川端康成著「名人」を読んだ。
最後の名人と呼ばれている秀哉名人の引退碁の観戦記である。
ネタバレ等が嫌な人はすみませんが内容にも多分に触れます。
今では、一つの大会の優勝者と言った意味で
「名人」の称号は使われる。
秀哉名人までの「名人」は、相撲の横綱と似た「地位」であり、
一度、その座に着けば引退するまで、失われない「名前」であった。
名人は負けることは許されず、ほとんど対局しないのが一般的。
その中で、秀哉名人は多くの棋譜を残した。
負けることの許されない名人には特権もあった。
対局を途中で打ち掛けにして、後日へ持ち越す権利があったと言う。
囲碁に、持ち時間などと言う考え方がなかった時代の話だ。
その内に、時間制が導入され、囲碁は徐々に「管理」されるようになる。
秀哉名人の引退碁には持ち時間があった。
時代の流れであろう。
その持ち時間が40時間と言う膨大な時間であったことは
まさに、ここが、分かれ目である証拠とも言える。
それでも、名人は対局の最中、
打ち掛けのタイミングであったり
再開の日程であったり
様々な「我儘」を言った。
対局相手の大竹七段は断固として名人の我儘を拒否した。
立場は下であっても、名人に「ルールを守る」ことを徹底して求めた。
負けることを許されない、数多の特権を持つ、「名人」として生きた秀哉名人は
随所に、芸の道を極める人、極道を感じさせる行いが見て取れた。
その一つ一つを、大竹七段は徹頭徹尾、正論で退けた。
正論が、名人の極道としての生き方に打ち勝った、
勝たざるを得なくなった、
その変遷を見ているようであった。
名人と同世代の大人たちの、寂しさも描かれた。
川端康成は彼らの寂しさを理解し、
どちらかと言えば名人を支持しながらも
いつまでも正論をつく大竹七段のこともまた、認めていた。
双方を理解し、また、双方から慕われている人間として
いざこざの仲裁に立つこともあった。
引退碁に秀哉名人は負けた。
大竹七段の盤外の策略を、醜く、一局の碁を汚す行為とみた名人が
憤慨し、その直後に悪手を放ち、碁は崩れた。
大竹七段は封じ手にコウダテの様な手を選んだのだ。
名人に認められた「特権」をルールを逆手に取り
若い大竹七段が利用したと言われたら仕方のない様な行いだ。
名人の憤慨は誰にも気づかれなかった。
のちに、立会人と川端康成にのみ語られたものであった。
最後の名人は、ルールに負けた様だと、思った。
それまではずっと、名人そのものがルールだった。
この本を読みながら、
最近、みんなキレイだよな、と
ずっと考えていたことを思い出した。
「正しい」ことがあまりに力を持っている様に感じる。
悪いことではないのだけれど、
手頃な正解で思考が止まって見えることが、ある。
何が正しいのかわからず、悩み、考え、揺らぎ、
それをずっと続けた先に、ぼんやりと見えてくる
そんな答えが、あるだろう。
揺らぎ、掴みきれていない状態は弱い。
ずっと手前の「正解っぽいやつ」で止まっている人が
その「正解っぽいやつ」を振りかざして
その、ずっと先の答えに繋がる思考に入り、揺れている人を、
刹那的に弱くなっている人を
打ちのめす場面が散見される。
すっごく掘ると、結構いろいろ出てくるぜ、と
そう教えてくれるのが数学かもしれないと
そんな事を思ったりもした。