2021年9月7日火曜日

ひやっこい

 冷やっこくなったから、何も考えずに文章が書きたくなった。
毎週末に何かしら書く、というのをやめてそろそろ1年が経つようだ。

きっかけは、生活がインターネットに囲まれてしまったことだった。
パソコンとか、テレビとか、"光ってるやつ"がずっと苦手。
家にインターネットがある生活を始めたのも3年ほど前の話。
なくてよかったんだけど、無料だと言われて家にインターネットを引いてしまった。
正直最初はずいぶん迷ったけど、結果として突然すべてがオンラインになったとき、
すぐ対応できた。"できてしまった"のかもしれないけれど。
そして、インターネットからは逃れられない時代になってしまった。

そのうちに、だんだんと書けなくなった。
出張が多く、その移動中に書くことも多かったので、
出張がなくなったことも理由の一つだろう。
あと、今現在に限って言えば、お金をもらって文章を書くようになったから
そっちばかりなのも、多分ある。

やっぱり、カネなのかー。

自由に書くってのも大事だよね。

世の中と、だいぶ見ているものが違う気がしてしまう。
たぶん、もともとだ。今まで比べていなかっただけでさ。

人にお見せする類の思考じゃないけれど、
みられるかものドキドキ感が好きなので
久しぶりに書いてみた。うん、良いね。余は満足じゃ。

2021年7月11日日曜日

日時計

小学生のころ,日時計を作る実験を授業でやった.
時間ごとに担当を決め,放課後に影を記録して時計を作る実験だった.
実験場所は学校の屋上.
画用紙の真ん中に杭を立てて置いておいた.
杭の影の先端に時間ごとにマジックで印をつけて,日時計を作る予定だった.

僕は友達と一緒に,確か16時で最後の担当だった.
「16時まで一緒に遊ぼーぜ」
家が学校から近いのをいいことに,学校ではなく,家のそばの広場で遊んでいた.
遊びまわっていた僕らは気がつくと夕方17時を過ぎていた.
いつもの,帰る時間まで気づかずに遊んでいた
そして,最後の最後に思い出した.
「どうしよう」

迷ったけれど,友達と一緒に学校に行った.
先生は,待っていてくれた.
恐る恐る職員室に現れた僕らを見て,静かに言った.
「記録を取りなさい」

屋上に着くと,夕暮れ.
画用紙を見ると,傾いた太陽で影が画用紙をはみ出し,記録が取れなかった.
僕らは,画用紙の端っこに印をつけた.
夕暮れで薄暗く,誰もいない学校は,いつもと違う場所のようだった.

翌日,順番に担当の人が何時にどの印をつけたかを発表した.
最後に僕らの順番.
「みんなに正直に報告しなさい」

そう言われて,時間に遅れてきちんと記録が取れなかったこと,
夕方になると,日が傾き,影が画用紙に収まっておらず
画用紙に残っている印は,杭の先端ではないことを報告した.

「時間に遅れたことは反省しなさい.でも,そのおかげで分かったことがあるね」
そう言って,太陽は東から西へ移動するだけでなく,高さも変わることを説明してくれた.

なぜか,一度も怒られなかった.そして最後に言われた.
「君たちは,来ないだろうと思っていた.遅れても,よく来たな」
不思議な気持ちだった.

今でも覚えている.なんとなくだけど,
あのとき僕たちは少しだけ「育った」のではないかと
思い返してそう感じている.

2021年6月26日土曜日

平成初期

このところ、天気が良い。
最近は公園で仕事をしている。
オンラインなのを良いことに、公園から授業もやっている。
「公園で講演ですね!」
タシカニ。

お昼に困る。
いつもの公園の周りに、いくつか食事処はあるものの公園で食べたくなる。
お弁当を求めて、知らない道へ。
仕事をするときは、携帯を家においていく。
道はよくわからない。
わからないから、行ってみるのである。

行けども行けども、弁当屋は見当たらない。
小川沿いに散歩道。
仕方がない、お散歩する。
最近の川はキレイである。魚がびゅんびゅんしている。
がんばって、キレイにしてるんだろうなあ。

気がつくと知らない場所。
お腹はずっと鳴っている。
ふと、古びたカフェ。
いやいや、お弁当が欲しいのだ僕は、と思ったけど
妙に心惹かれてしまい、扉を開けてしまう。

