2018年6月30日土曜日

ひろい

大槌に震災後移り住んで、頑張っている友達を訪ねた。
友達に紹介されて出会った人々はみな
とてもエネルギーに溢れていた。
ただ、大人の方がポツリとこぼした

子供と老人は新しいものにチャレンジしない
という言葉に、何か引っかかりを覚えた。

こんどやるサイエンスカフェの話を
現地の小・中学生に聞いてもらった。
とても素直な反応がとても勉強になった。
いろいろとアイデアもでてきた。

翌日は海岸沿いを旅した。
海という海は、塀で覆われていた。
堤防を登りきると開ける景色が
綺麗で、そして切ない。

ぼくの旅はいつも行き当たりばったり。
「碁石海岸入口」という囲碁好きの
ぼくの興味をひく駅があったので、降りる。
何にもないので、道ゆく人に話をきくと

こっちの道をまっすぐ行くと、碁石海岸さ
というので向かう。
碁石海岸まで約4kmあった。
田舎道を歩くのは楽しかったけど
うん、遠かった。

こんにちは。暑いねー
暑いですねー

昔の旅を思い出す挨拶をした。
どうやら碁石はないらしい。
同じ道を歩いて帰った。

友達がおすすめしていたので
「奇跡の一本松」をみた。
よかった。

広い。とても。
人の「手がついていない」場所は
草木が生い茂っていた。

塀に囲まれた海では
海鳥たちが、楽しそうに遊んでいた。


いろいろ感じて、それでも
ぼくは、ちゃんとぼくだということが
とてもよくわかった。

2018年6月23日土曜日

まくら

おまえが毎日生きてておもしろくないのは
おまえがおもしろくない人間だからだ!
小学生のころ、どこかの物語で出会った言葉である。
タイトルもどんなお話だったかも忘れてしまったので、
細かい表現はきっと違う。

ショックだった。
最近つまらないと、ずっと思っていたから。
そして、自分は精一杯やっていると思っていたから。
学校は学級崩壊していた。
友達と、お助け救助隊なるものを結成して
なんとか崩壊を食い止めようとしていた。
友達を、クラスを、ぼくらは助けたかった。
いつしか先生は、クラスが治まらないのは
ぼくらの頑張りが足りないからだと
そう言うようになった。
そうか、楽しくないのは
ぼくがつまらなくて、ダメなやつだからだ。
冒頭の言葉はアタマにずっと残っていた。

そんななか、ぼくは跳ぶこと、が好きで楽しい
ということを、みつけた。
跳ぶことで、学校の代表に選ばれ
小さな大会で優勝してメダルをもらった。
嬉しかった。
楽しい!ぼくは、楽しい!

いま、ぼくの膝は
小さい頃からの無理がたたって、ボロボロ。
半月板と呼ばれるクッションの役目をはたす
軟骨のようなものがズタズタにさけ
手術でほぼ切除してしまった。
自転車に長時間のれない。
スノボはとても楽しくて、好きだけど
一度滑ると5分は立てなくなる。
もちろん、もう跳べない。
激しい運動はもうできない。

でも、それでも

ぼくはいま、毎日楽しい。

おもしろき
こともなき世を
おもしろく

高杉晋作はそんなふうに歌っていた。

2018年6月16日土曜日

W杯 対戦国

ワールドカップが始まりましたね!

ワールドカップは今まであまり
知ることがなかった国を知るチャンス!

ということで、対戦相手について調べてみました!

6/19 コロンビア
コロンビア共和国
人口:約4800万人
言語:スペイン語
通貨:コロンビア・ペソ(1ペソ≒0.04円)
FIFA ランク:16位

コロンビア出身の数学者をさがしてみると
アメリカのコロンビア大学の数学者が
たくさん出てきます。
なぜ名前が同じなんだろうと調べてみると
コロンブス由来の場所がコロンビアと呼ばれているそう。
ぼくの師匠がコロンビア大学で学位をとっているので
ちょっと親近感です。

6/24 セネガル
セネガル共和国
人口:約1500万人
言語:フランス語
通貨:CFAフラン(1フラン≒0.2円)
FIFA ランク:27位

東京都の人口が約1400万人らしいです。
同じくらいですね。
「セネガル 数学者」で検索したら
セネガルの人間国宝である打楽器奏者の方がでてきました。
「リズムの数学者」らしいですよ。
実はコロンビアもらしいですが、主食はオコメとのこと。
今回、日本が入ったグループHのうち
次のポーランドをのぞいてオコメの国です。

6/28 ポーランド
ポーランド
人口:約3800万人
言語:ポーランド語
通貨:ズウォティ(1ズウォティ≒30円)
FIFAランク:8位

ポーランドは強そうです。
ポーランドはたくさん数学者を輩出しています。
有名なのはバナッハさん。バナッハ空間などに名前が残っています。
バナッハ空間は彼が博士論文で導入した概念だそうです。
バナッハ・タルスキのパラドクスのタルスキさんもポーランド。
ぼくは知りませんでしたが(学部が数学じゃないから許してください)
ツォルンの補題はクラトフスキ・ツォルンの補題とも呼ばれるらしく
このクラトフスキさんもポーランド出身。
ちなみに、ですが関東地方の人口は約4300万人で
ポーランドより多いです。

サッカーも数学もとても強いポーランド。
数学頑張ります。
サッカーも頑張って欲しいです!

