2020年1月18日土曜日
幾何化予想
僕の研究しているトポロジーは「柔らかい幾何学」とよばれる。しかしながら、幾何学と呼ばれてはいるものの、トポロジーの肝は形の「幾何」を忘れることにある。この「忘れる」という考え方が、数学において本質を掴むために大事な操作の一つである。例として「1+1」と「2」という二つの表現について考える。1+1という表現は2がどうやってできたか、すなわち2の成り立ちについての情報を持っている。何かが一つ、他に何かが一つあって、その結果として2を得たと「1+1」は教えてくれる。それは、100÷50でもなく、5−3でもなく、1+1である。単に2と表現するより、1+1と表現したほうが情報の量が多いのだ。その情報を「忘れる」操作が計算であり、1+1を=2と計算することにより、2の成り立ちを忘れる、捨てることができる。「自分にとって本当に大切なもの」以外をすべて捨て、心の底から思い入れがあるものだけに囲まれて生きると、心地が良い。ヨガの哲学からくる考え方を断捨離と言うらしい。数学において、色々な情報を忘れたい、捨てたいと思う考え方はこの断捨離に近い。数学には様々な、「忘れる」技術がある。沢山の情報を忘れ、捨てたあとに「残っているもの」が大切なのだ。トポロジーは、形から「幾何」という量的な情報を捨てることにより、形の本質に迫る数学である。起源はオイラーがケーニヒスベルクの橋の問題を解決するのに、グラフ理論を創始したところにあるらしい。グラフ理論は、つながりの数学だ。ある種の「つながり」に距離は関係がないと、オイラーは発見した。長さという幾何を、捨てたのだ。そうして始まったトポロジーを大きく進展させたのが「ポアンカレ予想」で有名なポアンカレだ。ホモロジーやホモトピーの考え方を発見し、トポロジーを研究する礎を築いた。トポロジーは幾何を捨ててしまっているので、そこから計算できる量を取り出すのが非常に難しい。ホモロジーやホモトピーは、トポロジーから計算可能な対象を取り出す、画期的なアイデアだった。そのポアンカレがどうしても解けなかった問題として有名なのが「ポアンカレ予想」だ。3次元球面はホモトピーの、たったひとことの言葉で特徴付けられると予想したのだ。この問題は、多くのトポロジーの研究者、トポロジストを惹きつけた。約80年の時を経て、ポアンカレ予想に新しい視点を与えたのがサーストンだ。ポアンカレ予想の解決に向けてサーストンが提唱したのが「幾何化予想」である。幾何は形の長さ、角度、体積などの量的な情報を与える。その幾何を忘れることにより、形の「質」に迫ったトポロジー。サーストンは、研究を突き詰めていくと、実は形の本質を捉えるトポロジーが、何か特別な幾何を決める例があることに気づいた。これが「幾何化」と呼ばれる考え方である。ポアンカレ予想は、空間が丸い場合に関する予想だが、「幾何化予想」は全ての3次元空間に関する主張であった。問題を大きな枠組みの一部としてとらえ直すことで、その実態に迫った。トポロジーから決まる「本質的な幾何」があれば、かたちの「質」を「量」で調べることができる。この「本質的な幾何」は、トポロジーを調べるのに有効なだけでなく、とても綺麗であった。「幾何化予想」は、幾何化が標準的な分割のあと、いつでもできると主張している。一度捨てた幾何が、トポロジーの研究の先に、綺麗な姿で、そこにいるだろうと。