タバコくさい。ほぉ。もはやタイムスリップの気分。
そういえば、高校生の時はタバコくさい碁会所に通っていた。
じーさんが叫ぶ。
「コーヒーおかわり!」
「はいはい」
テキトーな返事をするマスターのおばちゃん。
「こんにちはー」
「え、あ、えっと、お好きな席へどうぞ」
常連さん以外、ほとんど来ないのかな。

古びた漫画、ところどころ、片付いていないテーブル。
よくわからないおもちゃ。変なポスター。
昭和。と言いたくなるが、記憶があるので平成初期だな。
自分で思って「平成初期」という言葉の響きが新鮮。
平成が、昔になったのだな。

カレーとアイスコーヒーをお願いする。
ほんとはナポリタンでも、と思っていたが「コーヒーカレー」なるものに反応した。
コーヒーはわからなかったけど美味しかった。
アイスコーヒーは銅かな?なんか古びた感じのコップに注がれてきた。
取っ手がついていた。
「あ、ストロー大丈夫です」
だって取っ手あるし。ひんやり。取っ手も含めて、口当たりもひんやり。
携帯はないし、たまたま平成初期の論文を読んでいたし
本当にタイムスリップ感。
流れているのはJPOPかな、たぶん。
音楽は今でも昔でも、大体わからないからいい感じに時代が分からない。
よい。

モクモク。
さすがに、だんだん煙たくなった。
カフェを出ようとお会計をする。
音楽が流れ出す。
「うっせーうっせー、うっせーわ」
僕でも知ってた。
やっぱり令和だった。

でも、ひとときだけ、平成初期だった。
携帯はなかったので写真は撮っていない。
平成初期だから、それでいい。

カフェを出て少し歩いたら、知らない駅に出た。
路線図を見て、道を調べる。
どうやらぐるっと回っていたようで、大した距離でもない。

なんだい平成初期、意外と近いではないか。

2021年4月17日土曜日

どうして Julia を作ったか

プログラミング言語「Julia」開発者さんの文章がとても好きなので、
雰囲気重視で訳しました結構意訳です

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「どうして Julia を作ったか」


それは、僕らが欲張りだからだ。

Matlab はめっちゃ使う。僕らの中にはLispの天才もいるし、PythonやRuby のすげー奴、Perl を巧みに使いこなす奴もいる。毛も生えない子供の頃からMathematica で遊んだ奴もいる。いまだにツルツルな奴だって仲間だ。Rではアホみたいにたくさんグラフを書いた。C言語からは、いつだって冒険の匂いがする。

ぜんぶ、大好きだ。面白いし、いろいろなことができる。何かをしたいと思った時--科学や機械学習、データ解析、どでかい行列の計算、分散計算、並列計算。いろんな言語は場面に応じて最高に上手く動いたり、まるでダメだったりする。それぞれに、良いところと悪いところがある。

足りない。もっと、もっとだ。

僕たちの欲しい言語はオープンソースで、ライセンスがゆるい。C みたいに早くて、Ruby みたいに動的で、さらに同図象性もある。Lisp みたいに本物のマクロが使えて、それでいて数式がMatlab みたいに綺麗にかける。Python みたいにコードが書きやすく、Rのように統計処理に強く、文字列処理をすればPerlと思うくらいやりやすい。Matlab みたいに線形代数に強く、Shell のように処理を繋げるのが上手。そして、めっちゃわかりやすくて、かつ本気のプロも使いたくなる。インタラクティブだけどコンパイルもできる。

(あ、あとC 言語の速度も欲しい・・・って言ったか)

欲しいものだらけだ。Hadoopのような分散処理だってしたい。でもJavaやXMLみたいに単純作業を繰り返すのは嫌だ。何百台のマシンの、何ギガとあるログをみてバグを探すなんてやりたいわけがない。だるくて複雑で、気が遠くなる思いをしなくても、パワーが欲しい。簡単なスカラーループを書いたら、CPU一つのレジスターをぶん回す機械語のコードがコンパイルされて欲しい。A*Bって書いたら、巨大な行列の演算を何千何万のマシンに勝手に分散して高速に計算して欲しい。

型なんて、必要な時以外は宣言したくない。いろいろな型を扱う必要があるときは、本質的なとこのアルゴリズムだけ書いて、あとは勝手に対応して欲しい。引数の型に応じて最適な機能を自動で選択してくれて、扱う型が結構違ってしまっても一つの機能を共有できて欲しいそしてこれだけいろいろできても、僕らの言語はシンプルで美しくあってほしい。


不可能だって?本当に?