今日はここまで!

2018年6月9日土曜日

マナブワケ

人はなぜ学ぶのか。
なんで勉強しないといけないの?

この問いに対する答えは
沢山あって
研究などをして、生活しているぼくらは
きっと''自分なり''の答えを
持っている必要があると思っている。

これを学ぶと、こんな風に役に立つんだよ。
この理論は、こんなところで実は使われているんだよ。

そんなよく聞く答えに
ぼくは全然こころときめかない。

とりあえず、もし先生という立場で
生徒から、そんな質問をされたら
きっとそれは
「仕事とわたし、どっちが大事なの」
というのと同じで、
そんな質問させてごめんねと
そう思うべきだと思っている。

いま、学んでいることが
新しい世界を開いて
いままで見たことのない景色へつながると
そう感じてもらえるように、したい。

それでも、答えを求めるならば
ぼくは
「自分の足で、あるくため」
と、そういいたい。
こう使えるとか、こう役に立つとかは
誰かが、歩いた足跡の話。

誰も進んだことのない
だけれども、自分が信じる道がみえたとき
一歩を踏み出せるか
踏み出した先でやっていけるか。

誰も進んだことのないその道を進むには
何が必要か、何が役に立つのか
誰もわからない。
だから、いろいろ準備する。
チャンスを掴めるのは、準備ができているやつ。
学校で習うのは
こんなのが役に立つのではないかと
そうやって、色々な人が集めた
先人たちの経験。
使えるかもしれないし、使えないかもしれない。
学ぶことは確かにあるはず。

もうひとつ、そうやって
「学び」をきちんと続けていけば
きっと、一歩を踏み出す勇気になる。

何が起こるか
どんな困難があるか
わからない。

けれど、ずっと学んできた経験があれば
何が起きても、そこから学んで
きっと進んでいけると
そう思えるのではないかと。

七転び八起き
転んで、立ち上がるときにより学べるように
まずは、なんでもないときから学んでみるのが
きっといい。

ぼくの高校の校訓は
九転十起
転んだ後に学ぶ力がついてれば
最後に立ち上がりさえすれば
きっと、転んだ数だけ強くなる。

2018年6月3日日曜日

ココロはケガをする

一昔前、ぼくがダメになったときの話です。
書きたいのは、そのあとどう戻ったか。
正直言うと、いまでもその途中なので、どう戻ろうとしているか。
すこし長くなります。

はじめに、これは自分の器を計りきれず、
考えなしに様々なことを引き受けてしまった自分自身の失敗であり、
周りにいて下さった方々は何も悪くないということを断らせてください。

研究に、プライベートに、すこしだけきついプレッシャーがありました。
思えば、実際に体に症状がでる2−3年前から''種''は育っていました。
うまく集中できない期間がだんだんと長くなり、
いつしか集中ってどんなふうかわからなくなっていました。
すこしずつ育った''芽''にいくつか大きなプレッシャーが重なり、
自分でわかる''反応''がでました。
人が近づいてくる、電車に乗るといったことが本気で怖くなりました。
駅のホームで、あ、あと一歩跳んだらもうぜんぶ考えなくて良くなる、
なるほどな。と思ったりしました。
ただ、本当にひとはこんな風になるんだと、
どこか外から見ている自分もいて、
その意味では壊れきってはいなかったのかもしれません。

ぼくはそれが、うつ、とよばれることを認識していて、
そして無理をしない、自然に触れるなど、治すのに良い方法を知っていて、
さらに、かなり自由の利く状況だったこともあり
そこまで悪くならずにすみました。

紫陽花の季節で、家から近かった鎌倉や江ノ島を散策して、
優しい方に巡り合ったりもして、数ヶ月で''普通''の状態までは戻りました。

しかし、そのあともう一度、全力で前に進もう
そう思ったぼくに声が聞こえるのです。


おまえは一度 ダメになった人間 もうがんばっては いけない


実際、全力で走ろうとすると、''つまずき''ました。
聞こえる声は説得力をまし、後戻りしてしまうことを繰り返しました。
巷にあふれる声も、そんなとき、頑張るなというのです。

