2019年1月19日土曜日

いろいろ

一つの定理に色々な証明がつくことがある。
一度「証明」されれば、その"正しさ"は不変であり
もう一度、別の証明をする意味なんてあるのだろうか?

きっと、たくさん答えがある中で
ぼくの答えを書いておきたくなりました。

数学というのは、自由な学問であり
自分の好きなように、ルールをきめて
そのルールに従ってゲームを楽しんで良い。

何をやっても良い
そんな世界でひとは
どこに価値をもとめるか?
一つの答えで、
ぼく自身が大事だと思っていることが
「ひろがり」
である。

数字なんてただの記号で、
どんなルールにしても良い。
"2"と"3" が表す意味を逆にして
1+1 = 3
1+2 = 4
1+3 = 2
としたって、特に問題はない。

でも、このルールを作って色々な遊びをしても
その世界はおそらく、大した"ひろがり"をもたない。
僕らがよく見知っている数字の世界を
超えることはないだろう。

ぼくらは、一つのきっかけで
わっ、と世界が広がる
そんなルールを探しているんじゃないかと思っている。
素敵な世界が広がると
人々が集い、文化ができる。
"国"のようであるなと思った
という話を昔した気がする。
この"文化"の目に見える部分が定理。

自由だから、みんな好きなように
ルールを、国を作っていく。
いろいろな国々で、面白い文化ができていく。
みんなが気ままに作った国で育った文化が
つきつめると、深いところで
繋がっていることがある。
この"つながり"は数学の魅力であるし
素敵な国と繋がれた国はきっとまた素敵。

一つの定理にいろいろな証明がある。それは
一つの定理がいろいろな"文化に"現れる
そんな意味ではないかと思う。

その定理はきっと、国と国をつなぐ架け橋になって
そこから、さらに素敵な世界が広がって。

そうやって、続いていくのが
数学なのかなと思ったのでした。