ひとは、迷う。
ぼくも、迷う。
お昼、何食べよっかな。
今日、何を着よっかな。
明日、どこ行こっかな。
何を勉強しようかな。
どの大学に行こうかな。
どんな数学をしようかな。
何をして生きていこうかな。
人生の、目標?
数学の価値とは?
生まれてきた意味とは?
悩むのは大事なことだ。ぼくも、そう思う。
ただ最近、ちょっと気になる。
びっくりするぐらいに、共感の時代だ。
わかるー!
そうそう!そうだよね!僕もさ・・・
こんな感じで居ると、多くの人に好かれると誰かが発見した。
そして、悩みは、容易に共感を生む。
「だから」悩んでいる人がいるように見える。
そのままでいいよ。
答えなんていらないさ。
悩んでいる人に言葉をかけて、"優しい"コミュニケーションの出来上がりだ。
かんたんかんたん。
そんな優しさを求めて、悩んでいる人がいる、ように見える。
それもたくさん。
悩むことが、その先の共感が目的の、いわばプロだ。
プロ迷い人たちは、決して答えを出さない。
答えを出したら、悩みに"共感"して一緒にいてくれる人たちが離れていく。
敏感な彼らは、しっかりそれを知っている。
だから、決して答えを出さず、出そうともせず、悩む。プロとして。
悩むことは大切だ、悩まずに決めた答えは、浅くなる。
でも、悩むのは、答えを出すためだ。それは忘れちゃいけない。
そして、答えを出すことは、そのほかを、捨てることだ。
怖い、勇気がいる。苦しい。
「だから」悩むんだ。
それでもさ。
逃げないで、向き合あうんだ。
答えを出すために。
きっと大丈夫だから。
答えを選んだ結果、離れる人はいるかもしれないけれど、その選択から生まれる出会いも必ずある。一緒に悩む友達は大事だ。でも、答えを出したら離れていくようなら、それは、そういうことだ。自分の出した答えと一緒に生きていける人も、いつかきっとみつかるだろう。
寄り添うことも優しさだ。
けど、優しさは、それだけじゃない。
覚悟を持った答えをきっと僕は見たいのです。
いや、わかるけどね。大変だし、ひとはそう簡単に決心できないし。
答えを決めるのは怖いし。
こういうのが、世に溢れすぎではないかい?
と思った話でした。