2019年7月21日日曜日

きおく

幼なじみと話をした。彼が懐かしそうに言った。
「俺らの遊び場でさ、サンタがいるか、みんなで話したこと、まだ覚えてるんだ」
なんと、ぼくも、その話をしたことを覚えていた。
でも、どんな結論だったか二人の記憶には少しだけ齟齬があった。

「これから色々なことが記録されるようになって、こういう時、調べられるようになるのかな」
彼がそう言うのを聞いて、
昔、講義を聞いて、脊髄反射のように
溢れた思いが頭をよぎった。
ユビキタスの授業。まさに、マイクやカメラが小型化して、
全てが記録させるだろう。そんな授業だった。
「初めてのデートで、どんな会話をしたか全てわかるようになるのです」
まるでそこにロマンがあるように、講師は言った。

オムニバス式の講義。
講義の感想を書いて提出すると、それが成績になる。
ぼくは
「誰も覚えているなんて期待していない、どこにも記録されていない。だからこそ、覚えていることがロマンなんだと思う」
そんなことを書いて提出した。

毎週講師は変わる。でも他の講義でも、
自分の正直な気持ちを感想として書いた。
きちんと出席していたのにも関わらず、その授業の成績は悪かった。
提出した感想だけで成績をつけるのにも関わらず、だ。

20年前、何の気なしにした会話を、僕らは覚えていた。
これが素敵なのは、どこにも記録されていないからじゃないかな。
そう、彼にぶつけてみればよかった。
きっと面白い話ができただろうにと思う。
最近は、思考が言葉に、行動になるのにちょっと時間がかかる。

でも、あの授業で感じた「進歩」への違和感は
今でも大事にとってある。
工学から、数学へ移った、理由の一つであるなと思ったので
書き残しておくことにしたのでした。