2023年8月12日土曜日

数学と英語

「 理想三角形」ってどの辺が「理想」なんですか?
学生に尋ねられて、少しだけ英語について授業で話をした。

「理想三角形」は「ideal triangle」の訳語である。
頂点が考えている空間の上にないので(無限遠境界上にある)、"頂点が存在する体で"三角形を考えている。「ideal」を安直に訳して「理想」である。英単語のideal を辞書を調べてみると(PCに入っている「ウィズダム英和辞典 / ウィズダム和英辞典」を使用)

1 «…にとって» 理想的な, 最適な, 申し分ない «for» 2 〖名詞の前で〗(理想を満たす)想像上の, 空想上の〈世界・社会・仕事など〉; 非現実的な〈計画など〉(↔ real, actual) 3 〘哲〙 観念(論)の, イデアの.となる。意味合いとしては2と少し3が近い。無限遠境界は考えようによっては存在しているし、立場を変えれば存在していないとも思うことができ、あったら嬉しいけれど、想像上のものと見るのが良いかな?の「ideal」である。「理想」という日本語からは少しずれている。同様に数学(もしくは幾何)でよく現れる単語として「virtual」がある。「仮想」と訳されることが多い。これも辞書をみてみると1 (名目上または厳密にはそうではないが)実質上の, 事実上の 2 〘コンピュータ〙 a. 仮想の, バーチャルな, コンピュータによって作られる b. コンピュータ上の交信による. 3 〘光学〙 虚の となる。最初にでてくるのは実質上の、事実上の、である。テニスで勝負を決めるブレークポイントを「this is a virtual match point」と言ったりする。本当はそこでブレークしても、次にキープしなければ勝てないけれど「実質的に」マッチポイントなのだ。「仮想」マッチポイントとはだいぶ違う。よく群論や幾何で性質Pに対して、「virtually P」という。「仮想P」と訳される。これは、有限で抑えられる操作(通常は有限指数部分群や有限被覆をとる)ののち、性質Pが満たされるの意味である。どう考えても「仮想」ではなく「実質上」のほうが近いが「仮想」が訳語として広まっている。同様に「virtual reality」は「仮想現実」と訳されることが多いが、おそらく「実質的に現実と感じられるもの」のほうが近いのではないかと思う。日本語と英語は異なる文化背景のもとに生まれた異なる言語である。それゆえに言葉と言葉にぴったりな対応はない。単語の対応その他、言語的な距離の大きさゆえに学習に困難がある。しかし同時に、大きく異なるからこそ自分の視点を広げてくれるものでもある。英単語を辞書で調べると通常いくつか異なる日本語の単語が載っている。それが一つの英単語に対応している。列挙される日本語を眺めながら、僕はちょっと数学的な感じで最近は楽しんでいる。"意味の空間"を想像し、その意味の空間の上で列挙される日本語の張る空間を考える(線形空間的な)。それがその単語の"意味"の空間である。もちろん多くの"意味"は線形独立ではないだろうし、そもそも意味の空間は線形ではないだろう。それでも一つの単語の張る部分空間を考えると楽しい。「enjoy」という単語が数学では「(良い構造などを)持つ」の意味で使われるが、「持つ」とこれまで自分が感じていた「enjoy」の間につながりが見えたら、ちょっと自分の言葉が豊かになった感じがしないだろうか?単語の張る部分空間全体が、その単語の意味になることはほぼなく、実際にはその部分空間のとある部分領域がその単語の意味として使われている。その部分領域は、人によって時代によってたゆたっている。意味の空間の中でふわふわと浮いている多数の単語がいて、自分が新しい単語を知ると、他の単語同士の関わりや、今まで見えなかった軸や次元が見えた感じがしたりして、楽しい(この感覚がわかりうるのは数学を知っている人だけ?)。数学は「ものの見方」の学問なんですよ。とよく僕は説明するが、実際にはこんなことを考えている。後半はあまり伝わらない気もするが、まあそれでもよいのだ。僕は楽しいから。

2023年7月1日土曜日

大学教育はどれくらい丁寧であるべきか?

担当する科目の巡り合わせで久しぶりに「演習科目」を担当した。
5年前に設計した演習授業のスタイルを用いた。
毎週問題を配布し、1週間か2週間後にほぼ全く同じ問題からなる小テストを行う。
幸運にもAIなどについて、特に対策のいらない仕組みである。

学生から要望があった「解答案を配布してほしい」。
小テストのあとであっても「解答案は一切作らず、学生には配布しない」
授業設計時にそう決めていた。

コロナ禍で、コミュニケーションが十分に取れなかった間に随分僕は丸くなり、今では(コロナ前に比較すると)懇切丁寧、学生の要望になるべく(当社比)応えようという考えも持ち合わせていた。

4月の段階ではAIとの在り方などに思考をとられており、5年前の授業設計時に考えたことなどについて十分に想いを巡らせてはいなかった。学生から解答案を求められてようやく授業設計当時の僕と話をしてみた。すると

「君たちはいつ、答えのない世界で戦う準備をするの?」

と、まっすぐな声で言われた。
東工大は理系の大学である。学生は将来、なにかしらの科学、技術を身につけ、誰も解決したことのない、答えを知らない課題や問題に貢献することを「仕事」とすることが期待されている。そこに誰かが作ってくれた「解答案」はない。

高校までの数学は少々のごまかしがあることもあり、また成長過程として必要なこともあり「誰かに正しさを確かめてもらう」。しかしそれが行きすぎて、多数の問題の解答法を"覚えて"やりすごすという「パターン認識」でテストの点数をあげるスタイルをとる人が一定数でてくる。パターンを覚えて新しい問題に取り組んでいくことは学習の段階で決して悪いことではないが行き過ぎると、昨今の"AIのような思考"になってしまう。人間は少し違った思考ができる。

大学1年生の数学は、ある程度「自分で正しさを確かめられる」領域まで進む。自分自身で論理を確かめ正しいことを自ら確認できる、というと少し言い過ぎの感もあるが、すくなくとも「そこ」を目指していく態度をみせるのが大学数学である。

