1年生の数学では
"あたりまえ"
に見えることを、丁寧に丁寧に議論する。
そんなに丁寧にやらなくても
あたりまえ、でいいではないか!
気持ちはよくわかる。
あたりまえ、と感じられるのは
実は大事な才能だと思う。
正しさを感覚でつかんでいる。
ただ、とんでもない天才でない限り
あたりまえ、は通用しなくなる。
だんだん状況は繊細になり
感覚だけでは、正しさを捉えられなくなる。
だから、「技術」を身に着ける。
ボールを「なんとなく前の方に蹴る」のだったら
どんな蹴り方をしても、うまくいく。
でも、20M先にある空き缶に当てようとしたら
きちんとした"蹴り方"を知っている必要がある。
正しい蹴り方で、ボールを前の方に蹴る訓練をしている
どう蹴ったって前に飛ぶじゃんか。
気持ちはわかる。ただ、正しく蹴るのは結構難しい。
天才ならね。感覚的に蹴っても
空き缶に命中させられるかもしれない。
でも、ほとんどは"そうじゃない"から。
「技術」というのは天才の"才"を
凡人にも使えるように分析し説明したものだと思っている。
技術を身につければ、天才にしかできなかったようなことも
それなりに、できるようになる。
大学というのは、そういう技術を
身に着ける場所じゃないかと思う。
勉強しながら
「どうしてこんな事を思いつくんだろう」
そういえば、大学生のころ
時折思っていた。
ほとんどの人は天才ではないけれど
技術を身につけ、色々なことを学ぶうちに
たぶん気づくのではないかと思う。
「でも、何もないわけでも、ない」
きっと見つかるその何かに
これまで身につけてきた、天才から学んだ、
技術を全部ぶち込んでみたら
ちょっとは新しいこと、できる、
かもしれない。
「99%の努力と1%の才能」
って、こんなかな、と思ったのでした。