドバイス。
博士号を取った後、どこかで教えるまえに、
ぼくはその何か、きっかけを掴む必要がある。
そう思い、一人で研究をするように心がけていました。
苦労して、失敗して、少しだけその「何か」がつかめた感じがした。
それは、数学がひとりでに動きだしたときでした。
ぼくが間違えても、数学はそれを教えてくれて、正しい方向まで示してくれる、そんな経験。
いま、ケチャップがドバッとでています。
まとまりつつあるものから、まだまだこれからなものまで。
こりゃ、大変だな。
そんな気分です。
簡単に言うと、工学から純粋数学へ移るという、
なかなかどうして頭のおかしいことをやったのが
理由です。
でも、ぼくはかなり「準備をして」数学の世界へ飛び込みました。
大学院に入りたての段階で、
基礎知識は博士課程に進むつもりで研究してる友達と比べても
それほど劣るものではなかったかと思います。
でも、今となってみると「数学のやり方」をわかっていなかった。
とくに、大学4年間を数学科で過ごすと''自然''に身につく感覚のようなものがどうやらあるようです。
準備がそれなりにできていて、セミナーなどを順調にこなしたぼくがいざ、
研究の段階に入ると、急に何もできなくなりました。
何かが足りない。
師匠が気づいたのは大学院の4年目(標準は5年)のはじめくらいでした。
共同研究者や周りの人にそれを''補って''もらいながら、
それが何か、わからないままに博士号をもらいました。
きっかけ一つで、論文なんていくらでも書けるようになる
拠り所にしていたアドバイス。
博士号を取った後、どこかで教えるまえに、
ぼくはその何か、きっかけを掴む必要がある。
そう思い、一人で研究をするように心がけていました。
苦労して、失敗して、少しだけその「何か」がつかめた感じがした。
それは、数学がひとりでに動きだしたときでした。
ぼくが間違えても、数学はそれを教えてくれて、正しい方向まで示してくれる、そんな経験。
いま、ケチャップがドバッとでています。
まとまりつつあるものから、まだまだこれからなものまで。
こりゃ、大変だな。
そんな気分です。
2017年12月9日土曜日
数学と工学4
工学部ではよく聞く「役に立つ」ということば。
この研究はこんな風に「役に立つ」
制御理論はたとえば飛行機を安全に飛ばすのに
線形代数はたとえば画像、映像を編集するのに
整数論はたとえば通信の安全性に、正確さに
グラフ理論はたとえばアルゴリズムを作るのに
プログラミングができれば、たくさんのものを作るのに
役に立つ。
役に立つって、なんだ?
きっと考えないほうが良いことを、考え始めてしまったのです。
そのとき、ぼくが手に持っていたのは携帯電話でした。
世の中にあふれている、工学部で考える「役に立つ」ものの代表格。
確かに、便利。
いつでもどこでも、話せる、メッセージを送れる。
でも、だから、いつでもどこでも、電話がかかってきて、メッセージがやってくる。
これを嫌がっている人は結構いる、とくに数学をやっている人では
ぼくは、それに加えてなんというか、距離感、が苦手だった。
ひとと、ひととが仲良くなるのを妨げているような、そんな感じ。
携帯電話がない時代の、待ち合わせってすごいなといつも思う。
ともすると、現代では奇跡みたいな扱いを受けることを
日常的にやっていたんだろうなと
まぁ、適当に現地で!