だからこそ「解答案は配布しない」のだ。
自分の答案が正しいか否かは、自分で確かめてほしいのである。

いきなりそんなことを言われたら大変なのは知っている。でも君たちには周りに友人がいて、先輩がいて、そして教員がいるのだ。困ったら聞いてみれば良い。授業中にはTAさんや僕が巡回して「質問し放題」なのである。僕は質問されたら解答も含めて全て答えることにしている。これまでの想いと矛盾するようだが、受け身で何もしないで解答が与えられる世界から、行動したら(ほぼ解答案のような)ヒントが与えられる世界へと一歩進んでいる。そうして、いつか誰も答えを知らない世界へと向かう準備をしてほしい。

最近、"大学授業の商品化"のような議論を目にする。商品にするならば、学生の評価をあげなければならないだろう。実はそれは(少なくとも現状は)あまり難しいことではない。懇切丁寧、わかりやすく説明して、難しいことには触れないでおいて、演習問題には学生の望み通りに丁寧な解説をつけて、学生が頑張らなくてもわかった気分になるようにして、成績評価を"あまあま"にして、それでちょっと親しみやすい雰囲気でいれば、学生の評価はいくらでも稼げる。

でもさ、それは優しいようで、「成長する機会を奪って」はいないのかい?
少なくとも僕は、いつか答えのない世界で君が世界で初めて見つけた「答え」がみたい。
だから、答えはあげない、あげられない。ごめんよ。

2023年4月12日水曜日

新入生へ(ChatGPTなどについて)

宣言する。僕は授業でChatGPTを使い倒す。
多くの大学でChatGPTを禁止する流れがあるのは知ってる。
でも、僕は授業で使うし、みなさんにもどしどし使って欲しい。

禁止される理由は「ChatGPTを使うと探索力や思考力が鍛えられない」が最も多い。僕は疑問だ。そう言った人たちが本当にChatGPTを実際に使い、その可能性を"探索"し、そしてその後の未来について"思考"したのかと。

個人的な実感としては、ChatGPTをはじめとするAIはやがて当たり前になり、AIをいかに使いこなすか?が重要な能力になると思う。いま、ChatGPTを使うことは「ズル」と言われるかもしれない。でも、近い将来その「ズル」とされた、"AIを使う能力"がとても大事になる。ChatGPTなどの技術を少しでもたくさん使い、その特性を理解し、いかに有効に使うかを考えて欲しい。一つでも多くの質問をChatGPTに投げかけて欲しい。使えばわかると思うけど、ChatGPTは曖昧な質問にはあまり良い答えを返さない。「問いを立てる力」が要求される。ChatGPTを使うと考えなくなるなんて、とんでもない意見だと僕は思う。

一部の宿題や課題は一瞬で終わる。それでいい。本当に意味のあると思う課題を自ら選び、そこに時間や労力を注いで欲しい。なんでやるかもわからないような、AIで一瞬で終わる課題を出してきた教員が悪い。大丈夫、ChatGPTでやったかどうかなんて絶対わからない。

そうやって時間に余裕ができたら、その時間で「やりたいこと」をやって欲しい。
もしやりたいことが見つからないなら、色々試してみることだ。
個人的なオススメは、「めちゃめちゃ効率の悪いこと」をやること。

自転車で日本一周してみたり、
江戸の科学者を調べて詳しくなってみたり、
数学の定理一つ一つの証明を理解して進んでみたり、
演劇をやってみたり。

AIで効率化して生まれた時間で、「無駄なこと」をやってほしい。
効率的で機械のような人間は必要なくなるから。
機械がもう"機械のような人"よりもずっと優秀になる時代が目の前に迫っている。

人間っていうのは非効率的で、めんどくさくて、無駄な生き物だと思う。
そして、だからこそ生きた人間というのは魅力的なんだと思う。
効率が求められる「つまらない仕事」をちゃっちゃとAIで片付けて、"よくわからないけどなんか面白そうなこと"をやってみて欲しい。無駄なことが「あなた自身」を作り、それがこれからの時代を生き抜く力になる。と、僕は勝手に信じている。

もちろんこれは、たった一人の個人的な"思考"だ。取るも取らぬも、自分で考えてくれ。
ChatGPTの出力を採用するかどうかも、僕の話を聞くかどうかも全部、あなた次第だ。

2023年3月31日金曜日

朱夏時代

三崎にマグロを食べに行った。
どうやら桜の名所らしく、たくさんの桜の木。
どれも早咲きとのことで早春にも関わらず、すでに桜はほとんど散っていた。
期間を決めてしまったのか、駅前では「桜まつり」。
閑散としていたが、出店が葉桜の下で焼きとうもろこしやマグロ、そしてお酒を売っていた。

「先週までは大賑わいだったんだけどね!!」
陽気なおばちゃんに惹かれて、ポキ丼屋に入る。
三崎のマグロをハワイアンにして食べた。
ハワイと三崎の妙なミスマッチが、閑散とお祭りのミスマッチと合っていた。

特に目的地も決めない旅(いつもどおり)。
少し距離があったが港まで行ってみる。
港では多様なマグロが売っていた。
尾の身、しっぽが売っていたので買ってみた。
家でステーキにして食べたが、新感覚でよかった。

港のさらに奥に小さな島があった。自転車を借りて行ってみる。
休憩で立ち寄ったカフェに白黒時代の俳優がびっしり。
映画好きマスターがひたすら喋り続ける店だった。

島からの帰りに渡し船に乗った。
「三崎は北原白秋とゆかりがあるんですよ。白秋の名前の由来をお話ししても?」
静かな調子で話しかけてきた。
「中国の古事では、人生を春夏秋冬に分けていて、春夏秋冬それぞれに色があるそうです。春の色はわかりますか?」
何人かいた乗客に尋ねてきた。しばし経って誰かが
「青ですか?青春?」
「その通りです。実は、同様に夏、秋、冬にも色があります。夏は赤、朱色で朱夏。そして、秋は白、白秋です。北原白秋の名前はここからきているそうです。そして冬は黒,玄冬と言います。現代の年齢だと、若く青々とした青春が25歳くらいまで、その後人生が最も輝くとされる朱夏が60歳くらいまでとされているようです。そしてその後の終末期、冬の時代への向かう秋が75歳くらいまで」

