辞書にはたくさんの言葉が順番にならんでいます。
最初の一文字目を比べて、同じだったら二文字目、・・・
どこかで「先に出てくる」文字があれば、辞書でも先に出てきます。
"先に出てくる"数字は小さいです。
同じように先にでてくる言葉も``小さい''ことにする、
あい<あお<かお・・・
と不等号の記号で書くことができます。
同じことを、「数字のペア」で考えてみます。
$(0,1)<(0,2)<(0,100)<(1,0)$とさっきと同じように
最初の一つ目の座標($(a,b)$なら$a$)を比べて、同じだったら二つ目の数字を比べます。
辞書と同じように決まるので、これを辞書的順序とよんだりします。
この順序をみて、ぼくはとてもしみじみしたのです。
「目の前の壁」を乗り越えていけば、いつかはきっと到達できる。
とくに理由もなくそう思っていたのが"間違い"であると辞書的順序はいうのです。
$(0,0)$ の「目の前の壁」を越えると$(0,1)$。
一万回乗り越えて$(0,10000)$ となっても $(1,0)$ と
$(0,0)$からたった一つ数字を変えたものに絶対に"勝てない"のです。
あいうえお、なら大丈夫。
おわり、があるから、いつかは"繰り上がる"。
でも数字は無限個あって、おわりがないのです。
だから、"そのまま"では、
絶対にたどり着けない場所が、
生まれてしまうのです。
なんとなく、目の前のことに追われて
「頑張ってるつもり」になること。
本当はこのままではいけないと思っているのに、
"少し前に進む" からなんとなく続けていること。
それらは決して目標へ続く道へとはならない、
そんなことがあるのだと知りました。
二つの数字のペアを考えたから"上の"座標は一つでした。
でももしかしたら、10個、100個、もしかしたら無限個、座標があるかもしれません。
努力は正しい方向に向けないといけないのだと、辞書的順序に教わったのです。
新しい理論を学ぶと、身近なことが新しい目で見える、初めての経験でもありました。
あいうえお。
2017年7月15日土曜日
2017年7月8日土曜日
ミチハバ
藤井四段の連勝のニュースをみてミーハー心で対局の解説を見てみました。
囲碁と将棋は似ているようで、
対局終盤の''道幅''がけっこう違うようにみえましたというお話を。
将棋も囲碁も、先に王将をとる、陣地をとるという点で
レースに似た面を持つゲームです。
対局の際、幾つか岐路がみえることがよくあります。
近道だけれども、ミチハバが狭い道。
少し遠回りだけれども、ミチハバが広い道。
道を踏み外し、''落ちて''しまったらそれまでの苦労も台無し。
一気に追い抜かれます。
アマチュアの対局の多くは
最後に''落ちた''ほうの負けです。
囲碁は終盤に近づくにつれて、(ものすごい僅差の碁をのぞいて)
ミチハバはどんどん広くなっていきます。
将棋はミチハバがどんどん狭くなる。
というか、そもそも普段通っている
ミチハバが囲碁より一回り狭いようにみえました。
ぼくは将棋はあまり詳しくないですが、すくなくとも囲碁は
ミチハバの狭い道を華麗に渡ることも大切ですが、
「見逃しやすい」ミチハバが広くて近道でもある''よい''道が
たくさんあるゲームかなと思います。
狭い道を華麗に歩くのに大切なのはテストで良い点をとるのと同じような
しっかり確認して、ミスをしないという力です。
一方で、隠れた''よい''道を見つけるのに必要なのは
経験やセンスからくる感覚。
狭い道を歩くのが苦手なぼくは、どうにかして感覚を磨こうと努力しました。
そのためにやっていたことを書いたのがどっぷりとです。
数学をやっていても同じことを思うことが多々有ります。
華麗な計算を駆使して新しい理論を作ることにも憧れます。
でも、そういう計算その他が苦手でも、
隠れたミチハバの広い面白い道がみつかることがあるのです。
