文章が書けない。
誰にも言われなくても、あんなに書いていた文章が、書けない。
別に仕事でもなんでもないし、書かないと誰かが困るわけでもないのだけれど。
でてこない。
理由は知っている。四角い画面を見過ぎなのだ。
そんなに、小さな画面ばっかりみなさんな。
外をみてみい。世界は広がってるさ。
って、言いたい!言いたいのだ!ずっと言ってきたのだ!
無題!
2020年4月28日火曜日
2020年4月19日日曜日
科学と文化
或る日「突然」失われた日常が戻ることはないだろう。
戻るとしたら、徐々に、ゆっくり、少しずつ。時間をかけて。
僕個人の予想だと、ながーい時間がかかる。
その時に、何を戻し、何を変えるべきか。
科学と文化が協力して、考えたら素敵だ。
科学は「何ができるか」を
文化は「何をすべきか」を
それぞれ提案して。
何ができるかが分からなければ、何をすべきか、分からない。
何をすべきかが分からなければ、何を作ればいいか、分からない。
科学が、文化が、芸術が、大切に扱われるべきだと言うならば
こういう時に進むべき「未来」を提示して見せる必要がないか?
オンライン技術はほとんど全部、外国産で
アーティストや芸術家は、なんか「文句」と「いいね」ばっかり集めてる。
もちろん、全てがそうではないだろうし、難しい、苦しいのもわかるけど。
だいたいは、残念ながら。
かく言う自分も、なんにもない。
ただ。
数学は、科学と文化の中間地点にいるはずだ。
数学は科学の基礎である。
同時に、数学の研究は文化的だ。
「正しさ」の感覚。
先が見えない時に「正しさ」を嗅ぎ分ける嗅覚。
きっと役に立つはずだ。
ひとまず目の前の課題として、
どうやって学生を学校に来れるようにするかを考えている。
半分?1/10? 一部だけでも、なるべく早く教室で授業をするための方法を考えている。
オンラインと対面の両立が必要だ。黒板を中継するための方法、実は大体できている。
この騒ぎは年単位で続くと思っていて、その間、新入生が
入学して一度も大学で授業を受けられない期間が続くのは違うだろう。
いつまでも何もしないわけにはいかない。
「できること」を探していくべきだと思う。
「スペースに余裕がある教室での授業」などは「できること」ではないか?
少なくても「すべきこと」だと僕は思う。
今はまだ早いにしても、社会全体として、どこかで舵を切る必要がある。
「できること」と、「すべきこと」を、きちんと考えて。
一方で、僕たちは大きく学んだこともある。
淀んだ空気はきれいになり、濁っていた川は透明さを取り戻した。
変えられないと思っていたことは、いとも簡単に変わった。
元どおりに戻す必要はないし、正直、戻してはいけないものもたくさんあるだろう。
命についても考える必要があるだろう。
「助けられるはずの命」という言葉を度々目にする。
いずれ失われると。
いま、実際のところは救われた命のほうがずっと、ずっと多いだろう。
命が人間だけのものじゃ、ないならば。地球は少し、きれいになった。
3月の中旬頃に英語で「地球にとってのウイルスが人間であり、コロナはそのワクチンである」というツイートが回ってきた。極論かもしれないけれど、この類の主張が「日本語」で表現されているのが散見されるようになったのは本当に最近だ。
海外がいつでも正しいとは言わない。
僕はこだわって、日本に居座っている。いいところがたくさん、たくさんある。
世界中で、「課題」が浮き彫りになった。
そのほとんどが、「やればできる」ことだったように思う。
考え方の、心の問題だった。
ずっと思っていた。物質的な豊かさはもう限界で、これ以上追い求めても結局苦しくなるばかりではないかと。
一方で、精神的豊かさは大いに、大いに成長の余地がある。
きっと、そういう時間だ。
さあ、世界が、日本が、僕が。
何を考えるか、正直に言えばとても楽しみである。
戻るとしたら、徐々に、ゆっくり、少しずつ。時間をかけて。
僕個人の予想だと、ながーい時間がかかる。
その時に、何を戻し、何を変えるべきか。
科学と文化が協力して、考えたら素敵だ。
科学は「何ができるか」を
文化は「何をすべきか」を
それぞれ提案して。
何ができるかが分からなければ、何をすべきか、分からない。
何をすべきかが分からなければ、何を作ればいいか、分からない。
科学が、文化が、芸術が、大切に扱われるべきだと言うならば
こういう時に進むべき「未来」を提示して見せる必要がないか?
