DULL-COLORED POPさんの『プルーフ/証明』を観劇して、演出の谷賢一さんとアフタートークをしました。
https://www.youtube.com/watch?v=JKAMUvyaYPc
とても楽しい対談だったのですが、
そこでお話しした「センス」について少し書いておきたい。
演劇にはたくさんセンスが必要なことは想像にかたくない。
センスの伝え方はとても難しいとのことだった。
そして、数学にもセンスが問われる場面が多々ある。
アフタートークでは、分野や問題の選択にセンスがあるという話をした。
加えて、議論にもセンスがあるようで、僕が学生の時、師匠から
「その議論は筋が悪い」
という指摘を何度も受けた。
最初は、どうして筋が悪いかもわからなかったが、繰り返し繰り返し伝えられることで少しずつわかってくるものがあった。
「センス」は成長する。
僕は「センスの悪い人」である。
幼い頃から疑いようのない事実であるが(悲しい)、
一方で数学や囲碁は「感覚派」である。
なりたくて感覚派になったわけではなく、
思考力などが足りず「それしかなかった」のである。
数学は、証明は物語であるという人がいる。
個人的には結構よくわかる。
僕は「かっこいい」物語が好きで、同様に「かっこいい」証明が好きである。
演劇はライブで生であるから、いいものに出会えると「肌に残る」。
人の感覚は不思議なもので、使わないと鈍る。
「かっこいい」が肌に残っていると、「かっこいい」に敏感になって、証明に隠れた「かっこいい」に気づける。
かっこいいに気づくと、証明が鮮明に頭に残る。
ざっくり「頭の良さ」で、僕は戦いきれないから、こんな外からの刺激も使って数学をやっているのである。