そんな隠れ道をみつける、見かけたらちゃんと気づく。
いつも気をつけています。
この道、素敵でミチハバ広くて面白いのに、
だーれも通ってないな。
そんな道を歩いていきたいのです。
囲碁と将棋は似ているようで、
対局終盤の''道幅''がけっこう違うようにみえましたというお話を。
将棋も囲碁も、先に王将をとる、陣地をとるという点で
レースに似た面を持つゲームです。
対局の際、幾つか岐路がみえることがよくあります。
近道だけれども、ミチハバが狭い道。
少し遠回りだけれども、ミチハバが広い道。
道を踏み外し、''落ちて''しまったらそれまでの苦労も台無し。
一気に追い抜かれます。
アマチュアの対局の多くは
最後に''落ちた''ほうの負けです。
囲碁は終盤に近づくにつれて、(ものすごい僅差の碁をのぞいて)
ミチハバはどんどん広くなっていきます。
将棋はミチハバがどんどん狭くなる。
というか、そもそも普段通っている
ミチハバが囲碁より一回り狭いようにみえました。
ぼくは将棋はあまり詳しくないですが、すくなくとも囲碁は
ミチハバの狭い道を華麗に渡ることも大切ですが、
「見逃しやすい」ミチハバが広くて近道でもある''よい''道が
たくさんあるゲームかなと思います。
狭い道を華麗に歩くのに大切なのはテストで良い点をとるのと同じような
しっかり確認して、ミスをしないという力です。
一方で、隠れた''よい''道を見つけるのに必要なのは
経験やセンスからくる感覚。
狭い道を歩くのが苦手なぼくは、どうにかして感覚を磨こうと努力しました。
そのためにやっていたことを書いたのがどっぷりとです。
数学をやっていても同じことを思うことが多々有ります。
華麗な計算を駆使して新しい理論を作ることにも憧れます。
でも、そういう計算その他が苦手でも、
隠れたミチハバの広い面白い道がみつかることがあるのです。
そんな隠れ道をみつける、見かけたらちゃんと気づく。
いつも気をつけています。
この道、素敵でミチハバ広くて面白いのに、
だーれも通ってないな。
そんな道を歩いていきたいのです。
2017年7月1日土曜日
数学のやり方
ぼくは最初の論文を書くのが遅い人でした。
簡単に言うと、工学から純粋数学へ移るという、
なかなかどうして頭のおかしいことをやったのが理由です。
でも、ぼくはかなり「準備をして」数学の世界へ飛び込みました。
大学院に入りたての段階で、
基礎知識は博士課程に進むつもりで研究してる友達と比べても
それほど劣るものではなかったかと思います。
でも、今となってみると「数学のやり方」をわかっていなかった。
とくに、大学4年間を数学科で過ごすと''自然''に身につく
感覚のようなものがどうやらあるようです。
準備がそれなりにできていて、セミナーなどを順調にこなしたぼくがいざ、
研究の段階に入ると、急に何もできなくなりました。
何かが足りない。
そう気がついたのは大学院の4年目(標準は5年)のはじめくらいでした。
共同研究者や周りの人にそれを''補って''もらいながら、
それが何か、わからないままに博士号をもらいました。
きっかけ一つで、論文なんていくらでも書けるようになる
拠り所にしていたアドバイス。
博士号を取った後、
ぼくはその何かを、きっかけを掴む必要がある。
そう思い、一人で研究をするように心かけていました。
苦労して、失敗して、少しだけその「何か」がつかめた感じがした。
それは、数学がひとりでに動きだしたときでした。
ぼくが間違えても、数学はそれを教えてくれて、
正しい方向まで示してくれる、そんな経験。
きっとまだまだいろいろあるのでしょうが、
少し前に進んだ気がしたのでした。
簡単に言うと、工学から純粋数学へ移るという、
なかなかどうして頭のおかしいことをやったのが理由です。
でも、ぼくはかなり「準備をして」数学の世界へ飛び込みました。
大学院に入りたての段階で、