みんなが感心している空気を感じると
「あ、いや私もこないだラジオでこの話を聞いたんですけど」
とおちゃらける。
「人生の折り返しをすぎたところを白秋という。白秋時代は青春、朱夏時代のようなエネルギーはないが、重ねた年輪による成熟した精神と、まだある程度自由に動く身体がある人生における実りの時代である。北原白秋は、白秋時代のような詩や物語を作りたいと、白秋と名乗ったそうです」

良いお話しだった。
朱夏時代、人生がもっとも燃える時代を僕はいま、生きている。
僕はマグロも赤身が好きである。

朱夏時代の1ページ。

2022年3月21日月曜日

数学と演劇4

 「普及」とは、なんと難しいのだろうと思っている。
いろいろな人が、いろいろなものを「普及」したいと考えている。
少々「奪い合い」の嫌いがあり、どんな状態が本当に良いのかは、正直わからない。
「数学」の話を、一般向けに数学者がすることは良いことだろう。
同時に、「数学に興味のないひと」が、数学のイベントに参加する理由はないとも思う。
僕も高校生の頃は、数学になんて全く興味がなかった(だから、数学科に行かなかった)。
友人に「数学のイベントに行こう」と言われても、「いや、まじで、なんで?」と返しただろう。
実際には、そんなものに誘ってくる人もいなかった。
数学オリンピックの問題に取り組む人は少しいたが、「変なやつ」と思っていた。
ただ、中学生の頃に見た「やまとなでしこ」というドラマはとても良く覚えていた。
主人公が数学者で、「数学の議論」の描写がずっと心に残っていた。
でも、おそらく「やまとなでしこ」は数学を推そうなんて考えていない。
「やまとなでしこ」を知っている人でも、主人公が数学者であったことを覚えていない人もいるくらいだ。
数学は「おまけ」だった。
そして、だからこそ良い印象で、数学が心に残ったのだと思う。
きっと、数学を「おまけ」にしたらいいんだ、と割と本気で信じている。
おまけってのは、よくわからないけど集めたくなるものだ。
舞台に出演するこいつは、実は数学者らしい?なんで舞台に?
と、思ってもらえたら実は僕の企みは成功している。
「数学」には、``これくらい''の触れ方が良いと思っている。
そうして数学が、少しだけ心に残っていれば
「実はさ、数学には、証明には、物語があったりするよ」などと
誰かに聞いたとき興味を持てたりするんじゃないかと思っている。

数学と演劇3

DULL-COLORED POPさんの『プルーフ/証明』を観劇して、演出の谷賢一さんとアフタートークをしました。
 https://www.youtube.com/watch?v=JKAMUvyaYPc

とても楽しい対談だったのですが、
そこでお話しした「センス」について少し書いておきたい。

演劇にはたくさんセンスが必要なことは想像にかたくない。
センスの伝え方はとても難しいとのことだった。
そして、数学にもセンスが問われる場面が多々ある。
アフタートークでは、分野や問題の選択にセンスがあるという話をした。
加えて、議論にもセンスがあるようで、僕が学生の時、師匠から
「その議論は筋が悪い」
という指摘を何度も受けた。
最初は、どうして筋が悪いかもわからなかったが、繰り返し繰り返し伝えられることで少しずつわかってくるものがあった。
「センス」は成長する。

僕は「センスの悪い人」である。
幼い頃から疑いようのない事実であるが(悲しい)、
一方で数学や囲碁は「感覚派」である。
なりたくて感覚派になったわけではなく、
思考力などが足りず「それしかなかった」のである。

数学は、証明は物語であるという人がいる。
個人的には結構よくわかる。
僕は「かっこいい」物語が好きで、同様に「かっこいい」証明が好きである。
演劇はライブで生であるから、いいものに出会えると「肌に残る」。
人の感覚は不思議なもので、使わないと鈍る。
「かっこいい」が肌に残っていると、「かっこいい」に敏感になって、証明に隠れた「かっこいい」に気づける。
かっこいいに気づくと、証明が鮮明に頭に残る。
ざっくり「頭の良さ」で、僕は戦いきれないから、こんな外からの刺激も使って数学をやっているのである。

2022年2月24日木曜日

数学と演劇2

 演劇を学んだら良いのではないか?
そう思い立ったのは、東北大学で「サイエンスカフェ」をやる際に少し気合を入れて準備したこと、また「研究所紹介ビデオ」に出演したのもきっかけだった。
当初は、具体的な効果や目標も定まってはおらず"あやふや"であった。
昨今の「選択と集中」への批判に似た感覚であるが、"先の見えない"研究テーマを選んでいくことが、数学者、研究者として自分の生きる道であると信じていたので、その発想が数学や科学を飛び出すことを、単純に面白いと感じた。
「面白い」とは感じても、そこに飛び込む数学者は(少なくとも日本には)存在しないであろう。誰もやらないならやってみよう。
動き出したのはおおよそ3年半前、東京に戻ってきたタイミングだった。
暇を見つけてはレッスン場にお邪魔し、稽古をした。
一回り以上年下の人も多い中、ありがたいことに死ぬほど「ダメ出し」された。
(ただ、数学その他、"独学"ばかりだった僕は、叱責の有り難さを知っていた)

研究発表や、一般向け講演でそれなりに評価してもらっていた自信は、粉々に砕け散った。
声も出ない、滑舌も悪い、伝わらない。散々だった。
現状でも"まだまだ"であるが、当初に比べると格段に言葉を発するのが上手になっている。これは訓練で向上する技術であることがわかった。