幸か不幸か、''普通''でもそれなりに前に進みました。
でも、ぼくはここ(数学と工学3)を知っていて
なにより、この感覚(考えるということを考える)を
ずっと感じられなかった。

がんばりたい、でも、がんばれない。

過ぎていく日々、
''普通''には進む自分。

これでいいのかもな。
ぼくは、こんなもんなのかもな。

走ろうとしてはダメになる自分。

いまの自分を受け入れよう、
受け入れさせようとも思いました。

1年ともう少し、そんな風に過ごして、
ようやく、そんな自分を受け入れようと思い始めたそんなとき、
心のずっと奥で、ずっと押さえつけられながらも
燻っていた火種が叫びました。

イヤだ まだ走れる 走りたい


そんなことを言われても、走るとまたダメになるんよ。


そんな中、大きな失敗もしました。
論文にミスが見つかり、ひどく自分を責めました。
救いだったのは、これ以上ないと思うほどの優しいレフリーレポート。

時間がかかってもいい。直して、もう一度もってこい。みてやる。


数週間ほど、走らされるように、走れた。
けど、ミスは直らなかった。

ぼくは、当然のようにまた、走れなくなりました。



***


あれはたしか井の頭線、明大前付近、いつかの春。
ふと、ああ、これはケガなんだと、
なんの前触れもなく思った。

カラダと同じようにココロもケガをする

いろいろなことがすっと理解できた気がした。


いま、自分がうまく走れないのは、
足首をネンザしたまま、走れないのと同じ

きっと、一番ダメだったときぼくは''骨折''していた。
それだとたしかに、一歩も動けない。

ネンザは厄介。
頑張れば走れてしまうから
そして走るともれなく、悪化するから。

足首ならまだ良い、悪くなったらちゃんと痛い
どうして動けないかよくわかる。

でもココロは、なにも言わず、
なんなら乗り越えてみろよと言わんばかりの反応をだして、
そうでいて、無理するとちゃんと動かなくなる。


一筋縄にはいかなそうだけれど、ケガだったら。
ぼくは元陸上部。ヒザをケガして手術して、それでも続けていた。
ケガの後、どうすればいいのかを、知っている。

きちんと治して、治った後も
走る前、走った後、きちんとケアをする。

いろいろな意味があってはじめたこのブログですが、
ひとつは、''アイシング''。
いろいろな刺激で動いたココロを、
冷やして、自分が''置いておきたいところ''に
きちんと置きなおすために、書いています。

なるほどな、と思った。
そして、「前」がだんだん、みえてきた。

うつになるような、ダメになってしまうような人間は
弱い奴だとどこかで思っていた。
弱い自分は頑張ってはいけないと。

ケガだと思うと、そんなことはなかった。

アスリートはみな、どこかしら、
もしくはいたるところ、ケガをしている。
手術が必要になり、長期間動けなくなることもある。

彼らはカラダが弱いのか?

そんなことは、ない。

普通なら、逃げ出してしまうほどの負荷から逃げなかったから、
普通なら、たどり着けないような境地を目指して、努力をしてきたから、

それでなお、走り続けるから、
ケガもするんだ。

誰よりも、強いから、
ケガもするんだ。

一番厳しい自分は、認めてくれなかったけれど、
たしかに結構、がんばってきた。

そういえば、いろいろな人に支えられてもいた。
もともと生意気なぼく
不安定になってより生意気になっていた。
友人も、ひとまわりも、ふたまわりも上の人たちも
腹も立っただろうに、変わらず接してくれていた。

勉強を、研究を続けたかったのに、辞めていった友達もたくさんいた。
辞めて行く友達が、去り際に言った

まさいをみて、はじめて勉強することがカッコいいことだと思えた
いつかまた、飲もう

たぶん一生忘れない。


ケガなら治る。
折れた骨は、くっつく。
より強くなる。


走りたい 走らなきゃ


閉じ込められていた、燻った火種を外に出してみた。
酸素に触れると、ちゃんと燃えた。

この火はそんなに強くないことを知った。
風や雨が来たら、ちゃんと守ってやらないといけないと知った。

でも、守ってやればまだまだちゃんと、燃えるらしい。

よかった。
ぼくはまだ、走れる。


そう思って、もう数年。
少しずつ走って、論文のミスは直せた。
一番のお気に入りができた。

まだまだ探り探り。
だけど、ぼくはいま、元気で楽しい。
そして、ちょいちょい走ってる。

よかった。

本当はケガなんてしないで、日々過ごせれば一番だけど、
もしかしたら誰かの役に立つかもしれないので、
置いておきます。

きっと、大丈夫。