2018年1月13日土曜日

考えるということを考える

今日は「集中」すると言うことについて。
20代前半のときは自分でもよく「集中」出来ていたなと思うのですが
その「集中」はよく聞くそれとは、少し違う、気がするというおはなし。

気がついたら朝だった。

そんな"集中"をよく聞きます。
しかしぼくは、もちろん通常よりは頭は動いているが
上手く集中できて"いない"ときに
あっという間に時がたったと感じると思っています。
単純作業、計算、プログラミング。
頭は動いているような、止まっているような。

考えてみると、そんな"集中"は
「時間」に「感覚」が置いて行かれている。


ぼくが、「集中」できたと思うとき、
1時間や、30分といった、短い時間に
ものすごい沢山のことが「わかる」。

いつもなら数時間、もしかしたら月単位で得たであろう感覚を
"一瞬で"得る。

時間に対して,自分が非常に"速く"動く。

これは何なのだろうと思い、考えて、ふとこれは
スポーツでよく聞く「ゾーン」に近いのかもしれないと思う。
この「集中」を目指したい。
スポーツで、時間に対して自分が置いて行かれてはいけない。
きっと、「考える」でもおなじ。

「集中」すると言うことを「潜る」と表現する人がいる。
「3月のライオン」とか。
数学者でもそのような記事を書いているひとが。

なるほど、と思う。
潜ったときは時間がゆっくり流れる。
1分がとても長く感じる。
1分にいろいろなことを感じる。
感覚が冴える。
そして、とても心地よい。

思い返すと、
周りの音がいつもよりよく聞こえ
雑音に「弱く」、静寂を欲する。
そんなときに、よく「集中」していた。
いろいろ冴えちまう、そんな感じ。

「気づいたら朝」の集中は「何も聞こえなく」なり
きっと、少し、違うもの。

その「潜る」時間、「ゾーンに入る」時間の量が研究者として
大事なんだろうと思っていたし、今でも思っている。

実は,20代半ばを過ぎた頃から数年、ほとんど「そこ」には行けなくなった。

今は、たまに、です。

その辺の話は、また今度。