研究者と発表

現代の研究者は、「自らの研究を発表し人に伝える」ことが求められる。多くの人が、少ないポジションを奪い合う状況では、この「発表能力」が幸か不幸か、とても重要である。
さらには、日本で最初に発明された技術が、うまく伝わらず、数年後他国の"発表上手"に再発見され、結局"奪われてしまった"などという話も耳にする。

研究者にコミュニケーション能力をと謳われて久しいが、コミュニケーション能力には2種類ある。
・他人に合わせて自分を殺し、その場を収める能力
・自分自身を相手に理解してもらう能力
「コミュニケーション能力」は前者を指す場合が多いが、研究者に必要なのは主に後者である(と信じている)。この点において、統計をとったわけではないが"ある程度レベルの高い理系"の人で、苦手と感じている人が多いと思う。もちろん、生まれつき上手な人もたくさんいる。
教育というのは才能を分割し、苦手な人にも使えるように教えるものだと思っている。
演劇の手法の中に、使えるものがたくさんある。ここでは詳細は省略するが、いつか「科学者のための演劇」のような授業ができたらいいなと考えている。

数学と演劇1

 舞台に立つことにした。
突飛な発想であることは理解している。

『フォーティンブラス』
作:横内謙介 演出:栗田芳宏
http://www.himawari.net/theater_movie/news/214175.html
栗田芳宏さんは吉田鋼太郎さんと一緒に劇団AUNでシェイクスピアをやっていたお方。

兼業の伺いをするときに書いた文章がある。

*****
どうしてこのような発想に至ったかも以下に説明いたします.
これまで,いくつかの高校で出張授業を行ってきており,概ね好評を頂いております.
一方で,どうしても楽しんでくれた方の多くが「数学が好きな人」です.
「数学が好きな人を増やす」という目標は遠いと感じています.
先日(11月10日),女子校へ出張授業を行った際は10以上の講義の中から学生が選択するスタイルで,数学は参加人数が一番少なく10人程度でした.普通の発想ではこの状況は変わらないと思います.そしてより多くの人に「声」を届けるための研鑽の場として舞台への出演をしてみたいという気持ちになりました.現在も(趣味の範囲内で)演劇のワークショップにはしばしば参加しており,出張講義や普段の授業に大変効果が出ていると感じています.
令和一年度東工大教育賞も頂きましたが,学生からの評価は大きなアピールポイントでした.

加えまして,演劇に触れることで自身の研究にも良い影響を感じています.数学研究において,様々な文化芸術に触れることの重要性は広く説かれていますが,それを肌で感じています.東工大の推し進めるリベラルアーツ教育の目指すところは,よく分かっていませんでしたが
文化芸術に触れて育った人間力でより"豊かな"学術研究を生むことなのかもしれないと,ゆっくりと理解しています(内容が数学と直接は関係しないことは,むしろ大切であると思っています).本務に影響の出ない範囲で(有給は取りますが)このような活動を教員がすることは価値があると感じています.
*****

気合を入れて書いた割に、すんなりと兼業が許可されて拍子抜けした。
これから数回に分けて、この文章をもう少し詳しく述べたいと思う。


2021年9月7日火曜日

ひやっこい

 冷やっこくなったから、何も考えずに文章が書きたくなった。
毎週末に何かしら書く、というのをやめてそろそろ1年が経つようだ。

きっかけは、生活がインターネットに囲まれてしまったことだった。
パソコンとか、テレビとか、"光ってるやつ"がずっと苦手。
家にインターネットがある生活を始めたのも3年ほど前の話。
なくてよかったんだけど、無料だと言われて家にインターネットを引いてしまった。
正直最初はずいぶん迷ったけど、結果として突然すべてがオンラインになったとき、
すぐ対応できた。"できてしまった"のかもしれないけれど。
そして、インターネットからは逃れられない時代になってしまった。

そのうちに、だんだんと書けなくなった。
出張が多く、その移動中に書くことも多かったので、
出張がなくなったことも理由の一つだろう。
あと、今現在に限って言えば、お金をもらって文章を書くようになったから
そっちばかりなのも、多分ある。

やっぱり、カネなのかー。

自由に書くってのも大事だよね。

世の中と、だいぶ見ているものが違う気がしてしまう。
たぶん、もともとだ。今まで比べていなかっただけでさ。

人にお見せする類の思考じゃないけれど、
みられるかものドキドキ感が好きなので
久しぶりに書いてみた。うん、良いね。余は満足じゃ。

2021年7月11日日曜日

日時計

小学生のころ,日時計を作る実験を授業でやった.
時間ごとに担当を決め,放課後に影を記録して時計を作る実験だった.
実験場所は学校の屋上.
画用紙の真ん中に杭を立てて置いておいた.
杭の影の先端に時間ごとにマジックで印をつけて,日時計を作る予定だった.

僕は友達と一緒に,確か16時で最後の担当だった.
「16時まで一緒に遊ぼーぜ」
家が学校から近いのをいいことに,学校ではなく,家のそばの広場で遊んでいた.
遊びまわっていた僕らは気がつくと夕方17時を過ぎていた.
いつもの,帰る時間まで気づかずに遊んでいた
そして,最後の最後に思い出した.
「どうしよう」

迷ったけれど,友達と一緒に学校に行った.
先生は,待っていてくれた.
恐る恐る職員室に現れた僕らを見て,静かに言った.
「記録を取りなさい」

屋上に着くと,夕暮れ.
画用紙を見ると,傾いた太陽で影が画用紙をはみ出し,記録が取れなかった.
僕らは,画用紙の端っこに印をつけた.
夕暮れで薄暗く,誰もいない学校は,いつもと違う場所のようだった.

翌日,順番に担当の人が何時にどの印をつけたかを発表した.
最後に僕らの順番.
「みんなに正直に報告しなさい」

そう言われて,時間に遅れてきちんと記録が取れなかったこと,
夕方になると,日が傾き,影が画用紙に収まっておらず
画用紙に残っている印は,杭の先端ではないことを報告した.

