続きです。(数学と工学1はこちら)
「わからない」ことが「おもしろい」につながったのはラッキーでした。
ひとつ、きっかけは囲碁やスポーツ
囲碁は基本的に「わからない」。
最近のAI の発展で明らかになったことは
トッププロでさえ囲碁を「わかって」いなかったということ。
だからこそ、おもしろい。
スポーツもどんなトレーニングをすれば強くなれるのか、
わからないことが多い。
高校時代、囲碁やスポーツに夢中になって、「それでもわかりたい」と
試行錯誤したのが、それはもう、楽しかった。
たくさん調べて、納得がいかないところは自分で考えたりした。
その道へはすすめなかったけれど、
「こうやって生きていけたら」となんども思っていた。
そしてもうひとつ、それでも、授業で教えられているということは
きっと頑張ればわかるんだろうということ。
幸運は重なって、日本は(英語圏以外で)世界的にみてもめずらしい
「母国語で書かれた大学レベルの本」
が多種多様にある場所だったのです。
数学の本を手に取り、どこかで聞いたか読んだか、
こんな勉強をしました。
まず定理を理解して、定理の主張だけを書いた紙を作る。
次の日、定理の主張だけ書いた紙だけをみて証明を自分で考える。
終わってから先に進む、もちろん主張だけ書いた紙を作りながら。
日々、繰り返しました。
囲碁を勉強していた時、プロの対局を一度碁盤に並べて、
少し経ったあと、何も見ないで並べ直す。
そんなことを高校時代やっていたことを思い出していました。
そして、うまく並べられないところは、理解できていないところ。
数学も全く同じでした。(この勉強法、とてもオススメです)
少しずつ、授業がわかるようになっていきました。
もしかしたら、むかし、追い求めていた生き方が、
数学をやればできるんじゃないか。
期待で気合も乗ってきていました。
(どうしよう、たぶんこれ結構)つづく