2020年3月21日土曜日

なぜ大学で数学を学ぶのか

博士課程2年の時にオープンキャンパスで配るように書いた文章。
手直しをしたい箇所も多々ありましたが、恥を忍んで、勢いを尊重して、そのままの文章でお送りしております。
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大学に入ってまで数学を勉強する意味があるのだろうか?
大学で数学を勉強しようかと考えている人は当然持つべき疑問であるし,
逆にこの疑問について全く考えずに数学の門を叩いてもらっても少し困る.
ただ,これから僕がここで話すのはまっすぐに純粋数学を志す人向けではない.
純粋数学がもつ奥深さ,そして「純粋さ」はそれ自体人生をかける価値があると思うし,
「数学者」として成功し,生きて行けたらそれはそれはすばらしい事である.
でも,最初からそれを目指すのは勇気がいる事だし,それができるのは最初の``なぜ"は
頭に浮かんでも,立ち止まる事無く走り抜ける事ができる人だったりする.
普通の人はそこまでの覚悟は持てないんじゃ無いかと思う.それでいい.
今回は,数学が好きで勉強してみたい,
けど,普通に社会に出る事も選択肢として考えている,
そんな人に向けて僕が思う「大学数学を勉強する意味」について話をしてみたい.
登場人物は「ジャグリング」と「組みひも群」だ.

本題を始める前に,少しだけ数学が「どんな風に使われているか」について話したい.
高校生になって,微分積分を学ぶ.
きっとこれが,たくさんの「数学嫌い」を生み出したのではないかと思う.
けど,この微分積分学が世の中をひっくり返したのも事実.
全ての電気を使った道具は微分積分のおかげで,
発明されたと言ってもたぶん,過言ではない.
微分積分学が応用されて行くその過程で例えば虚数 $i$ の実態も見えてくる.
英語で言うと「imaginary number」,直訳すれば「想像上の数」.
$x^2+1=0$ の解が欲しかったために,はじめは``存在しないもの" として導入された.
しかし,例えば,飛行機等の制御を行う際,
対応する微分方程式とよばれる式の解として複素数はあらわれる.
「制御」をする際,僕らができるのは基本的には``係数" を変える事,
そしてその結果として解を制御する事ができる.
解がある複素数で表される領域に入ったとき,飛行機等の「動き」は安定する.
この領域は複素数が無ければ理解できなかったものである.
想像上の数として表された虚数を導入する事によって,
実際の運動する物体(飛行機等)の動きが``見える"ようになる.
現実の物体との関連性が理解できた事で,
複素数が確かに「存在」し,そして役に立っているという事が分かる.
数学は様々なところで役に立っている!
この便利な数学を是非大学レベルで勉強してみよう!
と,謳って説得力があれば良かったのだけど,残念ながらこの主張には穴がある.
数学がいかに世の中で使われ,様々な謎を解明し,人々の生活を支えているか.
それが知りたいと,そう思うのならば向かうべき道は工学であって数学ではない.
ここまで書くと数学の先生になるとか純粋数学を研究するという目的以外に
数学科に進む意味はないようにも見える.
でも,ある.
たとえ大学卒業後,企業に就職し社会に出る事を念頭においていたとしても,
数学科に進む価値は,ある.

きっと数ある理由の中の一つであろうが,
それをボールジャグリングと数学との関連を見ながら説明したい.
ジャグリングというのはお手玉,たくさんのボールを同時に投げていろいろな技を競う遊びだ.
一見,この中に数学を見つけるのは難しい.
しかし1980 年代にサイトスワップと呼ばれる,
技の「リズム」を記述する方法が発見された.
簡単に言うと「ボールが空中に放られている時間」を数字で記述していく.
基本的にはボール$3$個の基本スタイル($3$ボールカスケードと呼ばれる)の高さにボールを投げると「$3$」,
ボール4個の基本スタイル($4$ボールファウンテン)の高さにボールを投げると「$4$」,
ボール$n$ 個の基本スタイル($n$が奇数なら$n$ボールカスケード,
$n$が偶数なら$n$ボールファウンテン)の高さに
ボールを投げると「$n$」.
「$1$」 と 「$2$」 だけ少し特殊.
「$1$」はボールを投げずに反対側の手に手渡しする事を,
「$2$」はボールをそのまま保持する事を表す.
結果として$n$が偶数ならば「$n$」として投げたボールは投げたその手に,
奇数ならば反対の手に帰ってくる事になる.
こうしてジャグリングの技一つに対して数字の列(「333」や「441」等)が対応する.
この数字の列によって,ジャグリングの技を種類分けする事ができる.
これは,ジャグリングの中に数学を見いだす画期的な理論で
これによって新しい技の開発等も活発に行われた.

しかし,サイトスワップは技のリズムを記述する``言語" であり,
同じリズムを持つ技を区別する事はできない.
それをさらに区別しようと思った時,
僕らの研究室のメインの研究テーマ「トポロジー」が活躍の場を得る.