「時間に遅れたことは反省しなさい.でも,そのおかげで分かったことがあるね」
そう言って,太陽は東から西へ移動するだけでなく,高さも変わることを説明してくれた.

なぜか,一度も怒られなかった.そして最後に言われた.
「君たちは,来ないだろうと思っていた.遅れても,よく来たな」
不思議な気持ちだった.

今でも覚えている.なんとなくだけど,
あのとき僕たちは少しだけ「育った」のではないかと
思い返してそう感じている.

2021年6月26日土曜日

平成初期

このところ、天気が良い。
最近は公園で仕事をしている。
オンラインなのを良いことに、公園から授業もやっている。
「公園で講演ですね!」
タシカニ。

お昼に困る。
いつもの公園の周りに、いくつか食事処はあるものの公園で食べたくなる。
お弁当を求めて、知らない道へ。
仕事をするときは、携帯を家においていく。
道はよくわからない。
わからないから、行ってみるのである。

行けども行けども、弁当屋は見当たらない。
小川沿いに散歩道。
仕方がない、お散歩する。
最近の川はキレイである。魚がびゅんびゅんしている。
がんばって、キレイにしてるんだろうなあ。

気がつくと知らない場所。
お腹はずっと鳴っている。
ふと、古びたカフェ。
いやいや、お弁当が欲しいのだ僕は、と思ったけど
妙に心惹かれてしまい、扉を開けてしまう。

タバコくさい。ほぉ。もはやタイムスリップの気分。
そういえば、高校生の時はタバコくさい碁会所に通っていた。
じーさんが叫ぶ。
「コーヒーおかわり!」
「はいはい」
テキトーな返事をするマスターのおばちゃん。
「こんにちはー」
「え、あ、えっと、お好きな席へどうぞ」
常連さん以外、ほとんど来ないのかな。

古びた漫画、ところどころ、片付いていないテーブル。
よくわからないおもちゃ。変なポスター。
昭和。と言いたくなるが、記憶があるので平成初期だな。
自分で思って「平成初期」という言葉の響きが新鮮。
平成が、昔になったのだな。

カレーとアイスコーヒーをお願いする。
ほんとはナポリタンでも、と思っていたが「コーヒーカレー」なるものに反応した。
コーヒーはわからなかったけど美味しかった。
アイスコーヒーは銅かな?なんか古びた感じのコップに注がれてきた。
取っ手がついていた。
「あ、ストロー大丈夫です」
だって取っ手あるし。ひんやり。取っ手も含めて、口当たりもひんやり。
携帯はないし、たまたま平成初期の論文を読んでいたし
本当にタイムスリップ感。
流れているのはJPOPかな、たぶん。
音楽は今でも昔でも、大体わからないからいい感じに時代が分からない。
よい。

モクモク。
さすがに、だんだん煙たくなった。
カフェを出ようとお会計をする。
音楽が流れ出す。
「うっせーうっせー、うっせーわ」
僕でも知ってた。
やっぱり令和だった。

でも、ひとときだけ、平成初期だった。
携帯はなかったので写真は撮っていない。
平成初期だから、それでいい。

カフェを出て少し歩いたら、知らない駅に出た。
路線図を見て、道を調べる。
どうやらぐるっと回っていたようで、大した距離でもない。

なんだい平成初期、意外と近いではないか。

2021年4月17日土曜日

どうして Julia を作ったか

プログラミング言語「Julia」開発者さんの文章がとても好きなので、
雰囲気重視で訳しました。結構意訳です。

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「どうして Julia を作ったか」


それは、僕らが欲張りだからだ。

Matlab はめっちゃ使う。僕らの中にはLispの天才もいるし、PythonやRuby のすげー奴、Perl を巧みに使いこなす奴もいる。毛も生えない子供の頃からMathematica で遊んだ奴もいる。いまだにツルツルな奴だって仲間だ。Rではアホみたいにたくさんグラフを書いた。C言語からは、いつだって冒険の匂いがする。

ぜんぶ、大好きだ。面白いし、いろいろなことができる。何かをしたいと思った時--科学や機械学習、データ解析、どでかい行列の計算、分散計算、並列計算。いろんな言語は場面に応じて最高に上手く動いたり、まるでダメだったりする。それぞれに、良いところと悪いところがある。

足りない。もっと、もっとだ。

僕たちの欲しい言語はオープンソースで、ライセンスがゆるい。C みたいに早くて、Ruby みたいに動的で、さらに同図象性もある。Lisp みたいに本物のマクロが使えて、それでいて数式がMatlab みたいに綺麗にかける。Python みたいにコードが書きやすく、Rのように統計処理に強く、文字列処理をすればPerlと思うくらいやりやすい。Matlab みたいに線形代数に強く、Shell のように処理を繋げるのが上手。そして、めっちゃわかりやすくて、かつ本気のプロも使いたくなる。インタラクティブだけどコンパイルもできる。

(あ、あとC 言語の速度も欲しい・・・って言ったか)

欲しいものだらけだ。Hadoopのような分散処理だってしたい。でもJavaやXMLみたいに単純作業を繰り返すのは嫌だ。何百台のマシンの、何ギガとあるログをみてバグを探すなんてやりたいわけがない。だるくて複雑で、気が遠くなる思いをしなくても、パワーが欲しい。簡単なスカラーループを書いたら、CPU一つのレジスターをぶん回す機械語のコードがコンパイルされて欲しい。A*Bって書いたら、巨大な行列の演算を何千何万のマシンに勝手に分散して高速に計算して欲しい。

型なんて、必要な時以外は宣言したくない。いろいろな型を扱う必要があるときは、本質的なとこのアルゴリズムだけ書いて、あとは勝手に対応して欲しい。引数の型に応じて、最適な機能を自動で選択してくれて、扱う型が結構違ってしまっても、一つの機能を共有できて欲しい。そして、これだけいろいろできても、僕らの言語はシンプルで美しくあってほしい。


不可能だって?本当に?

