2018年6月16日土曜日

W杯 対戦国

ワールドカップが始まりましたね!

ワールドカップは今まであまり
知ることがなかった国を知るチャンス!

ということで、対戦相手について調べてみました!

6/19 コロンビア
コロンビア共和国
人口:約4800万人
言語:スペイン語
通貨:コロンビア・ペソ(1ペソ≒0.04円)
FIFA ランク:16位

コロンビア出身の数学者をさがしてみると
アメリカのコロンビア大学の数学者が
たくさん出てきます。
なぜ名前が同じなんだろうと調べてみると
コロンブス由来の場所がコロンビアと呼ばれているそう。
ぼくの師匠がコロンビア大学で学位をとっているので
ちょっと親近感です。

6/24 セネガル
セネガル共和国
人口:約1500万人
言語:フランス語
通貨:CFAフラン(1フラン≒0.2円)
FIFA ランク:27位

東京都の人口が約1400万人らしいです。
同じくらいですね。
「セネガル 数学者」で検索したら
セネガルの人間国宝である打楽器奏者の方がでてきました。
「リズムの数学者」らしいですよ。
実はコロンビアもらしいですが、主食はオコメとのこと。
今回、日本が入ったグループHのうち
次のポーランドをのぞいてオコメの国です。

6/28 ポーランド
ポーランド
人口:約3800万人
言語:ポーランド語
通貨:ズウォティ(1ズウォティ≒30円)
FIFAランク:8位

ポーランドは強そうです。
ポーランドはたくさん数学者を輩出しています。
有名なのはバナッハさん。バナッハ空間などに名前が残っています。
バナッハ空間は彼が博士論文で導入した概念だそうです。
バナッハ・タルスキのパラドクスのタルスキさんもポーランド。
ぼくは知りませんでしたが(学部が数学じゃないから許してください)
ツォルンの補題はクラトフスキ・ツォルンの補題とも呼ばれるらしく
このクラトフスキさんもポーランド出身。
ちなみに、ですが関東地方の人口は約4300万人で
ポーランドより多いです。

サッカーも数学もとても強いポーランド。
数学頑張ります。
サッカーも頑張って欲しいです!

今日はここまで!

2018年6月9日土曜日

マナブワケ

人はなぜ学ぶのか。
なんで勉強しないといけないの?

この問いに対する答えは
沢山あって
研究などをして、生活しているぼくらは
きっと''自分なり''の答えを
持っている必要があると思っている。

これを学ぶと、こんな風に役に立つんだよ。
この理論は、こんなところで実は使われているんだよ。

そんなよく聞く答えに
ぼくは全然こころときめかない。

とりあえず、もし先生という立場で
生徒から、そんな質問をされたら
きっとそれは
「仕事とわたし、どっちが大事なの」
というのと同じで、
そんな質問させてごめんねと
そう思うべきだと思っている。

いま、学んでいることが
新しい世界を開いて
いままで見たことのない景色へつながると
そう感じてもらえるように、したい。

それでも、答えを求めるならば
ぼくは
「自分の足で、あるくため」
と、そういいたい。
こう使えるとか、こう役に立つとかは
誰かが、歩いた足跡の話。

誰も進んだことのない
だけれども、自分が信じる道がみえたとき
一歩を踏み出せるか
踏み出した先でやっていけるか。

誰も進んだことのないその道を進むには
何が必要か、何が役に立つのか
誰もわからない。
だから、いろいろ準備する。
チャンスを掴めるのは、準備ができているやつ。
学校で習うのは
こんなのが役に立つのではないかと
そうやって、色々な人が集めた
先人たちの経験。
使えるかもしれないし、使えないかもしれない。
学ぶことは確かにあるはず。

もうひとつ、そうやって
「学び」をきちんと続けていけば
きっと、一歩を踏み出す勇気になる。

何が起こるか
どんな困難があるか
わからない。

けれど、ずっと学んできた経験があれば
何が起きても、そこから学んで
きっと進んでいけると
そう思えるのではないかと。

七転び八起き
転んで、立ち上がるときにより学べるように
まずは、なんでもないときから学んでみるのが
きっといい。

ぼくの高校の校訓は
九転十起
転んだ後に学ぶ力がついてれば
最後に立ち上がりさえすれば
きっと、転んだ数だけ強くなる。

2018年6月3日日曜日

ココロはケガをする

一昔前、ぼくがダメになったときの話です。
書きたいのは、そのあとどう戻ったか。
正直言うと、いまでもその途中なので、どう戻ろうとしているか。
すこし長くなります。

はじめに、これは自分の器を計りきれず、
考えなしに様々なことを引き受けてしまった自分自身の失敗であり、
周りにいて下さった方々は何も悪くないということを断らせてください。

研究に、プライベートに、すこしだけきついプレッシャーがありました。
思えば、実際に体に症状がでる2−3年前から''種''は育っていました。
うまく集中できない期間がだんだんと長くなり、
いつしか集中ってどんなふうかわからなくなっていました。
すこしずつ育った''芽''にいくつか大きなプレッシャーが重なり、
自分でわかる''反応''がでました。
人が近づいてくる、電車に乗るといったことが本気で怖くなりました。
駅のホームで、あ、あと一歩跳んだらもうぜんぶ考えなくて良くなる、
なるほどな。と思ったりしました。
ただ、本当にひとはこんな風になるんだと、
どこか外から見ている自分もいて、
その意味では壊れきってはいなかったのかもしれません。