認める。僕たちはとんでもなく欲張りだ。それでも、全部欲しいんだ。2年半ほど前、僕たちはこの欲にまみれた言語を創る旅に出た。まだ途中だけど、そろそろ最初のバージョンをお披露目する時だ。僕たちの言語は Julia と言う。実は欲しかったものの9割ほどは、もうすでにそこにある。だから今度は君の欲を頂きたい。欲がこいつを、 Julia をさらに成長させる。強欲で、さらなる不可能を求める人がいたら。ちょっとこいつで遊んでみてくれないかい?

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むかし、計算機やインターネットがまさに「成長初期」にあったころ。
「技術はフリー(無料)で世の中を豊かにするためのもの」
というハッカー思想があり、僕はとても好きだった。

時代はうつろい空気は変わったが、上の「宣言」からは
久々に"昔の空気"の匂いがした。

2021年2月13日土曜日

いちねん

2020年度の授業が終わった。くたびれた。
授業が終わった次の日は本当に丸一日寝てしまった。

せっかくなので 振り返る。

3月:オンライン授業の為にアホみたいにがんばる
4月:前半、3月の続き。後半、授業が5月開始になったため、実はひまだった(準備はやり尽くした)
5月:授業開始。これまでの準備がとても役に立った
6月:第一クオーター終了。通常1週間ある第二クオーターとの間がゼロで大変(4月の後半の1週間ここに欲しかった)
7月:フィルターアプリで変装できることを発見する(意訳:オンライン授業の味気なさ対策をがんばる)
8月:前期の授業終了。オンライン研究集会に参加したりなどする。
9月:小さなセミナーを対面でやる。とても良かった。会うの大事。
10月:対面とオンラインのハイブリッド授業をはじめる。
11月:(10月の続き)演習は教室での黒板発表をオンライン中継し、オンライン発表は教室でプロジェクタで投影。カンタン。
12月:演習でのシステムを利用してハイブリッド・ミニ・ワークショップをやる。楽しい。
1月:緊急事態宣言。あらら。
2月:授業終わったよ。

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花が咲き、
花が散り、
葉っぱが茂り、
葉っぱが散った。

もうすぐまた、花が咲く。
いちねん。












2021年1月17日日曜日

いたずら

高校3年生の夏休み。
教室は自習室として解放されていた。

家で勉強するのが苦手だった僕はよく高校に行っていた。
1時間半ぐらいかけて。

勉強もしていたけれど、校庭に走りに行ったり、校内を散歩したりもしていた。
「15分考えてわからなかったら、答えをみる」
みたいな意見が受け入れられず、同じ問題を1日ずっと考えたりしていた。

僕はあるいたずらを始めた。

初等幾何が好きだったけれど、どうやら受験に初等幾何はほぼ出ないらしい。
補助線を引いたりして問題を解くのも好きだったが、
そのうち僕は自分で問題を作るようになった。

高校3年生、みんなが受験勉強をしにくる教室の黒板に自作の問題を書いておいた。

あのとき結構「初等幾何好き」がいた。
「ばかやろー、気になるじゃないかー!」
と言って、僕の作った問題を解いてくれる友人たち。

受験に直接は役に立たないけど、楽しかった。
日によっては、わざわざ学校へ行って問題作っただけで終わってしまったり。
「まじで、本当にやらなきゃいけないことあるからやめてくれ」
とお願いされて反省したりしていた。

割と本気で迷惑ないたずらだったかもしれない。
今更ながら言い訳をするならば
「こんなに楽しいのになー」
である。
いや、今思うとひどいいたずらである。
いつも、どこまで本気でどこまでふざけてるのかわからないと言われる。
僕はいたって真面目です!
だめか。

「夢中になってやっていたこと」が生きる人生であってほしいと思っている。
実をいうと修士論文で"初等幾何"をふんだんに使ったから、役に立った(僕だけ)。


初等幾何好きな人たちはどこに行ってしまったんだろう。
もっと楽しいことを見つけちゃったのかな。
たしかに僕も、いまはもうちょい楽しい幾何を知っている!


あのときの教室は楽しかったなとふと(うそです、みんながんばってるから)思い出したのでした。