基礎知識は博士課程に進むつもりで研究してる友達と比べても
それほど劣るものではなかったかと思います。
でも、今となってみると「数学のやり方」をわかっていなかった。
とくに、大学4年間を数学科で過ごすと''自然''に身につく
感覚のようなものがどうやらあるようです。
準備がそれなりにできていて、セミナーなどを順調にこなしたぼくがいざ、
研究の段階に入ると、急に何もできなくなりました。
何かが足りない。
そう気がついたのは大学院の4年目(標準は5年)のはじめくらいでした。
共同研究者や周りの人にそれを''補って''もらいながら、
それが何か、わからないままに博士号をもらいました。
きっかけ一つで、論文なんていくらでも書けるようになる
拠り所にしていたアドバイス。
博士号を取った後、
ぼくはその何かを、きっかけを掴む必要がある。
そう思い、一人で研究をするように心かけていました。
苦労して、失敗して、少しだけその「何か」がつかめた感じがした。
それは、数学がひとりでに動きだしたときでした。
ぼくが間違えても、数学はそれを教えてくれて、
正しい方向まで示してくれる、そんな経験。
きっとまだまだいろいろあるのでしょうが、
少し前に進んだ気がしたのでした。
2017年6月24日土曜日
からだのこえ
ある意味で、研究生活はスポーツだと思っています。
試合開始の笛は産声、終了は、終わったとき。
その中で、体調を管理するのは大事なこと。
今日は自己流ですが、体調について気づいたことを。
体調不良、倦怠感、疲労感には大きく分けて要因が
内にある場合
外にある場合
のふた通りがあると思います。
内、は筋肉、内臓、または心の調子が実際に悪いとき
外、は季節の変わり目、軽いストレスなどで体が反応しているとき
難しいのは内か、外かで対処法が大きく異なる
もしくは、ほぼ正反対であろうこと。
内、の場合は休養が必要。
エネルギーを節約する方向。
外、の場合は逆に気合をいれて自分を「正しいリズム」に戻す。
エネルギーをガンガン使うのが有効かと思います。
問題は「間違える」とどちらの場合もかなり悪化するということ。
原因が外なのに、エネルギーを抑えて受け身になっていると
外的要因はどんどん体にダメージを与え続けて、
じきに内まで侵食してくる。
もっと悪いのは、原因が内のときに無理に頑張ること。
そうすると休養が必要なほど弱った体、心は壊れます。
見極めは難しく、日々自分の調子と向き合うことが大切だなと。
なんだか数日体調が悪くて、休んでも一向によくならず
なるほどこれは梅雨のせいか!
と気合を入れたら元気になりました。
からだのこえ、を正しく聞くのは難しいですね。
試合開始の笛は産声、終了は、終わったとき。
その中で、体調を管理するのは大事なこと。
今日は自己流ですが、体調について気づいたことを。
体調不良、倦怠感、疲労感には大きく分けて要因が
内にある場合
外にある場合
のふた通りがあると思います。
内、は筋肉、内臓、または心の調子が実際に悪いとき
外、は季節の変わり目、軽いストレスなどで体が反応しているとき
難しいのは内か、外かで対処法が大きく異なる
もしくは、ほぼ正反対であろうこと。
内、の場合は休養が必要。
エネルギーを節約する方向。
外、の場合は逆に気合をいれて自分を「正しいリズム」に戻す。
エネルギーをガンガン使うのが有効かと思います。
問題は「間違える」とどちらの場合もかなり悪化するということ。
原因が外なのに、エネルギーを抑えて受け身になっていると
外的要因はどんどん体にダメージを与え続けて、
じきに内まで侵食してくる。
もっと悪いのは、原因が内のときに無理に頑張ること。
そうすると休養が必要なほど弱った体、心は壊れます。
見極めは難しく、日々自分の調子と向き合うことが大切だなと。
なんだか数日体調が悪くて、休んでも一向によくならず
なるほどこれは梅雨のせいか!