ぼくはそれが、うつ、とよばれることを認識していて、
そして無理をしない、自然に触れるなど、治すのに良い方法を知っていて、
さらに、かなり自由の利く状況だったこともあり
そこまで悪くならずにすみました。

紫陽花の季節で、家から近かった鎌倉や江ノ島を散策して、
優しい方に巡り合ったりもして、数ヶ月で''普通''の状態までは戻りました。

しかし、そのあともう一度、全力で前に進もう
そう思ったぼくに声が聞こえるのです。


おまえは一度 ダメになった人間 もうがんばっては いけない


実際、全力で走ろうとすると、''つまずき''ました。
聞こえる声は説得力をまし、後戻りしてしまうことを繰り返しました。
巷にあふれる声も、そんなとき、頑張るなというのです。

幸か不幸か、''普通''でもそれなりに前に進みました。
でも、ぼくはここ(数学と工学3)を知っていて
なにより、この感覚(考えるということを考える)を
ずっと感じられなかった。

がんばりたい、でも、がんばれない。

過ぎていく日々、
''普通''には進む自分。

これでいいのかもな。
ぼくは、こんなもんなのかもな。

走ろうとしてはダメになる自分。

いまの自分を受け入れよう、
受け入れさせようとも思いました。

1年ともう少し、そんな風に過ごして、
ようやく、そんな自分を受け入れようと思い始めたそんなとき、
心のずっと奥で、ずっと押さえつけられながらも
燻っていた火種が叫びました。

イヤだ まだ走れる 走りたい


そんなことを言われても、走るとまたダメになるんよ。


そんな中、大きな失敗もしました。
論文にミスが見つかり、ひどく自分を責めました。
救いだったのは、これ以上ないと思うほどの優しいレフリーレポート。

時間がかかってもいい。直して、もう一度もってこい。みてやる。


数週間ほど、走らされるように、走れた。
けど、ミスは直らなかった。

ぼくは、当然のようにまた、走れなくなりました。



***


あれはたしか井の頭線、明大前付近、いつかの春。
ふと、ああ、これはケガなんだと、
なんの前触れもなく思った。

カラダと同じようにココロもケガをする

いろいろなことがすっと理解できた気がした。


いま、自分がうまく走れないのは、
足首をネンザしたまま、走れないのと同じ

きっと、一番ダメだったときぼくは''骨折''していた。
それだとたしかに、一歩も動けない。

ネンザは厄介。
頑張れば走れてしまうから
そして走るともれなく、悪化するから。

足首ならまだ良い、悪くなったらちゃんと痛い
どうして動けないかよくわかる。

でもココロは、なにも言わず、
なんなら乗り越えてみろよと言わんばかりの反応をだして、
そうでいて、無理するとちゃんと動かなくなる。


一筋縄にはいかなそうだけれど、ケガだったら。
ぼくは元陸上部。ヒザをケガして手術して、それでも続けていた。
ケガの後、どうすればいいのかを、知っている。

きちんと治して、治った後も
走る前、走った後、きちんとケアをする。

いろいろな意味があってはじめたこのブログですが、
ひとつは、''アイシング''。
いろいろな刺激で動いたココロを、
冷やして、自分が''置いておきたいところ''に
きちんと置きなおすために、書いています。

なるほどな、と思った。
そして、「前」がだんだん、みえてきた。

うつになるような、ダメになってしまうような人間は
弱い奴だとどこかで思っていた。
弱い自分は頑張ってはいけないと。

ケガだと思うと、そんなことはなかった。

アスリートはみな、どこかしら、
もしくはいたるところ、ケガをしている。
手術が必要になり、長期間動けなくなることもある。

彼らはカラダが弱いのか?

そんなことは、ない。

普通なら、逃げ出してしまうほどの負荷から逃げなかったから、
普通なら、たどり着けないような境地を目指して、努力をしてきたから、

それでなお、走り続けるから、
ケガもするんだ。

誰よりも、強いから、
ケガもするんだ。

一番厳しい自分は、認めてくれなかったけれど、
たしかに結構、がんばってきた。

そういえば、いろいろな人に支えられてもいた。
もともと生意気なぼく
不安定になってより生意気になっていた。
友人も、ひとまわりも、ふたまわりも上の人たちも
腹も立っただろうに、変わらず接してくれていた。