オンライン技術はほとんど全部、外国産で
アーティストや芸術家は、なんか「文句」と「いいね」ばっかり集めてる。
もちろん、全てがそうではないだろうし、難しい、苦しいのもわかるけど。
だいたいは、残念ながら。
かく言う自分も、なんにもない。
ただ。
数学は、科学と文化の中間地点にいるはずだ。
数学は科学の基礎である。
同時に、数学の研究は文化的だ。
「正しさ」の感覚。
先が見えない時に「正しさ」を嗅ぎ分ける嗅覚。
きっと役に立つはずだ。
ひとまず目の前の課題として、
どうやって学生を学校に来れるようにするかを考えている。
半分?1/10? 一部だけでも、なるべく早く教室で授業をするための方法を考えている。
オンラインと対面の両立が必要だ。黒板を中継するための方法、実は大体できている。
この騒ぎは年単位で続くと思っていて、その間、新入生が
入学して一度も大学で授業を受けられない期間が続くのは違うだろう。
いつまでも何もしないわけにはいかない。
「できること」を探していくべきだと思う。
「スペースに余裕がある教室での授業」などは「できること」ではないか?
少なくても「すべきこと」だと僕は思う。
今はまだ早いにしても、社会全体として、どこかで舵を切る必要がある。
「できること」と、「すべきこと」を、きちんと考えて。
一方で、僕たちは大きく学んだこともある。
淀んだ空気はきれいになり、濁っていた川は透明さを取り戻した。
変えられないと思っていたことは、いとも簡単に変わった。
元どおりに戻す必要はないし、正直、戻してはいけないものもたくさんあるだろう。
命についても考える必要があるだろう。
「助けられるはずの命」という言葉を度々目にする。
いずれ失われると。
いま、実際のところは救われた命のほうがずっと、ずっと多いだろう。
命が人間だけのものじゃ、ないならば。地球は少し、きれいになった。
3月の中旬頃に英語で「地球にとってのウイルスが人間であり、コロナはそのワクチンである」というツイートが回ってきた。極論かもしれないけれど、この類の主張が「日本語」で表現されているのが散見されるようになったのは本当に最近だ。
海外がいつでも正しいとは言わない。
僕はこだわって、日本に居座っている。いいところがたくさん、たくさんある。
世界中で、「課題」が浮き彫りになった。
そのほとんどが、「やればできる」ことだったように思う。
考え方の、心の問題だった。
ずっと思っていた。物質的な豊かさはもう限界で、これ以上追い求めても結局苦しくなるばかりではないかと。
一方で、精神的豊かさは大いに、大いに成長の余地がある。
きっと、そういう時間だ。
さあ、世界が、日本が、僕が。
何を考えるか、正直に言えばとても楽しみである。
2020年4月11日土曜日
センス
オシャレが苦手だ。
キライでなく、ニガテ。上手にできない。
どんな服を着れば良いのか?
素敵なインテリアとは?