認める。僕たちはとんでもなく欲張りだ。それでも、全部欲しいんだ。2年半ほど前、僕たちはこの欲にまみれた言語を創る旅に出た。まだ途中だけど、そろそろ最初のバージョンをお披露目する時だ。僕たちの言語は Julia と言う。実は欲しかったものの9割ほどは、もうすでにそこにある。だから今度は君の欲を頂きたい。欲がこいつを、 Julia をさらに成長させる。強欲で、さらなる不可能を求める人がいたら。ちょっとこいつで遊んでみてくれないかい?

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むかし、計算機やインターネットがまさに「成長初期」にあったころ。
「技術はフリー(無料)で世の中を豊かにするためのもの」
というハッカー思想があり、僕はとても好きだった。

時代はうつろい空気は変わったが、上の「宣言」からは
久々に"昔の空気"の匂いがした。

2021年2月13日土曜日

いちねん

2020年度の授業が終わった。くたびれた。
授業が終わった次の日は本当に丸一日寝てしまった。

せっかくなので 振り返る。

3月:オンライン授業の為にアホみたいにがんばる
4月:前半、3月の続き。後半、授業が5月開始になったため、実はひまだった(準備はやり尽くした)
5月:授業開始。これまでの準備がとても役に立った
6月:第一クオーター終了。通常1週間ある第二クオーターとの間がゼロで大変(4月の後半の1週間ここに欲しかった)
7月:フィルターアプリで変装できることを発見する(意訳:オンライン授業の味気なさ対策をがんばる)
8月:前期の授業終了。オンライン研究集会に参加したりなどする。
9月:小さなセミナーを対面でやる。とても良かった。会うの大事。
10月:対面とオンラインのハイブリッド授業をはじめる。
11月:(10月の続き)演習は教室での黒板発表をオンライン中継し、オンライン発表は教室でプロジェクタで投影。カンタン。
12月:演習でのシステムを利用してハイブリッド・ミニ・ワークショップをやる。楽しい。
1月:緊急事態宣言。あらら。
2月:授業終わったよ。

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花が咲き、
花が散り、
葉っぱが茂り、
葉っぱが散った。

もうすぐまた、花が咲く。
いちねん。












2021年1月17日日曜日

いたずら

高校3年生の夏休み。
教室は自習室として解放されていた。

家で勉強するのが苦手だった僕はよく高校に行っていた。
1時間半ぐらいかけて。

勉強もしていたけれど、校庭に走りに行ったり、校内を散歩したりもしていた。
「15分考えてわからなかったら、答えをみる」
みたいな意見が受け入れられず、同じ問題を1日ずっと考えたりしていた。

僕はあるいたずらを始めた。

初等幾何が好きだったけれど、どうやら受験に初等幾何はほぼ出ないらしい。
補助線を引いたりして問題を解くのも好きだったが、
そのうち僕は自分で問題を作るようになった。

高校3年生、みんなが受験勉強をしにくる教室の黒板に自作の問題を書いておいた。

あのとき結構「初等幾何好き」がいた。
「ばかやろー、気になるじゃないかー!」
と言って、僕の作った問題を解いてくれる友人たち。

受験に直接は役に立たないけど、楽しかった。
日によっては、わざわざ学校へ行って問題作っただけで終わってしまったり。
「まじで、本当にやらなきゃいけないことあるからやめてくれ」
とお願いされて反省したりしていた。

割と本気で迷惑ないたずらだったかもしれない。
今更ながら言い訳をするならば
「こんなに楽しいのになー」
である。
いや、今思うとひどいいたずらである。
いつも、どこまで本気でどこまでふざけてるのかわからないと言われる。
僕はいたって真面目です!
だめか。

「夢中になってやっていたこと」が生きる人生であってほしいと思っている。
実をいうと修士論文で"初等幾何"をふんだんに使ったから、役に立った(僕だけ)。


初等幾何好きな人たちはどこに行ってしまったんだろう。
もっと楽しいことを見つけちゃったのかな。
たしかに僕も、いまはもうちょい楽しい幾何を知っている!


あのときの教室は楽しかったなとふと(うそです、みんながんばってるから)思い出したのでした。

2020年12月20日日曜日

本棚

 基本的に若いうちは “多くを知っていること” より、“数学を学ぶ理由” をどれだけ確固たるものに できるかが大事だと思っています。ということで、数学書も多少載せましたが基本的には僕が読んで 「研究者に、数学者になりたい」と思うようになったきっかけや、元気をもらっていた本を適当に並 べてみました。お気づきかもしれませんが、僕はたぶん変わった人です。ですので、このリストはたぶん少し変わったリストです。

一般向け書籍

• 100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影–

ポアンカレ予想を解いたペレルマンが主役?の本。ペレルマンは捕まらないので、ポアンカレ 予想に関わった多くの(超一流)数学者へのインタビューがたくさん。あとがきの最後の一言 が好き(ぜひ読んで)。

• 若き数学者への手紙

数学者が、数学を志す女の子、メグに向けて数学の面白さ、価値を伝える手紙をまとめたもの (実際に送った手紙ではなく、おそらく「そういうスタイル」の本)。幼いメグに向けたものか ら、だんだんと成長していくメグへ、数学者として生きる楽しみや、ちょっとしたコツなどかがとても良い語り口でまとめられている。

• 志学数学 -研究の諸段階 発表の工夫

数学を志す人(これから志そうという人を含む)のためのアドバイス集。勉強の仕方、セミナー の準備の仕方、研究へと進むために(おそらく)実体験をもとにした激励の言葉がたくさん。 よいですよ。

• シンメトリーとモンスター 数学の美を求めて

一応、一般向けの本みたいだけれども、ある程度数学がわかる人(きっとみなさんなら大丈夫) でないと楽しめないかも、と言う本。基本的には多面体などの対称性としての群論などの話だ が、多様体の対称性もかなり同様の理論であり、幾何の話にも感じられる。原著を読んでも良 いかも。