勉強を、研究を続けたかったのに、辞めていった友達もたくさんいた。
辞めて行く友達が、去り際に言った

まさいをみて、はじめて勉強することがカッコいいことだと思えた
いつかまた、飲もう

たぶん一生忘れない。


ケガなら治る。
折れた骨は、くっつく。
より強くなる。


走りたい 走らなきゃ


閉じ込められていた、燻った火種を外に出してみた。
酸素に触れると、ちゃんと燃えた。

この火はそんなに強くないことを知った。
風や雨が来たら、ちゃんと守ってやらないといけないと知った。

でも、守ってやればまだまだちゃんと、燃えるらしい。

よかった。
ぼくはまだ、走れる。


そう思って、もう数年。
少しずつ走って、論文のミスは直せた。
一番のお気に入りができた。

まだまだ探り探り。
だけど、ぼくはいま、元気で楽しい。
そして、ちょいちょい走ってる。

よかった。

本当はケガなんてしないで、日々過ごせれば一番だけど、
もしかしたら誰かの役に立つかもしれないので、
置いておきます。

きっと、大丈夫。

2018年5月26日土曜日

サイエンスカフェ

東北大学サイエンスカフェというので
講演します。

http://cafe.tohoku.ac.jp/cafe/basic-science/180711.html

数学者は「数学にできるもの」を日々探している。
芸人さんが日常に笑いを探すように。
笑いのある日々と同じくらい
数学のある日常も
きっとよいもの。
簡単な数学から大学レベルの数学まで
言われないと気づかないけれど
確かにそこにある数学を紹介していきます。

いままでブログに書いて来たことをもとに
いろいろお話しします。

数学があると
何気ない日常がちょっと変わってみえる。

そんな考え方を紹介しつつ
トポロジーって何か、どんな風に応用されるのか
そんなお話しをします。

みなさま、ぜひ。


2018年5月19日土曜日

繕い裁つ人

映画をみて考えたこと。
あまり内容には踏み込みませんが、
ネタバレ等がいやなひとはすみません。

















繕い、裁つ、ひとの話。
先代の洋服を、ただひたすら直す。
着る人の思いに寄り添って
服を直していく。
物語はそこから
主人公が新しい出会い
周りの人の変化
いろいろなきっかけを積み重ねて
ついに、''自分の手''で
布に触れるまでを描く。

そんな物語をみながら
自分の数学に対する向き合い方について
ずっと考えていた。

ぼくらは新しいものを生み出さないといけない。
さもなければ、''次''はない。

既に出来上がっているもの
それを学ぶのはそこから新しいものを生み出すため。

だから、ついつい
議論に隙はないかとか、
見過ごされている一般化はないか
だとか
''悪いところさがし''をしてしまう。

繕い裁つ人
既に出来上がっている洋服を
尊い、守り
本当に必要なところだけを、直す。

最近、そんな風に他の人の論文を
読んだことがあっただろうか。

そんな風に、むかしのもの、を
大切に、大切にしてきた人が
最後の最後に、自分で洋服を作った。

ぼくはその洋服はどんなに素敵だろうかと
そのものを見ずして、わくわくした。

ぼくがいつか作る、''あたらしいもの''が
そんなふうに、人にわくわくを与えられたら。

そう思うと、ぼくにはずいぶん
足りないものあると

悲しいんだか、嬉しいんだか、
なんとも言えない、そんな心地になった。

2018年5月12日土曜日

風薬

季節の変わり目に風邪をひいた。

と言っても、夕方に体調が悪くなり
一晩ぐっすり寝たら良くなった。

夜、横になりながら
薬を飲むか考えた。

どうやら最近のぼくは体調の二階微分で
薬を飲むかを決めるらしい。

微分というのは変化のスピードで
体調の一階微分はどれくらいの速さで体調が変化しているか。
それが、マイナスであれば徐々に悪くなる。
プラスであれば回復していく。
もう一回、微分すると二階微分。
体調の変化のスピードがどれくらい変化するか。
例えば、一階微分がマイナスで体調が
少しずつ悪くなっていたとしても、
二階微分がプラスなら、体調が悪くなる速度は徐々に落ち着き
いつしかプラスに転じる。
そうなれば一晩寝れば、すっきり治る。

10代も終わりの頃
ようやく体調そのものを
感じることができるようになった。

20代、段々と体調の変化の速さ
一階微分が大事であって
それを感じるようになってきた。

いま、30代
二階微分を感じて、そこがマイナスだったら
薬を飲もうと思っている。

あぁ、変なことを言っているな
自覚はしています。

でも、おすすめ。

2018年5月6日日曜日

常識

常識にとらわれるな!

よく言いますね。
常識ってなんだろうと
昔から考えていました。

常識的に考えて無理
常識外れなことするな

多分、こんな使われ方をする''常識''には
とらわれないほうがいい。

常識って、ただただ悪なのだろうか。

常識のある人
これは、褒めてる?
それとも、つまらないやつ、ってこと?

常識を疑え
だんだん、それっぽくなってきた気がする。
全部が全部間違っているわけではないんだよね。

それで、ぼくがたどり着いた、ひとつの解釈は
常識は「無駄に失敗しないための知恵」

先人たちが、さんざん繰り返してきた失敗を
君たちこうしときな、と
残してきたものが、常識かなと。

たくさん学ぶことがあるけど
いつでも正解なわけでもない。

常識にとらわれない数学
できるようになりたい。

そのためにも
常識的な数学
もうちょっと勉強しないといけないかなと
思ったりしています。