上手にできない。でも、オシャレなものは素敵だと思う。
カフェによく行くのは、僕のニガテなオシャレをサービスしてもらえるから。
(注:これを書いたのは結構昔です)
そのほか、絵を描いたり、歌を歌ったりするのもニガテ。
面白おかしくお話しするのも得意でない。
だから、僕はずっとセンスがないんだと思っていた。
そして、評価されるものはいつもセンスに溢れてた。
センスがないと思っていた僕は、事あるごとにどこかで小さくなっていた。
だけど。気づいた。
自分のことを、自分で褒めるのは、はしたないけれど。
それでも、聞いて欲しい。
僕には、少しだけ思考のセンスがあった。
思い返すと、最初にそれを意識したのは囲碁を学んだ時だった。
僕は高校時代、1年とすこしだけ囲碁を学んだ。独学で。
そして、アマチュア六段の免状を持っている(頑張った)。
その時に使ったのが、磨かれたのが思考のセンスだった。
囲碁では、その枝分かれの数が、人間の理解の範疇を超えている。
だから、面白い。最近はコンピュータの方が上手だけれど。
全てを理解できない人間が囲碁を打つ際に使うのが、感性だ。
「一目千手」
プロ棋士が一瞬で読む手の数を自らそう評したが、実際はもっと多い。
時と場合によるが「次の3手」くらいは一瞬で見えることも多い。
中盤で150手の可能性があって、「次の3手」が瞬時に読めたら150*149*148で約330万手をみている。
そこから、一つを選んでいる。もちろん全部を見るわけでなく「感性」が教える少ない候補から選ぶ。
思考のセンスが必要だ。
今はすっかり忘れているが、当時はあやふやでつかみどころの無い局面こそに、自信があった。
感性なら負けないと思っていた。
この思考のセンスは囲碁をやることで磨かれたと思っている。
僕は高校時代、偏差値が分からなかった。
偏差値の順番にいい大学だと言われて、さっぱり分からなかった。
理屈は理解しても、分からなかった。
この「さっぱり分からない」と思えたところが、センスだ、と今は思っている。
実際、偏差値は全てではないのだから。それをきちんと感じ取っていた。
その感じ取った何かに、ちゃんと身を委ねたところがエライ(自分で言うやつ)
いま、数学を研究している。
計算能力、証明能力。全然足りない。
テーマ選びのセンスで戦っている。
テストだけなら、僕よりずっと優秀な人がたくさん、たくさんいる。
それでも、数学の研究ではちょっと評価されたりもしている。
果たしていつまでもつのか、どきどきもしている。
この感覚を磨くのに、ひとつ大事だと思っていることがある。
自分で選んで、そしてその選択に身を委ねることだ。
これはかなり、勇気がいる。失敗もする。
なるべく若いうちに、出来るだけ「選択と失敗」を繰り返すといいと思う。
若いうちなら、ほぼノーダメージだ。
確かに傷ついたり、凹んだりするけれど
少し年をとるとわかる、若い時のそれはほとんどノーダメージだ。
と言っても、いま、30代前半。今の僕でもせいぜいプチダメージだ。
どんどんやる気でいる。
多分あと10年もしたら、結構痛いんじゃないかと思っている。
それでもやる気でいるけれど。
自分の理解の範疇を超えた選択のなかから、何かを選ぶ。
そんなセンスがある。ただ、それだけを言いたかっただけなのに、アホみたいに自慢してしまった。
この辺のところは、本当にセンスがない。
キライでなく、ニガテ。上手にできない。
どんな服を着れば良いのか?
素敵なインテリアとは?
上手にできない。でも、オシャレなものは素敵だと思う。
カフェによく行くのは、僕のニガテなオシャレをサービスしてもらえるから。
(注:これを書いたのは結構昔です)
そのほか、絵を描いたり、歌を歌ったりするのもニガテ。
面白おかしくお話しするのも得意でない。
だから、僕はずっとセンスがないんだと思っていた。
そして、評価されるものはいつもセンスに溢れてた。
センスがないと思っていた僕は、事あるごとにどこかで小さくなっていた。
だけど。気づいた。
自分のことを、自分で褒めるのは、はしたないけれど。
それでも、聞いて欲しい。
僕には、少しだけ思考のセンスがあった。
思い返すと、最初にそれを意識したのは囲碁を学んだ時だった。
僕は高校時代、1年とすこしだけ囲碁を学んだ。独学で。
そして、アマチュア六段の免状を持っている(頑張った)。
その時に使ったのが、磨かれたのが思考のセンスだった。