• ご冗談でしょう,ファインマンさん 

ただただ僕が好きな本。ファインマンは物理学者(ノーベル賞受賞)であるが、分野が多少違っても “研究生活” に大事なこともたくさん書いてある。基本的には、ファインマンのいたずら集。

•  江戸の科学者

江戸時代の科学者の物語。数学者もでてきます。江戸時代は今のように国が科学にお金を出し たりしているわけではないため、学ぶ理由に “日本のため” や “楽しい” など、現代とは違う覚 悟が見える。

2 きっと読める本 

• Algebraic topology

Allen Hatcher による代数的トポロジーの本。基本群など、“知っているべき” ことが全部書か れている。著者が pdf を公開しているので無料でよめる。

• Topology from the Differentiable Viewpoint

フィールズ賞受賞者で、授業や講演も上手な John Willard Milnor の本。通常とは違う定義で 多様体などが定義されているが、きっと読める。和訳も出ているがどうやら和訳の方は評判が あまりよくない(僕は読んでいない)

• 結び目と量子群

有名な「体積予想」を提唱した数学者の 1 人である村上順先生の本。これはとても読みやすく、また “研究に近い” トポロジーを経験できる。

• 多様体の基礎

日本人で、幾何をやる人はほぼ全員(一部なら)読んだことがあると思われる本。ダンディな 松本幸夫先生による、とても丁寧な解説(これを読んで、説明がくどいわ!と思うようになっ たらいい感じ)。ただ、授業でも多様体はやるだろうからその意味では焦って読む必要はない かも。

2020年11月8日日曜日

数学とRPG

数学はRPGのようだとよく例えられる。
新しい定理や概念を覚えることは、新しい武器を手に入れたり、
新しい魔法を覚える感覚に近い。
RPGならば、新しい武器や魔法を手に入れる他に、強さを増す方法がある。
レベルアップだ。ひとは、いつレベルが上がるのか。
色々な意見があると思うが、僕が思うに、人のレベルは感動した時に上がる。
数学をやっていると、議論がわからなくて数時間、数日、数週間、・・・。
長い時間考え続ける必要がでてくる。
長い思考の末に、考えていた問題に秩序を見出し、「意味不明」だった議論が「ほとんど自明」になる瞬間がある。
少なくとも僕はそんなとき、とても喜び、楽しいと感じる。感動がある。
心が動くと、座っていられなくなってお散歩へいく。ちょっとした勝利の行進である(ひとりだけど)。
感動が大事な学問ならば。
巷でよく言われる「正解が一つでつまらない」「無機質で合理的でお堅い」そんなイメージとはだいぶ違うだろう。
(数学の世界に長くいると忘れがちだが、世の人は本当にこんなイメージで数学をみているようである)
心が動くためには、感性が必要だ。
感性はつかみどころがなく、結果として驚くほど簡単に``忘れられる''。
ふとした風に肌がふれる心地よさに気付き、感動したりしないだろうか。僕は、よくある。
何度も同じように感動してしまうのは、僕が愚かだからかもしれない。
(僕の)感性は本当にすぐ、大事なものを忘れてしまう。たぶん、忘れてはいけないものもたくさんあるはずだ。

と、ここまで書いてふと思った。
授業というスタイルはどうしても、技や魔法の伝達に重きをおきがちだ。
レベルアップは確かに「自分でするもの」かもしれないが、
そんな視点があっても良いかもな、などと思っている。

2020年10月31日土曜日

はっけん

 え?もう寒い?

秋よー、あっという間だなー。。

と思っていたら帰ってきた気がする。秋。

最近、ちょっと良い数学を"思いついて"喜んでいた。もう、と言うべきか、まだ、と言うべきか、数学をはじめて12年、ひとまわり。大学卒業後からなのでスタートは遅い。

こんな数学を思いつくなんて、長くやってきた甲斐があるなーと思ったりしたけれど、違う違う。

思いついた、だなんてウソ。それじゃあ僕からでてきたみたいじゃないか。
たまたま出会っただけだ。
その上、ぼくはうっかりもので出くわした数学を書き留めるときに小さなミスをたくさんするから数学の姿をつかみ損ねる。
ある程度書けて、ここまで書けたら、その先で容易に想像できそうな箇所がたくさんあっても、目を凝らしてウンウン唸って、なんとか復元できる(そこでもミスる)。
たくさんの周りの人に助けてもらって、どうにかこうにか形になる。

僕の力を超えて、色々できる感じが数学っていいなあと思っている。

最近、なぜか気分が乗って野菜や果物をたくさん机に並べている。りんご、かき、みかん、アボカド、かぼちゃ。いろいろ。
特に僕は何もしていないけれど、みんなだんだん熟れていく。美味しいタイミングが見たり、触ったり、においでわかるようなってきて、楽しい。数学が熟れていくさまと、似ている気もする。僕は何もしていない。ただ、いい感じになったときに、美味しくいただくのだ。

という気分で研究をしている今日この頃。
秋らしいかなと思っている。いいか悪いかわからないけれど、僕は好き。

2020年9月12日土曜日

謳い文句

トポロジー、双曲幾何、そして数値計算。
最近になって機械学習との関連で注目を浴びていると聞く。
でも、この講義ではそんな最近のトレンドは出てこない。
トポロジー、双曲幾何、そして数値計算。
なあ、これらを使ってお金が儲かりそうなことを考える前に、
やるべきことがあるだろう?
トポロジーも双曲幾何もそして数値計算も、
震えるほどに、面白いんだ。
気づいているだろう。
どれだけやる気があって、どれだけ能力があって、どれだけ努力しても。
ただただ楽しんで、夢中になっている奴には敵わない。
楽しんでるだけで、努力してるだなんて微塵も思っていない、そんな奴がいるんだ。
楽しむ。それは、特別な人だけが持つ特権なのか?
そんなことはないだろう。
このレクチャーの目標は、楽しさを伝えることだ。
いつも思っていることがある。
講演とか、授業とか。「わかりやすい」が売り文句になりすぎだ。
赤ん坊にとって、世の中はわからないもので溢れている。
何一つ、わかりやすくしてくれなくたって、
赤子は、言葉を覚え、考え、どんどん吸収していく。
なぜか。
世界がどうしてもわかりたいと思えるほどに、魅力的だからだ。
講演や授業は、わかりやすくなくていい。ただ魅力的であればいいんだ。


どうか聴きにきて欲しい。
トポロジーに、双曲幾何に、そして数値計算に。
僕が、夢中にさせてやるよ。
学ぶことが楽しくて仕方がないと、そう思わせてやるよ。
そうしたならば、あとは楽しむだけだろう?

