2022年3月21日月曜日

数学と演劇4

 「普及」とは、なんと難しいのだろうと思っている。
いろいろな人が、いろいろなものを「普及」したいと考えている。
少々「奪い合い」の嫌いがあり、どんな状態が本当に良いのかは、正直わからない。
「数学」の話を、一般向けに数学者がすることは良いことだろう。
同時に、「数学に興味のないひと」が、数学のイベントに参加する理由はないとも思う。
僕も高校生の頃は、数学になんて全く興味がなかった(だから、数学科に行かなかった)。
友人に「数学のイベントに行こう」と言われても、「いや、まじで、なんで?」と返しただろう。
実際には、そんなものに誘ってくる人もいなかった。
数学オリンピックの問題に取り組む人は少しいたが、「変なやつ」と思っていた。
ただ、中学生の頃に見た「やまとなでしこ」というドラマはとても良く覚えていた。
主人公が数学者で、「数学の議論」の描写がずっと心に残っていた。
でも、おそらく「やまとなでしこ」は数学を推そうなんて考えていない。
「やまとなでしこ」を知っている人でも、主人公が数学者であったことを覚えていない人もいるくらいだ。
数学は「おまけ」だった。
そして、だからこそ良い印象で、数学が心に残ったのだと思う。
きっと、数学を「おまけ」にしたらいいんだ、と割と本気で信じている。
おまけってのは、よくわからないけど集めたくなるものだ。
舞台に出演するこいつは、実は数学者らしい?なんで舞台に?
と、思ってもらえたら実は僕の企みは成功している。
「数学」には、``これくらい''の触れ方が良いと思っている。
そうして数学が、少しだけ心に残っていれば
「実はさ、数学には、証明には、物語があったりするよ」などと
誰かに聞いたとき興味を持てたりするんじゃないかと思っている。

数学と演劇3

DULL-COLORED POPさんの『プルーフ/証明』を観劇して、演出の谷賢一さんとアフタートークをしました。
 https://www.youtube.com/watch?v=JKAMUvyaYPc

とても楽しい対談だったのですが、
そこでお話しした「センス」について少し書いておきたい。

演劇にはたくさんセンスが必要なことは想像にかたくない。
センスの伝え方はとても難しいとのことだった。
そして、数学にもセンスが問われる場面が多々ある。
アフタートークでは、分野や問題の選択にセンスがあるという話をした。
加えて、議論にもセンスがあるようで、僕が学生の時、師匠から
「その議論は筋が悪い」
という指摘を何度も受けた。
最初は、どうして筋が悪いかもわからなかったが、繰り返し繰り返し伝えられることで少しずつわかってくるものがあった。
「センス」は成長する。

僕は「センスの悪い人」である。
幼い頃から疑いようのない事実であるが(悲しい)、
一方で数学や囲碁は「感覚派」である。
なりたくて感覚派になったわけではなく、
思考力などが足りず「それしかなかった」のである。

数学は、証明は物語であるという人がいる。
個人的には結構よくわかる。
僕は「かっこいい」物語が好きで、同様に「かっこいい」証明が好きである。
演劇はライブで生であるから、いいものに出会えると「肌に残る」。
人の感覚は不思議なもので、使わないと鈍る。
「かっこいい」が肌に残っていると、「かっこいい」に敏感になって、証明に隠れた「かっこいい」に気づける。
かっこいいに気づくと、証明が鮮明に頭に残る。
ざっくり「頭の良さ」で、僕は戦いきれないから、こんな外からの刺激も使って数学をやっているのである。