囲碁では、その枝分かれの数が、人間の理解の範疇を超えている。
だから、面白い。最近はコンピュータの方が上手だけれど。
全てを理解できない人間が囲碁を打つ際に使うのが、感性だ。
「一目千手」
プロ棋士が一瞬で読む手の数を自らそう評したが、実際はもっと多い。
時と場合によるが「次の3手」くらいは一瞬で見えることも多い。
中盤で150手の可能性があって、「次の3手」が瞬時に読めたら150*149*148で約330万手をみている。
そこから、一つを選んでいる。もちろん全部を見るわけでなく「感性」が教える少ない候補から選ぶ。
思考のセンスが必要だ。
今はすっかり忘れているが、当時はあやふやでつかみどころの無い局面こそに、自信があった。
感性なら負けないと思っていた。
この思考のセンスは囲碁をやることで磨かれたと思っている。
僕は高校時代、偏差値が分からなかった。
偏差値の順番にいい大学だと言われて、さっぱり分からなかった。
理屈は理解しても、分からなかった。
この「さっぱり分からない」と思えたところが、センスだ、と今は思っている。
実際、偏差値は全てではないのだから。それをきちんと感じ取っていた。
その感じ取った何かに、ちゃんと身を委ねたところがエライ(自分で言うやつ)
いま、数学を研究している。
計算能力、証明能力。全然足りない。
テーマ選びのセンスで戦っている。
テストだけなら、僕よりずっと優秀な人がたくさん、たくさんいる。
それでも、数学の研究ではちょっと評価されたりもしている。
果たしていつまでもつのか、どきどきもしている。
この感覚を磨くのに、ひとつ大事だと思っていることがある。
自分で選んで、そしてその選択に身を委ねることだ。
これはかなり、勇気がいる。失敗もする。
なるべく若いうちに、出来るだけ「選択と失敗」を繰り返すといいと思う。
若いうちなら、ほぼノーダメージだ。
確かに傷ついたり、凹んだりするけれど
少し年をとるとわかる、若い時のそれはほとんどノーダメージだ。
と言っても、いま、30代前半。今の僕でもせいぜいプチダメージだ。
どんどんやる気でいる。
多分あと10年もしたら、結構痛いんじゃないかと思っている。
それでもやる気でいるけれど。
自分の理解の範疇を超えた選択のなかから、何かを選ぶ。
そんなセンスがある。ただ、それだけを言いたかっただけなのに、アホみたいに自慢してしまった。
この辺のところは、本当にセンスがない。
2020年4月4日土曜日
がんばってマスク・手洗い・いろいろ自粛
「がんばってマスク・手洗い・いろいろ自粛」というのはちょっと危険だ。
人は、必ず「がんばれなく」なるからだ。
一ヶ月ならば「がんばれる」。
けど、おそらくこの騒動は最低半年、個人的には数年単位で続くと思っている。
その期間、頑張り続けるのは不可能だ。
とくに、マスク・手洗い・いろいろ自粛は予防だ。全く結果が見えない。
数年間「全く結果が出ない努力」をしたことはあるだろうか?
奇しくも数学は"そういう"分野だ。
僕が初めて論文を書いたのは、修士2年間の後、博士課程の1年目の終わり。
約3年、全く結果が出なかった。
人生をかけた挑戦だと思っていたのに、徐々にがんばれなくなって、
それが、自分の弱さに見えて、とても辛かった。
今は少し分かっている。人は、必ず「がんばれなく」なる。
だから、「がんばれなくても、続けられる」よう
「自分改革」を少しずつだけど、ずっとやっている。
「いかにして続けるか」
それをいま「がんばって」考えるといいと思う。
繰り返すけれど、この状況に「年単位で対応する方法」が必要だ。
楽に、楽に。できたら本来の目的とは外れた、別のモチベーションもあったらいい。
僕は気楽に
「遠隔授業の技術というのは面白いおもちゃだなー」などと
遊びながら楽しく生きているが、決して舐めている訳でもふざけている訳でもない。
数年続けるということの難しさを少し、知っているだけだ。
「数学の役に立ち方」というのはこう言う経験もあると、こっそり思っているのです。
なんでもそうかもしれないけどね。
人は、必ず「がんばれなく」なるからだ。
一ヶ月ならば「がんばれる」。
けど、おそらくこの騒動は最低半年、個人的には数年単位で続くと思っている。
その期間、頑張り続けるのは不可能だ。
とくに、マスク・手洗い・いろいろ自粛は予防だ。全く結果が見えない。
数年間「全く結果が出ない努力」をしたことはあるだろうか?