と気合を入れたら元気になりました。
からだのこえ、を正しく聞くのは難しいですね。
2017年6月17日土曜日
どっぷりと
数学の世界では依然として、師匠、弟子、という言葉遣いをします。
大学院でお世話になる先生を師匠、学生を弟子と呼ぶのです。
研究は冒険に似ています。
どの方向に進むのか。
どうやって困難を乗り越えるのか。
「センス」が問われるのです。
ぼくの師匠は事ある毎に
「筋が良い」「筋が悪い」
と数学を見ながら言いました。
難しいのは、それが"どうして”筋が良い/悪いのか、教えてもらえないのです。
今となって思うと、それは言葉にするのが難しいのです。
困ったぼくは一つの経験を頼りました。
囲碁も同様に「筋の良さ」が非常に大事です。
独学で囲碁を勉強した際に、効果があったものの一つが
同じ棋士の棋譜をひたすら並べる。
棋譜というのは戦いの記録。
大事な事は、一人の棋士を選び、その棋士の棋譜だけをひたすら並べること。
すると、見えてくるのです。
その棋士が何を信じて、何を頼りに次の一手を選んでいるのか。
ひとり、またひとり。
それを繰り返しました。
自分と感覚が合う棋士の棋譜を並べると、自然と"強く"なりました。
自分と感覚が合わない棋士の棋譜をならべると、不思議と"勝てなく"なりました。
そして、それでも。
そうやって得た、感覚はひとりひとり、
違うところもあれば、同じところもあります。
きっと多くのひとが共有している部分は自分も大切にするべきところ。
ひとそれぞれ異なる部分は"棋風"とよばれる。
自分がしっくりくるものを選べば良いのです。
ぼくは"同じこと"を数学でもやりました。
ひとを選んで、ひたすら同じ著者の論文を読みました。
もちろん他人にはなれません。
何人かを選んで、繰り返して、そのなかで得たものから
自分で"選ぶ"のが大事なんだろうと思います。
それがきっと自分だけの「数学の見方」、
羅針盤になるのです。
ようやく少しだけ"羅針盤"が見えてきたので大事に育てていきたいと思っています。
大学院でお世話になる先生を師匠、学生を弟子と呼ぶのです。
研究は冒険に似ています。
どの方向に進むのか。
どうやって困難を乗り越えるのか。
「センス」が問われるのです。
ぼくの師匠は事ある毎に
「筋が良い」「筋が悪い」
と数学を見ながら言いました。
難しいのは、それが"どうして”筋が良い/悪いのか、教えてもらえないのです。
今となって思うと、それは言葉にするのが難しいのです。
困ったぼくは一つの経験を頼りました。
囲碁も同様に「筋の良さ」が非常に大事です。
独学で囲碁を勉強した際に、効果があったものの一つが
同じ棋士の棋譜をひたすら並べる。
棋譜というのは戦いの記録。
大事な事は、一人の棋士を選び、その棋士の棋譜だけをひたすら並べること。
すると、見えてくるのです。
その棋士が何を信じて、何を頼りに次の一手を選んでいるのか。
ひとり、またひとり。
それを繰り返しました。
自分と感覚が合う棋士の棋譜を並べると、自然と"強く"なりました。
自分と感覚が合わない棋士の棋譜をならべると、不思議と"勝てなく"なりました。
そして、それでも。
そうやって得た、感覚はひとりひとり、
違うところもあれば、同じところもあります。
きっと多くのひとが共有している部分は自分も大切にするべきところ。
ひとそれぞれ異なる部分は"棋風"とよばれる。
自分がしっくりくるものを選べば良いのです。
ぼくは"同じこと"を数学でもやりました。
ひとを選んで、ひたすら同じ著者の論文を読みました。
もちろん他人にはなれません。
何人かを選んで、繰り返して、そのなかで得たものから
自分で"選ぶ"のが大事なんだろうと思います。
それがきっと自分だけの「数学の見方」、
羅針盤になるのです。
ようやく少しだけ"羅針盤"が見えてきたので大事に育てていきたいと思っています。
2017年6月10日土曜日
忘れた幾何
「幾何」とはきっちりかっちり決まった"かたち"です。
トポロジーは形の「幾何」、長さ、角度、面積などの量的な情報、を捨てて
残ったものをしらべよう。
そんな考え方でした (昔の記事、「1+1と2」もよければ)。
そうやって、たくさんの情報を捨ててもなお、残ったなにかがあるならば
それはきっと大切だろう。
数学ではいくらでも高い次元の空間を考えることができます。
でも、不思議なことに"低次元"とよばれる
2次元、3次元の空間のトポロジーが「面白い」。
(「 次元の低い話」はトポロジーでは面白い話です)
その面白さのうち、ぼくが好きな理由が「幾何化」です。
トポロジーは幾何を忘れていた。
