最近、隣の大学の先生と囲碁を定期的に打っています。
なんとなく、昭和な感じがして楽しいです。
いろいろ「昭和」な話も聞きました。
むかしは(むかしですよ!)、
昼休みによく教授が集まって囲碁を打っていたそうです。
つい熱くなってちょっぴり(ちょっぴりですよ!)
長めの昼休みになったりするのでだんだん消えてしまったそうです。
でも、話を聞くとそういう「自然と人が集まる場所」があったおかげで
いろいろな''雑務''がとてもスムースだったそう。
対局をみながら、あーそういえばあの件ですが・・・とか
あの先生に用事がある?たぶんあそこだよ!、とか
なるほど、と思うと同時に
当時を語る先生が楽しそうで、なんだか羨ましいなと思いました。
エルデシュ(世界で最も共著者が多い数学者だそう)は
プリンストン大学で囲碁ばかりやっていたそう。
そういえばメルボルン大学に留学した時は、
数学の談話室でベトナム人の友達と囲碁を打ちました。
(碁盤があったのです)
むかしも書きましたが、
可能性がたくさんありすぎて、正解はなかなか見えない囲碁。
どちらに進むかを決めるのに感覚がとても大事。
数学はさらに多くの可能性にあふれていて、
やっぱりどういう方向に進むか、その感覚が大事。
共通部分があることに気づいていた人がたくさんいたのでしょう。
ちなみに、「感覚」、どんなものかというと
囲碁のそれと、数学のそれが、にているなぁと
''なんとなく''感じる。そんな感じです。