奇しくも数学は"そういう"分野だ。
僕が初めて論文を書いたのは、修士2年間の後、博士課程の1年目の終わり。
約3年、全く結果が出なかった。
人生をかけた挑戦だと思っていたのに、徐々にがんばれなくなって、
それが、自分の弱さに見えて、とても辛かった。
今は少し分かっている。人は、必ず「がんばれなく」なる。
だから、「がんばれなくても、続けられる」よう
「自分改革」を少しずつだけど、ずっとやっている。
「いかにして続けるか」
それをいま「がんばって」考えるといいと思う。
繰り返すけれど、この状況に「年単位で対応する方法」が必要だ。
楽に、楽に。できたら本来の目的とは外れた、別のモチベーションもあったらいい。
僕は気楽に
「遠隔授業の技術というのは面白いおもちゃだなー」などと
遊びながら楽しく生きているが、決して舐めている訳でもふざけている訳でもない。
数年続けるということの難しさを少し、知っているだけだ。
「数学の役に立ち方」というのはこう言う経験もあると、こっそり思っているのです。
なんでもそうかもしれないけどね。
2020年3月28日土曜日
遠隔授業と肌感覚
遠隔授業の担当になった。
Zoom 委員。ズームインだ。
授業はできる。課題のやりとりもできる。
きっとなんとか回るだろう。
工夫次第では、通常の授業ではできない面白いこともできそうだ。
ただ。考えれば、考えるほど、僕は対面授業が好きだ。
立場上、演習の授業が多い。基本的には問題をみんなで解いてもらう。
ワイワイ話しながらできるのが「大学」という場所のいいところだろう。
目の前にいるからこそできる、無駄な話もきっと大事だろう。
僕はいまだにパソコンなどの画面からあまり情報を頭に入れられない。
結局、板書や紙でないと頭に入らない。
だから、これは応急処置だ。
一つの空間にいられるのならば、それに越したことはない。
でも、応急処置がいま、必要だ。
だから、やる。
遠隔授業は独学と近い。
もちろん質問はできるのだけど、それでもどうしても「居る」空間が違う。
独学だったら、動画を見るより本を読んだ方が本当は効率がいいと個人的には思う。
このブログにも何度か書いたけれど、
数学の基礎の多くを独学した僕が苦労したのが「肌感覚」だ。
最初は何が問題なのかさっぱりわからなかった。
努力の量なら、なかなか負けていなかったけれど、それでもうまく結果が出なかった。
僕に足りていなかったのが「数学を学ぶ場」に長く居ることによる「肌で感じる感覚」だった。ワイワイガヤガヤ、みんなで一緒に問題を考えるような時間が足りていなかった。
正直、今でもそれは感じている。
なんとかごまかしているけれど。
だから、どうか知ってほしい。
遠隔授業では伝わらないものがあることを。
これは、応急処置で、便利だけれど
全部が終わった後に「これでいいや」とはならないでほしい。
最初は舞台があって、映画ができて、テレビができて、インターネットができて。
どんどん後に続くものが下火になってきても、
なくならないのはちゃんと価値があるからだ。
きっと同じだろう。
いったん対面授業はかなり減ると思うけれど、これは残すべき大切なものだ。
これだけを書いておきたかった。
これを書いて、今は全力で、遠隔授業を進めていきたい。
Zoom 委員。ズームインだ。
授業はできる。課題のやりとりもできる。
きっとなんとか回るだろう。
工夫次第では、通常の授業ではできない面白いこともできそうだ。
ただ。考えれば、考えるほど、僕は対面授業が好きだ。
立場上、演習の授業が多い。基本的には問題をみんなで解いてもらう。
ワイワイ話しながらできるのが「大学」という場所のいいところだろう。
目の前にいるからこそできる、無駄な話もきっと大事だろう。
僕はいまだにパソコンなどの画面からあまり情報を頭に入れられない。
結局、板書や紙でないと頭に入らない。
だから、これは応急処置だ。
一つの空間にいられるのならば、それに越したことはない。
でも、応急処置がいま、必要だ。
だから、やる。
遠隔授業は独学と近い。
もちろん質問はできるのだけど、それでもどうしても「居る」空間が違う。
独学だったら、動画を見るより本を読んだ方が本当は効率がいいと個人的には思う。
このブログにも何度か書いたけれど、
数学の基礎の多くを独学した僕が苦労したのが「肌感覚」だ。