それができるのは本当に便利だし、すごいと思うけどその分
当時必要だった信頼関係とか、暗黙のルールとか
ちょっと素敵なものが"必要なく"なってしまっていると思っていた。
さらに、インターネットでたくさんのものに触れられるようになり
どんどん、どんどん情報過多に。
広く薄く、広く薄く。
そんな感覚にどうにもうまく付き合えない。
そんなとき、数学に出会い、その
深さに、静けさに、確かさに
あぁ、なくなりそうなものを、とても大事にしている世界があると思いました。
たくさんの家電ができて、いろいろな作業が"楽に"なった。
けれど、大変だったからこそ、よく見えた"工夫"があったはず。
世の中がどんどん"便利に"なっていくなか、
知らず知らずのうちに失ってしまいそうなものが
ここにはあるなと思ったのです。
ぼくの高校では、1年生の時に「校長先生の授業」があった。
ものすごく人気のあった校長先生がやめた、そのあと1年目の校長先生。
とんでもない気合いで、本当の意味の
「豊かさ」とは何か
そんなテーマで授業をしていた。
間違いなく、本気の、授業だった。
まだガラケーを使っているぼく。
「遅れてる」と言われることもある。
でも、ぼくは"そっち"が本当に前なのかわからなかった。
当時の悩みを思い出しつつ書いて、まとまりがなくなっていますが
その後、数学を選んだことは、
ぼくにとっては
正解だったと思っています。
当時は知りませんでしたが、数学は本当に自由な学問で
そしてぼくはとても自由人でした。ぴったり。
とりあえず、数学と工学、おわりです。
この研究はこんな風に「役に立つ」
制御理論はたとえば飛行機を安全に飛ばすのに
線形代数はたとえば画像、映像を編集するのに
整数論はたとえば通信の安全性に、正確さに
グラフ理論はたとえばアルゴリズムを作るのに
プログラミングができれば、たくさんのものを作るのに
役に立つ。
役に立つって、なんだ?
きっと考えないほうが良いことを、考え始めてしまったのです。
そのとき、ぼくが手に持っていたのは携帯電話でした。
世の中にあふれている、工学部で考える「役に立つ」ものの代表格。
確かに、便利。
いつでもどこでも、話せる、メッセージを送れる。
でも、だから、いつでもどこでも、電話がかかってきて、メッセージがやってくる。
これを嫌がっている人は結構いる、とくに数学をやっている人では
ぼくは、それに加えてなんというか、距離感、が苦手だった。
ひとと、ひととが仲良くなるのを妨げているような、そんな感じ。
携帯電話がない時代の、待ち合わせってすごいなといつも思う。
ともすると、現代では奇跡みたいな扱いを受けることを
日常的にやっていたんだろうなと
まぁ、適当に現地で!
それができるのは本当に便利だし、すごいと思うけどその分
当時必要だった信頼関係とか、暗黙のルールとか
ちょっと素敵なものが"必要なく"なってしまっていると思っていた。
さらに、インターネットでたくさんのものに触れられるようになり
どんどん、どんどん情報過多に。
広く薄く、広く薄く。
そんな感覚にどうにもうまく付き合えない。
そんなとき、数学に出会い、その
深さに、静けさに、確かさに
あぁ、なくなりそうなものを、とても大事にしている世界があると思いました。
たくさんの家電ができて、いろいろな作業が"楽に"なった。
けれど、大変だったからこそ、よく見えた"工夫"があったはず。
世の中がどんどん"便利に"なっていくなか、
知らず知らずのうちに失ってしまいそうなものが
ここにはあるなと思ったのです。
ぼくの高校では、1年生の時に「校長先生の授業」があった。
ものすごく人気のあった校長先生がやめた、そのあと1年目の校長先生。
とんでもない気合いで、本当の意味の
「豊かさ」とは何か
そんなテーマで授業をしていた。
間違いなく、本気の、授業だった。
まだガラケーを使っているぼく。
「遅れてる」と言われることもある。
でも、ぼくは"そっち"が本当に前なのかわからなかった。
当時の悩みを思い出しつつ書いて、まとまりがなくなっていますが
その後、数学を選んだことは、
ぼくにとっては
正解だったと思っています。
当時は知りませんでしたが、数学は本当に自由な学問で
そしてぼくはとても自由人でした。ぴったり。
とりあえず、数学と工学、おわりです。
2017年12月2日土曜日
数学と工学3
続いています(数学と工学1、2)。
数学をやりつつも、サークルで演劇もしていました。
11月に先輩の卒業公演があり、それは夢中で準備しました。
その間、勉強はぼちぼち。
実は演劇も、数学と同じくらい面白いと感じていました。
高校のときにもスポーツ、囲碁、いろいろ面白いと思っていました。
そして、一つわかっていたのは、
「本気で」やらないと本当のところはわからないこと。
舞台を本気で作るのは楽しかった。
同時に、細かないろいろで、自分のセンスのなさも、感じてしまった。