だけれども、低次元のトポロジーは自分に合った、
とてもきれいな「幾何」を決めるのです。
例えば球面(ボールの表面です)。
これは2次元の空間。
トポロジーではいくらでも"ぐにゃぐにゃ"変形して良いのですが、
球面が好きなのは、一番最初に思い浮かぶ「まるい」幾何。
他にいかようにでも幾何をいれることができますが
"ほおっておくと"まるくなるのが球面です。
空間のきらいな幾何を入れると、「空間がかわいそう」という先生もいます。
2次元の空間はみな、好きな幾何を持っている、
つまり「幾何化」できるということが古くから知られていました。
そして、「幾何化」はサーストンにより3次元でもできると予想され
ペレルマンによって証明されました。
ポアンカレ予想という100年以上未解決だった予想とともに。
3次元の空間も「好きな幾何」を持っているということが証明されたのです。
その中で、とても自然で、きれいな幾何になることが知られているのが、
3次元の双曲幾何、「またまたまがる」幾何です。
この幾何はなんと、トポロジーでただ一つに決まります。
トポロジーが幾何を決めるのです。
つまり、
「幾何を忘れて」形の本質にせまったトポロジーを、
「幾何を使って」研究できるのです。
一度忘れて、辿り着いた先に、そっときれいな形で、「幾何」がいるのです。
双曲幾何はとても強力で、見つけることができれば、空間の様々な性質がわかります。
では、どうやって見つけるのか?
「存在すること」の証明と、実際に見つけることには大きな差があります。
実は、それをやってくれるプログラムがあります。
SnapPea という名前のそのプログラムは近似計算で双曲幾何を計算できます。
とても面白く、様々な研究者がそれを使ってきました。
SnapPea でたくさんの双曲幾何を"もちそうに"みえる面白そうな空間が見つかりました。
ただ、数学者というのは面倒くさい生き物でもあって、
「近似計算」では証明とはみなさないのです。
じゃあどうするか?
そう、ぼくの博士論文の結果を使うのです!(笑)
精度保証計算というものをつかって
SnapPea を、数学者も「証明している」と、
まぁ納得してもらえる形にしたのが、ぼくの博士論文です。
「SnapPea の弱点を君が補ってくれた」
SnapPea の開発者にあって、気分がのって長々書いてしまいました。
トポロジーと幾何は互いに補い合って、低次元の空間を豊かにしているのです。
たくさんの共同研究者の協力もあって、ちょっといいもの作れましたという話でした。
トポロジーは形の「幾何」、長さ、角度、面積などの量的な情報、を捨てて
残ったものをしらべよう。
そんな考え方でした (昔の記事、「1+1と2」もよければ)。
そうやって、たくさんの情報を捨ててもなお、残ったなにかがあるならば
それはきっと大切だろう。
数学ではいくらでも高い次元の空間を考えることができます。
でも、不思議なことに"低次元"とよばれる
2次元、3次元の空間のトポロジーが「面白い」。
(「 次元の低い話」はトポロジーでは面白い話です)
その面白さのうち、ぼくが好きな理由が「幾何化」です。
トポロジーは幾何を忘れていた。
だけれども、低次元のトポロジーは自分に合った、
とてもきれいな「幾何」を決めるのです。
例えば球面(ボールの表面です)。
これは2次元の空間。
トポロジーではいくらでも"ぐにゃぐにゃ"変形して良いのですが、
球面が好きなのは、一番最初に思い浮かぶ「まるい」幾何。
他にいかようにでも幾何をいれることができますが
"ほおっておくと"まるくなるのが球面です。
空間のきらいな幾何を入れると、「空間がかわいそう」という先生もいます。
2次元の空間はみな、好きな幾何を持っている、
つまり「幾何化」できるということが古くから知られていました。
そして、「幾何化」はサーストンにより3次元でもできると予想され
ペレルマンによって証明されました。
ポアンカレ予想という100年以上未解決だった予想とともに。
3次元の空間も「好きな幾何」を持っているということが証明されたのです。
その中で、とても自然で、きれいな幾何になることが知られているのが、
3次元の双曲幾何、「またまたまがる」幾何です。
この幾何はなんと、トポロジーでただ一つに決まります。
トポロジーが幾何を決めるのです。
つまり、
「幾何を忘れて」形の本質にせまったトポロジーを、
「幾何を使って」研究できるのです。
一度忘れて、辿り着いた先に、そっときれいな形で、「幾何」がいるのです。
双曲幾何はとても強力で、見つけることができれば、空間の様々な性質がわかります。
では、どうやって見つけるのか?