最初は何が問題なのかさっぱりわからなかった。
努力の量なら、なかなか負けていなかったけれど、それでもうまく結果が出なかった。
僕に足りていなかったのが「数学を学ぶ場」に長く居ることによる「肌で感じる感覚」だった。ワイワイガヤガヤ、みんなで一緒に問題を考えるような時間が足りていなかった。
正直、今でもそれは感じている。
なんとかごまかしているけれど。
だから、どうか知ってほしい。
遠隔授業では伝わらないものがあることを。
これは、応急処置で、便利だけれど
全部が終わった後に「これでいいや」とはならないでほしい。
最初は舞台があって、映画ができて、テレビができて、インターネットができて。
どんどん後に続くものが下火になってきても、
なくならないのはちゃんと価値があるからだ。
きっと同じだろう。
いったん対面授業はかなり減ると思うけれど、これは残すべき大切なものだ。
これだけを書いておきたかった。
これを書いて、今は全力で、遠隔授業を進めていきたい。
2020年3月14日土曜日
こどく
誰もやっていないことをやる。
自分にしか、できないことをやる。
それは、孤独だ。
一緒に話す仲間もいない。
誰にも理解されない。
苦しい。
なるほどな。
世の中が発達して、沢山の人が「自分だけの道」を目指せるようになった。
だから、いま、苦しむ人が多いのかもしれないなと思った。
少し前までは、個性なんて悠長なことを言う暇はなく、みんな一緒に、みんな同じ方向を向いて、みんなで一つの目標に向かうことしか、できなかった。
チーム一丸。日本が、世界が、一つになって。
素敵なストーリーも生まれていた。
それが、いま、個性に重きをおけるようになった。
みんな違う。みんな、それぞれ、良さがある。
認めることができるようになった。きっと、良いことだろう。
だから、たくさんの孤独も、生まれた。
一緒に話す仲間もいない。
誰にも理解されない。
一方で、インターネットの波に乗り、一気に広まる価値観もある。
みんな違う。みんな、それぞれ、良さがある。
そう信じていたはずなのに、あいつは多くの共感を得て。
そして、自分は。
一緒に話す仲間もいない。
誰にも理解されない。
いま、生まれた苦しみなんだ。
限られた天才の悩みだったものが、ぼくら庶民のところに降りてきた。
これまで、どの時代にもなかった出来事だ。
だから、誰もその解決方法を知らない。
だから、僕らがその答えを必死で探すのは、きっと意味があることなんだ。
見つけるのは、僕らだ。
見つかれば、きっと。
自分にしか、できないことをやる。
それは、孤独だ。
一緒に話す仲間もいない。
誰にも理解されない。
苦しい。
なるほどな。
世の中が発達して、沢山の人が「自分だけの道」を目指せるようになった。
だから、いま、苦しむ人が多いのかもしれないなと思った。
少し前までは、個性なんて悠長なことを言う暇はなく、みんな一緒に、みんな同じ方向を向いて、みんなで一つの目標に向かうことしか、できなかった。
チーム一丸。日本が、世界が、一つになって。
素敵なストーリーも生まれていた。
それが、いま、個性に重きをおけるようになった。
みんな違う。みんな、それぞれ、良さがある。
認めることができるようになった。きっと、良いことだろう。
だから、たくさんの孤独も、生まれた。
一緒に話す仲間もいない。
誰にも理解されない。
一方で、インターネットの波に乗り、一気に広まる価値観もある。
みんな違う。みんな、それぞれ、良さがある。
そう信じていたはずなのに、あいつは多くの共感を得て。
そして、自分は。
一緒に話す仲間もいない。
誰にも理解されない。
いま、生まれた苦しみなんだ。
限られた天才の悩みだったものが、ぼくら庶民のところに降りてきた。
これまで、どの時代にもなかった出来事だ。
だから、誰もその解決方法を知らない。
だから、僕らがその答えを必死で探すのは、きっと意味があることなんだ。
見つけるのは、僕らだ。
見つかれば、きっと。
2020年3月7日土曜日
一人で数学に憧れていた時に元気をもらっていた本、動画
先日の記事(一人で数学を学んだ時の覚書)でも書きましたが
僕は田舎でひとり、数学に憧れていました。
その時に元気をもらっていた本や動画を少しだけ紹介します。
お出かけしづらいならば、本を読めばいい。
リンクを貼ったのでクリックすれば関連ページに飛べます。
