多くの人が初めてオンライン授業を受けている、している。
僕も初めてで大変だ、と思っていたのだけれど、ふと思い出した。
18年前、2002年、僕は中学3年生。
インターネットが世の中に普及し始めた頃、
思い返せば僕は「オンライン授業」を受けていた。
中高は陸上部で走高跳をやっていた。
弱小部で顧問の先生はほとんど練習に来ない。
入部当初はよかった。先輩や、たまーにやってくる顧問の先生のアドバイスが役に立った。
記録も少しずつ伸びていった。
ところが中学3年生になると(中高一貫にもかかわらず)、走高跳をやる先輩はいなくなり、稀にやってくる顧問の先生も専門は投擲で、レベルが上がると頼りにならなくなった。
記録も伸びなくなった。
そんなとき、僕はインターネットを知った。
当時のネットはビデオ通話なぞ夢のまた夢で、「メール」と「ホームページ」がようやく広まった程度(調べたらネット普及率65%くらいだったらしい)。
今では危ない人がたくさんいるネットの世界は、「新しい物好き」の魅力溢れる人たちであふれていた。
面白いテキストサイトがたくさんあったし、まだ「検索対策」があまり広まっておらず検索結果でトップのサイトはどれも面白かった。
僕はとある大学で走高跳を専門に研究している大学院生さんのホームページを見つけた。
「学生の指導をしています。興味がある方はメールをください」
僕は恐る恐る、メールを送った。
「中学3年生です。指導者がいません。走高跳を教えて欲しいです」
メールで技術的なことに関する質問や課題を送ると
練習メニューや、新しい練習方法などを教えてくれた。
それを実践し、また質問してアドバイスをもらう日々。
練習中は一人だったから、自分で練習の意味や効果をずっと考えていた。
アドバイスの意味も試行錯誤で自分なりに解釈していった。
意味が「わかる」瞬間がたまに訪れる。とても、楽しかった。
そのうちに僕はHTMLを覚え、自分のホームページを作った。
練習内容と感想を書き溜めて、メールでお知らせした。
褒めてもらえると思っていたのに
「練習への感想が甘い。ふざけているように見える」
怒られた。でも、本当にその通りで、反省した。
そんなやりとりが1年ほど続いた後のGW、高校初めての大会で僕は自己ベストを大きく更新した。
メールで知らせると、まるで自分のことのように喜んでくれた。
嬉しかった。
メールだけであったけど、あれはきっと、オンライン授業だったと思う。
その後すぐ、僕は怪我をして、走高跳を断念せざるをえなくなった。
やりとりは終わってしまった。
それでも、一度も会ったことのない先生とのメール、
それを元にした練習の日々は本当に楽しかった。結構結果も出た。
走高跳をやっててよかったなと思うのは、自己ベストを出した日が
「人生で一番高く跳んだ日」
になることだ。響きが好きだ。
だからGWはいつも気分がいい。それは今年だって変わらない。
オンライン授業が僕にくれたもの。
技術が発展して色々できる。オンラインでも、僕でも
なにか、できるかもしれないと、思わせてくれた、思い出。
がんばります。