トポロジーとは19世紀の終わりから20世紀の初等にかけて
数学者アンリ・ポアンカレ(Henri Poincar¥'e) が提唱した新しい幾何学である.
「柔らかい幾何学」とも呼ばれるこの分野は,
高校まで勉強してきた直線や円などを扱う幾何学(ユークリッド幾何学と呼ばれる)と
記述しようとする対象が異なる.
ユークリッド幾何学では,主に線分の長さや角の角度等を計算した事かと思う.
たった一本の補助線が謎を一瞬で明らかにする様子等を楽しんだ人も多いはずだ.
話の本筋からはずれるけど,こういった「楽しさ」は非常に大事.
そうやって,ユークリッド幾何学はいろいろな図形の「量」を調べる学問だった.
それに対し,ポアンカレは全く新しいアイデアを導入した.
いろいろな``もの" がゴムのような柔らかいものでできていると考え,
それをグニャグニャ動かしても良いとしたらどんな事が分かるのか?
最初は取っ付きづらいかもしれない.
トポロジーでは円も3角形も4角形も3141592角形も全部``同じ"だと思うことになる.
互いにグニャグニャっと変形して移り合う事ができる.
トポロジーではそれでも残る``共通の性質"を研究する.
円やその他多角形を平面の上に書けば,平面を``内側" と ``外側" に分割する.
この性質はどんなにグニャグニャっと変形しても変わらない
(直感的には明らかなこの「定理」を「証明」するには,大学3年生レベルの数学が必要!! もちろん今は気にする必要は無い).
変形の過程で保たれないもの,長さ,角度,面積,etc. などの「量」はトポロジーの世界では意味をなさない.
それでも残る性質,形の量ではなくて「質」を研究するのがトポロジー.
たとえ話をすると,高校までの幾何学が人間一人一人を見ながら,
背が高い,足が速い,イケメンだ,
そんな事を議論していたのに対して,トポロジーは
「でもみんな同じ人間ではないか」と,
そうして人間みんなが共通して持つ性質に着目しようと言っている(と僕は信じている).
トポロジーは幾何学に新しい視点を与えた.

この「柔らかさ」がジャグリングの技をさらに区別して行くのに有用である事が分かる.
確かに,ジャグリングでは投げられたボールの正確な高さ(床上147cm だ!みたいに)や,
手から離れて行くボールの正確な角度などで技を区別しない.
ジャグリングと強く関係が見られるトポロジカルな対象が「組みひも群」だ.
「群」と言うのは一つの代数的な概念で大学数学で習う,が今回は説明を省く.
図 $1$ のような上と下が固定され,上から下に流れて行くひもを「組みひも」と呼ぶ.
このようなひもの``絡まり具合" を研究するのが組みひもの理論.
一見,ジャグリングとの関係は無いように見える.

図1

しかし,組みひも群には「平面上の粒子の運動の軌跡」という別の解釈がある.
時間軸を高さ方向にとり,粒子の運動を追いかけて行くと確かに組みひもが得られる.
ジャグリングにぴったりだという事が分かっただろうか?
ボールを投げている人の目の前に``平面" が存在し,
その上のボールの動きを追いかける事によって
組みひもを得る事ができるのである.
そしてこの組みひもを使えば,
サイトスワップでは区別できなかった技を区別する事ができ,
さらに技同士の関わり等も見えてくる.
具体的な技や対応する組みひもは文章や図ではどうにも説明がつかないので,
実際にポスター発表を見に来て欲しい.
来る時間がなくとも,アイデアさえ分かってもらえたならば
きっと動画サイトでジャグリングの技を見ながら対応する
組みひもを見つける事ができるはずだ.

数学なんて何の役にも立たない,勉強するだけ無駄だ
という意見を少なくない回数,耳にする事がある.
数学に限らず,学校で習うような基礎学問は直接の応用はなかなか見えてこない.
けれど,もしこの世の中に組みひもの理論が無かったら,
組みひもとジャグリングの技の関係性を見いだすのは至難の業だ.
社会に存在する様々な問題についてもきっと同じ事が言える.
もし,大学以上でならうような数学を理解していなければ,
直面している問題の中にある「数学」を見つけるのはよほどの天才でない限り無理だ.
理論というのは「構築」することが「理解」する事よりずっと難しい.
けど,天才達が作った理論を理解する事は僕らにもできる.
そうして,「レベルの高い数学」という目を持っていれば,
社会にでて直面した問題の中に「数学」を見いだし,
驚くような本質をつかむ事ができる可能性がグンと大きくなる.
工学部で習うのは「誰かが見つけてきた数学」だ.
大学で習うような数学をキチンと理解して,
数学を探すその心さえ失わなければ,
きっと「誰も見つけた事の無い数学」が見つけられる.

どうだろう,少しでも「面白そう」と思ってくれたなら嬉しい.
でも,本当に大事なのはやっぱり,数学が,考えるという事が,大好きという気持ち.
この話で伝えたかったのは,数学科に来たり情報科学科に行って数学を専攻しても,
将来の道が狭くなるなんて事は決してないと言う事.
不安に負けて,我慢して,安定を求めるんじゃなくて,
自分の好きな事に思いっきりチャレンジすれば,
きっと,思いもよらない道がどんどん開けて行くと思う.

Enjoy your life.
正井 秀俊