すみません、とても調子に乗りました。こんな気分でお話しします。

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お話ししていません。いつか実現すると良いなと思っています。

2020年8月29日土曜日

情報の伝達速度

 数学の発表では黒板が好まれる。
100人を超える聴衆がいたとしても、黒板で発表することは往往にして選ばれる。
なぜか?
もちろんスライドを用意して巧みに発表する人はゼロではない。
けれど、実感として9割のスライド発表は聞く気が起きない。
一つの理由としては、「早すぎる」ことが挙げられる。
一度に大量の情報を提示できてしまうために、「伝わった気」になりやすい。
情報を見せることと、伝えることのギャップに気づきづらい。
黒板発表では、文字を書くスピードに限界がある。
(注:その限界は想像よりも上にあり、マシンガンのようにチョーク音を響かせる人はたくさんいる。それでも、スライドとは比べ物にならないほどに、伝わる)
他にも、「再現性」も大切らしい。
黒板発表では文字は普段自分が書くのと同じように再現される。
それが頭に残りやすいらしい。
きちんとした証拠を調べたわけではないけれど、実感としてはとてもよくわかる。
黒板。なにより、数学がその人の体から溢れ出てきている様子をまさに見ることができる。
これがとてもよい。道具に頼って失って欲しくないものだ。

もう一つ、黒板発表を僕がオススメしたい理由は「効率」だ。
一見スライド発表の方が効率が良さそうに思えるかもしれない。
しかし、プレゼン資料の作成には膨大な時間がかかる。
少なくとも僕には「やってられない」。
黒板発表だったら、せいぜい発表時間と同じ時間があればいい。
とりあえず発表練習をしてみて、文献や説明がスムーズにいかないところを一度見直せば十分だ。
僕なんか結構準備なしで発表している。
逆に言えば、時間をかけるべきは「理解」であり、
十分な理解ができていない事を発表「できない」がゆえに、黒板は良い。
「スライドがあると安心だから」
よく聞くその理由は黒板発表に挑戦して失敗するよりも、はるかに多くのものを失っている事を知ってほしい。
成長の機会。それより大事なものが他にあるのかい。

少なくとも英語では講演のことを「Talk」という。
「プレゼンテーション」ではなく「トーク」。会話である。
会話がしたい。資料を見せられると、会話になりづらい。
"プレゼン"資料って言ってしまうだろう?

もうあんまり隠す必要もないと思うので正直に言うと、僕はほとんどのスライド発表を聞いていない。
面白くないし、疲れるから。
通常だったら特に問題はない。結局、数学的に面白い講演はほとんど板書だ(卵?鶏?)。
今はオンラインでスライド講演が増え(僕は黒板発表を中継していますが)どうにも困っているけれど。まあ、聞いてなくてもバレないので大丈夫である。

板書が、手書きが、生身が。
一番効率よく、情報を伝える分野があると言う事を知ってほしい。
めちゃめちゃ格好よくない?
カッコイイよ!
数学やろうぜ!

2020年8月16日日曜日

授業のエンタメ化

 今年は、授業をエンタメ化した。
オンラインなのをいいことに、フィルターを使って
女の子に
子供に
おっさんに(もともとおっさん)
なった。
他にも雑談で授業とは関係ない話をした。
オフィスアワーも開いて学生さんとなんでもないお話もした。
毎週の課題ではちょっとした大喜利のお題のようなものを出した。
一緒に集めた感想で、僕のおふざけは好意的に受け取ってもらえていることを知った。

ぜんぶ、オンラインだからやったことだ。
正直に言えば
僕は授業のエンタメ化には反対だ。
普段は雑談もしないし、変に仮装したりなんて、もちろんしない。
無駄に楽しませたりはしない。

遊んだ方が評判がきっと良くなるだろうとは思っていた。
実を言うと、授業を本当に初めてやっていた頃は、ちょっと工夫をしたりしていた。

そのうちに、気づいた。
これ、いらないんだ。
受け入れられないと言う意味ではない。
ただ、感じ取った空気があった。

僕が本当に伝えたいと思って、懸命に数学の話をすると、学生は聞く。
一生懸命、聞く。それがこちらに伝わるほどに、真剣に。
この本気の視線を感じ取ってからは、ふざけるのをやめた。
エンタメは、いらん。
実際、あまりにエンタメ化が過ぎると結局授業の内容が頭に残らないと言う研究も聞く。
楽しかった記憶のほうが残るからね。

学生には、小細工なしの本気の授業はちゃんと届く。
無駄話のような、小手先のテクニックは使わない。
それが、僕の決断だった。

そして、すべてがオンラインになった。
最初は、こだわりを大事にしていた。
けれど、途中で限界を感じた。

なにより、「何も返ってこない」。
そして、学生も、僕も家からほとんど出られない日々が続き、退屈していた。
じゃあ、仕方ない。
そう思って始めたエンタメ化は、とても楽しかった。
フィルターはすごいや。
雑談も、伝えたい「熱」はいつもあって、それを言葉にできてよかった。
全部を詰め込まないと、もたないと感じていたから、だいたい全部を使った。
立派にネタが切れてひいひい言っている頃に、前期が終わった。

楽しかったけれど、よかったら聞いてくれ。

本気で、命をかけて、真剣に「学ぶ」ことは、
その何倍も、何十倍も楽しい。

エンタメ化で本当の楽しさを覆い隠してしまって、申し訳ないと思っている。
早く、いつも通りが戻るといいなあ。