不要不急と言う言葉が叫ばれて久しい。
必要なもの、というのは何か?も考えたいが、ひとまず置いておきます。
現状僕がインターネットに対して感じている感覚をまとめておきます。
インターネットでは、オンラインでは"必要な"情報にしか触れられない。
「""」をつけた。
オンラインショッピングでは、目的の商品に一発でたどり着ける。
お店では目的の商品が見つからず、色々物色しているうちに"必要でない"ものを手に取る。
文献を探すにしても、検索してお目当の文献があればおしまいだ。
図書館に行けば本来の目的には"不要な"文献にたくさん触れる。
オンラインで、"必要のないもの"に触れ続けるのは難しい。
世界のセミナーがオンラインで開催されている。
いくつか参加しているが、自分の研究と直接の関係を見出せないオンラインセミナーに参加するのは難しい。
僕の体感ではほとんど不可能だと思う。
研究集会で、自分の研究と直接関係のない話を聞くのも"必要でない"。
そう感じながらも、お世話になってる先輩だったり、
たまたま巡り合わせで一緒に飲んだ研究者さんだという理由で話を聞いてみる。
僕だけかもしれない。けれど、「その場にいれば」こんな遊びがとても楽しい。
実を言うと、僕が最近よく研究している「タイヒミュラー空間」(宇宙際ではないです)
はその大部分を、そんな「耳学問」で学んだ。
初めは自分の研究との関連が見出せず、ただなんとなく聞いていた
"必要のない"話が、いつしか自分の研究の中心テーマになった。
そうして、教育に思いを馳せる。
教育現場で習うことは、そのほとんどが"必要のない"ことだ。
喫緊の課題と感じて学んでいる人は、ほとんどいない(社会人学生さんはそう、かも?)。
本来は、それでいい。僕も長いことそうやって、なんとなく学んだ。
けど、今はオンラインだ。
"必要でない"ものに触れるのに、それをオンラインでやることにおける課題は多い。
一つ、受講側へアドバイスをするならば、なるべく対話をするといいと思う。
大勢が参加する授業で発言をすることは、恥ずかしいかもしれない。
けれど、そこは「がんばりどころ」だ。
何回か勇気を出して発言すればきっとすぐ慣れる。
そして、もうひとつ。
授業でガンガン発言したとして「調子に乗ってる。うざい。」などのイメージをもたれるかもしれないが、
積極的に授業に参加している人間に対してそんな感想を持つ相手とは、そもそも付き合わない方がいい。
大丈夫、きっと仲間はいるよ。
とにかく、何もせずに見ているだけならオンライン授業は時間と目の浪費に近い。
(最近、僕はとても目が辛い)
自分で教科書や参考書を読んだ方が、情報を集め、知識を得るだけならずっと効果的だ。
自分の声で質問をすれば"無駄な知識"に触れる際におそらく大切な「肉体的な感覚」を少しでも得られるように思う。
そうして得た"無駄な知識"がどうして必要なのか。
なんとなく伝わっていると嬉しいけれど、
ちょっと長くなったので、またの機会に詳しく。