2022年2月24日木曜日

数学と演劇2

 演劇を学んだら良いのではないか?
そう思い立ったのは、東北大学で「サイエンスカフェ」をやる際に少し気合を入れて準備したこと、また「研究所紹介ビデオ」に出演したのもきっかけだった。
当初は、具体的な効果や目標も定まってはおらず"あやふや"であった。
昨今の「選択と集中」への批判に似た感覚であるが、"先の見えない"研究テーマを選んでいくことが、数学者、研究者として自分の生きる道であると信じていたので、その発想が数学や科学を飛び出すことを、単純に面白いと感じた。
「面白い」とは感じても、そこに飛び込む数学者は(少なくとも日本には)存在しないであろう。誰もやらないならやってみよう。
動き出したのはおおよそ3年半前、東京に戻ってきたタイミングだった。
暇を見つけてはレッスン場にお邪魔し、稽古をした。
一回り以上年下の人も多い中、ありがたいことに死ぬほど「ダメ出し」された。
(ただ、数学その他、"独学"ばかりだった僕は、叱責の有り難さを知っていた)

研究発表や、一般向け講演でそれなりに評価してもらっていた自信は、粉々に砕け散った。
声も出ない、滑舌も悪い、伝わらない。散々だった。
現状でも"まだまだ"であるが、当初に比べると格段に言葉を発するのが上手になっている。これは訓練で向上する技術であることがわかった。

研究者と発表

現代の研究者は、「自らの研究を発表し人に伝える」ことが求められる。多くの人が、少ないポジションを奪い合う状況では、この「発表能力」が幸か不幸か、とても重要である。
さらには、日本で最初に発明された技術が、うまく伝わらず、数年後他国の"発表上手"に再発見され、結局"奪われてしまった"などという話も耳にする。

研究者にコミュニケーション能力をと謳われて久しいが、コミュニケーション能力には2種類ある。
・他人に合わせて自分を殺し、その場を収める能力
・自分自身を相手に理解してもらう能力
「コミュニケーション能力」は前者を指す場合が多いが、研究者に必要なのは主に後者である(と信じている)。この点において、統計をとったわけではないが"ある程度レベルの高い理系"の人で、苦手と感じている人が多いと思う。もちろん、生まれつき上手な人もたくさんいる。
教育というのは才能を分割し、苦手な人にも使えるように教えるものだと思っている。
演劇の手法の中に、使えるものがたくさんある。ここでは詳細は省略するが、いつか「科学者のための演劇」のような授業ができたらいいなと考えている。

数学と演劇1

 舞台に立つことにした。
突飛な発想であることは理解している。

『フォーティンブラス』
作:横内謙介 演出:栗田芳宏
http://www.himawari.net/theater_movie/news/214175.html
栗田芳宏さんは吉田鋼太郎さんと一緒に劇団AUNでシェイクスピアをやっていたお方。

兼業の伺いをするときに書いた文章がある。

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どうしてこのような発想に至ったかも以下に説明いたします.
これまで,いくつかの高校で出張授業を行ってきており,概ね好評を頂いております.
一方で,どうしても楽しんでくれた方の多くが「数学が好きな人」です.
「数学が好きな人を増やす」という目標は遠いと感じています.
先日(11月10日),女子校へ出張授業を行った際は10以上の講義の中から学生が選択するスタイルで,数学は参加人数が一番少なく10人程度でした.普通の発想ではこの状況は変わらないと思います.そしてより多くの人に「声」を届けるための研鑽の場として舞台への出演をしてみたいという気持ちになりました.現在も(趣味の範囲内で)演劇のワークショップにはしばしば参加しており,出張講義や普段の授業に大変効果が出ていると感じています.
令和一年度東工大教育賞も頂きましたが,学生からの評価は大きなアピールポイントでした.

加えまして,演劇に触れることで自身の研究にも良い影響を感じています.数学研究において,様々な文化芸術に触れることの重要性は広く説かれていますが,それを肌で感じています.東工大の推し進めるリベラルアーツ教育の目指すところは,よく分かっていませんでしたが
文化芸術に触れて育った人間力でより"豊かな"学術研究を生むことなのかもしれないと,ゆっくりと理解しています(内容が数学と直接は関係しないことは,むしろ大切であると思っています).本務に影響の出ない範囲で(有給は取りますが)このような活動を教員がすることは価値があると感じています.
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気合を入れて書いた割に、すんなりと兼業が許可されて拍子抜けした。
これから数回に分けて、この文章をもう少し詳しく述べたいと思う。