100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影―
ポアンカレ予想を解いたペレルマンが主役?の本。
ペレルマンは捕まらないので、ポアンカレ予想に関わった多くの(超一流)数学者へのインタビューがたくさん。あとがきの最後の一言が好き(ぜひ読んで)。
(幾何化予想に関するこの記事はかなりこの本に影響を受けている)
若き数学者への手紙
数学者が、数学を志す女の子、メグに向けて数学の面白さ、価値を伝える手紙をまとめたもの(実際に送った手紙ではなく、おそらく「そういうスタイル」の本)。
幼いメグに向けたものから、だんだんと成長していくメグへ、数学者として生きる楽しみや、ちょっとしたコツなどがとても良い語り口でまとめられている。
動画(こっちは数学は直接関係ないけれど、この二つの動画に大学生の時に出会えたことはとても幸せであった)
「最後の授業」ランディ・パウシュ
余命半年を宣告された、超人気教授(バーチャルリアリティが専門)が、最後に伝えたいこと、というテーマで話した1時間の講演。正直、一つの映画をみるより、おすすめ。「夢を叶える」とは?壁にぶつかった時、どう乗り越えたか?「人生が終わるその瞬間まで、楽しむことをやめない」かっこいいですよ。
スティーブ ・ジョブズ・スタンフォード大・卒業式スピーチ・2005年
こちらはとても有名な動画。ぜひ上の動画と合わせてみてほしい。
どちらも、「死」の裏返しとしてみることで、生きることを、本当の意味で生きるとはどういうことかを強く考えさせてくれる。
これらに影響を受けて僕はよく問いかけていた。
Do something to Live? Live to Do something?
人生は一度きりである。どう生きるのか。
人はいつ死ぬかわからない。今日と同じ明日が来る保証はどこにもない。
そんなことを強く意識させるこのご時世に何を考えるのか?
きっと、大事だと思う。
僕は田舎でひとり、数学に憧れていました。
その時に元気をもらっていた本や動画を少しだけ紹介します。
お出かけしづらいならば、本を読めばいい。
リンクを貼ったのでクリックすれば関連ページに飛べます。
100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影―
ポアンカレ予想を解いたペレルマンが主役?の本。
ペレルマンは捕まらないので、ポアンカレ予想に関わった多くの(超一流)数学者へのインタビューがたくさん。あとがきの最後の一言が好き(ぜひ読んで)。
(幾何化予想に関するこの記事はかなりこの本に影響を受けている)
若き数学者への手紙
数学者が、数学を志す女の子、メグに向けて数学の面白さ、価値を伝える手紙をまとめたもの(実際に送った手紙ではなく、おそらく「そういうスタイル」の本)。
幼いメグに向けたものから、だんだんと成長していくメグへ、数学者として生きる楽しみや、ちょっとしたコツなどがとても良い語り口でまとめられている。
動画(こっちは数学は直接関係ないけれど、この二つの動画に大学生の時に出会えたことはとても幸せであった)
「最後の授業」ランディ・パウシュ
余命半年を宣告された、超人気教授(バーチャルリアリティが専門)が、最後に伝えたいこと、というテーマで話した1時間の講演。正直、一つの映画をみるより、おすすめ。「夢を叶える」とは?壁にぶつかった時、どう乗り越えたか?「人生が終わるその瞬間まで、楽しむことをやめない」かっこいいですよ。
スティーブ ・ジョブズ・スタンフォード大・卒業式スピーチ・2005年
こちらはとても有名な動画。ぜひ上の動画と合わせてみてほしい。
どちらも、「死」の裏返しとしてみることで、生きることを、本当の意味で生きるとはどういうことかを強く考えさせてくれる。
これらに影響を受けて僕はよく問いかけていた。
Do something to Live? Live to Do something?
人生は一度きりである。どう生きるのか。
人はいつ死ぬかわからない。今日と同じ明日が来る保証はどこにもない。
そんなことを強く意識させるこのご時世に何を考えるのか?
きっと、大事だと思う。
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