「存在すること」の証明と、実際に見つけることには大きな差があります。
実は、それをやってくれるプログラムがあります。
SnapPea という名前のそのプログラムは近似計算で双曲幾何を計算できます。
とても面白く、様々な研究者がそれを使ってきました。
SnapPea でたくさんの双曲幾何を"もちそうに"みえる面白そうな空間が見つかりました。
ただ、数学者というのは面倒くさい生き物でもあって、
「近似計算」では証明とはみなさないのです。
じゃあどうするか?
そう、ぼくの博士論文の結果を使うのです!(笑)
精度保証計算というものをつかって
SnapPea を、数学者も「証明している」と、
まぁ納得してもらえる形にしたのが、ぼくの博士論文です。
「SnapPea の弱点を君が補ってくれた」
SnapPea の開発者にあって、気分がのって長々書いてしまいました。
トポロジーと幾何は互いに補い合って、低次元の空間を豊かにしているのです。
たくさんの共同研究者の協力もあって、ちょっといいもの作れましたという話でした。
2017年6月3日土曜日
AI
ぼくは工学部に入り、その後大学院から数学をやるという
少し変わった道を通っています。
工学部に入った理由のひとつが
「自分より強い囲碁のプログラムをつくりたい」でした。
今思うと、情報科学科に入るべきだったのですが、
当時はあんまりよくわかっていなかったのです。
当時、ぼくが知っていた人工知能や機械学習と現在のそれはもう
同じものとは思えないほどにレベルが違います。
大学一年生のときに一番強かった囲碁のソフトは寝てても勝てました。
今、フリーで落ちている囲碁のソフトにぼくは負けます。
AlphaGo にプロ棋士が完敗し、大きなニュースになりました。
最後の砦、囲碁が負けていろいろな意見が聞こえてきます。
なんというか、ぼくは結構ワクワクしている派なのです。
囲碁では伝統的に"正しい"と信じられていることがたくさんありました。
でもそれは、必ずしも、いつも正しいとは限らないとAI が教えてくれました。
なんか自由だなと思ったのです。
「こうするべき」
それは、大抵は正しいかもしれない。
けど
盤上で人々が2000年以上も研究し信じていた「こうするべき」は
そうとも限らなかった。
きっと「こうするべき」は安全。
でも、そうとも限らない、なら
やりたいように、やってみてもいいんじゃないか。
そしたら、もしかしたら。
むかしの目標が終わってしまったのをみて、
いま、何をするべきかいろいろ考えているのでした。
少し変わった道を通っています。
工学部に入った理由のひとつが
「自分より強い囲碁のプログラムをつくりたい」でした。
今思うと、情報科学科に入るべきだったのですが、
当時はあんまりよくわかっていなかったのです。
当時、ぼくが知っていた人工知能や機械学習と現在のそれはもう
同じものとは思えないほどにレベルが違います。
大学一年生のときに一番強かった囲碁のソフトは寝てても勝てました。
今、フリーで落ちている囲碁のソフトにぼくは負けます。
AlphaGo にプロ棋士が完敗し、大きなニュースになりました。
最後の砦、囲碁が負けていろいろな意見が聞こえてきます。
なんというか、ぼくは結構ワクワクしている派なのです。
囲碁では伝統的に"正しい"と信じられていることがたくさんありました。
でもそれは、必ずしも、いつも正しいとは限らないとAI が教えてくれました。
なんか自由だなと思ったのです。
「こうするべき」
それは、大抵は正しいかもしれない。
けど
盤上で人々が2000年以上も研究し信じていた「こうするべき」は
そうとも限らなかった。
きっと「こうするべき」は安全。
でも、そうとも限らない、なら
やりたいように、やってみてもいいんじゃないか。
そしたら、もしかしたら。
むかしの目標が終わってしまったのをみて、
いま、何をするべきかいろいろ考えているのでした。
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