(演劇経験は、今、数学の講演をするのに生きています)
卒業公演が終わった後、ぼくは数学に「本気」を出すことをした。
高校時代、囲碁をやっていて、ある棋士が言っていた言葉。
「本気で囲碁を勉強していたときは、人差し指の爪がのびなかった」
碁石を打つとき、人差し指の爪をなぞるように碁石を回すので、
削れて、爪が伸びなかったのだそう。
高校のとき、自分なりに、囲碁を一生懸命やっていた。
1日最低5時間くらいは碁石にさわっていたはず。
でも、爪は普通にのびました。
のちに、爪が伸びないためには、
ご飯、トイレ、そういった最低限を除いた「すべて」
を捧げる必要があったと知りました。
そこ、を目指しました。
目指したものの、きっと理想の"半分"程度しか実現できませんでした。
それでも、人間は1ヶ月、そんな生活をすると
会話ができなくなるということを知りました。
実を言うと、今でもそうで、数学に頭を使い過ぎてからひとに会うと
うまく会話ができないことが多いです。
なので、ひとと会う前には少し、頭をやすめる時間をとるようにしています。
ちなみに、ですが、会話ができなくなったあと、
ぼくは少しの間、(めずらしく)テレビをたくさん見ました。
会話のプロが楽しく話すのをみて、
いろいろなコツを勉強しました。
なんだか、本当にいろいろなところに学ぶところがあって
それは面白い体験でした。
ぼくはそんなに話がうまいわけではないですが、オススメです。
(今はテレビを持っていませんが)
話は戻って数学。
工学から、数学に転向したい。
そういったとき、ほとんどの大人に反対されました。
当時のぼくにいまアドバイスするならば、
"爪が伸びないレベル"の努力を継続できれば大丈夫
そんなことを言ってくれるひとはいなかったので、
ネットの海の片隅に、書いておきたいなと思っていました。
ようやく書けました。
当時を思い出すと、現在のぼくはずいぶん努力不足。
でも、これを書いて「がんばる」の自分なりの意味を確認できてよかったです。
もう少し、当時考えていたことを書きたいと思っているので、続きます。
数学をやりつつも、サークルで演劇もしていました。
11月に先輩の卒業公演があり、それは夢中で準備しました。
その間、勉強はぼちぼち。
実は演劇も、数学と同じくらい面白いと感じていました。
高校のときにもスポーツ、囲碁、いろいろ面白いと思っていました。
そして、一つわかっていたのは、
「本気で」やらないと本当のところはわからないこと。
舞台を本気で作るのは楽しかった。
同時に、細かないろいろで、自分のセンスのなさも、感じてしまった。
(演劇経験は、今、数学の講演をするのに生きています)
卒業公演が終わった後、ぼくは数学に「本気」を出すことをした。
高校時代、囲碁をやっていて、ある棋士が言っていた言葉。
「本気で囲碁を勉強していたときは、人差し指の爪がのびなかった」
碁石を打つとき、人差し指の爪をなぞるように碁石を回すので、
削れて、爪が伸びなかったのだそう。
高校のとき、自分なりに、囲碁を一生懸命やっていた。
1日最低5時間くらいは碁石にさわっていたはず。
でも、爪は普通にのびました。
のちに、爪が伸びないためには、
ご飯、トイレ、そういった最低限を除いた「すべて」
を捧げる必要があったと知りました。
そこ、を目指しました。
目指したものの、きっと理想の"半分"程度しか実現できませんでした。
それでも、人間は1ヶ月、そんな生活をすると
会話ができなくなるということを知りました。
実を言うと、今でもそうで、数学に頭を使い過ぎてからひとに会うと
うまく会話ができないことが多いです。
なので、ひとと会う前には少し、頭をやすめる時間をとるようにしています。
ちなみに、ですが、会話ができなくなったあと、
ぼくは少しの間、(めずらしく)テレビをたくさん見ました。
会話のプロが楽しく話すのをみて、
いろいろなコツを勉強しました。
なんだか、本当にいろいろなところに学ぶところがあって
それは面白い体験でした。
ぼくはそんなに話がうまいわけではないですが、オススメです。
(今はテレビを持っていませんが)
話は戻って数学。
工学から、数学に転向したい。
そういったとき、ほとんどの大人に反対されました。
当時のぼくにいまアドバイスするならば、
"爪が伸びないレベル"の努力を継続できれば大丈夫
そんなことを言ってくれるひとはいなかったので、
ネットの海の片隅に、書いておきたいなと思っていました。
ようやく書けました。
当時を思い出すと、現在のぼくはずいぶん努力不足。
でも、これを書いて「がんばる」の自分なりの意味を確認できてよかったです。
もう少し、当時考えていたことを書きたいと思っているので、続きます。
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