2017年10月28日土曜日

成長

空を飛ぶ必要がなくなった動物の羽がなくなっていく様子もやっぱり進化という。

その動物は羽の変わりにやっぱり何かを得たのかな。


羽を作るための栄養を節約、とかは出来ている気がする。

でも、羽をなくした後に先祖が空を飛んでいる様子を見たらなんか切なくなる気がする。


それとも空を飛ぶ先祖が見逃していた地上の何かを誇りに思うのかな。



空を飛ぶ必要が出来た動物に羽が生えたらそれはもちろん進化という。

その動物は羽の代わりにやっぱり何かを失ったのかな。


身軽さを得るために羽以外の部分は少し弱くなる気がする。

でも、羽を持っていない先祖を見たらやっぱりちょっと得意な気分になるのかな。


それとも、地上より広い、空に生まれた仲間との距離とか、気になるのかな。




特に変化の必要のない動物がそのままの形でいることは進化とは言うのかな。

何も変わらないという進化をしたのかな。


でも、先祖と何も変わってない自分対して、なんか虚しい気分にならないかな。

それとも、変わらない自分をちょっぴりうれしく思うのかな。




久々に変なことを考えている僕の頭。

得たり失ったり何もなかったり。

でも選んだのも僕の頭。
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10年前、2007年10月に書いた文章。
ぼくが数学を本格的に始めたのはこの少しあと。
10年になるんだなぁ。
変わってるような変わってないような。
全部合わせてきっと成長。

2017年10月21日土曜日

景色

数学の話をするとき、ぼくは見てきた景色をお話ししている感覚に近いです。
数学はもちろん文章、論理で書かれているのですが、
なんどもなんども咀嚼して、わかった、体に入ったと思えるとき、
それが景色のように、絵のように
感じられるのです。

そうしてみてきた絵は、
数学の言葉に直すと
いつでも、だれでも
同じ景色にみえるようにすることができます。

ずうっと昔の数学者が見てきた景色と
そのまま同じ景色を、
僕らも見ることができます。

ただ、全く同じ景色をみても、感じることは違います。
見つかったたくさんの景色は意外な繋がりがあったり、
一つの景色がどんなものに囲まれているかがわかったりする。
そうすれば、同じ景色も違って見えます。

また、同じ景色を見ても、ひとや、
同じひとでもタイミングによって見え方が違う。

ここまで書いて、これは物語や絵や歌
他にもきっといろいろ
よくあることだと思いました。

数学も、仲間に入れてやってください。

2017年10月14日土曜日

翻訳

片平まつり、簡単にいうとオープンキャンパスがありました。
小学生向けのイベントで、科学で遊んでもらおうというイベントです。

うちの研究室のドイツ人の方が、頑張ってポスターを作ってくれました。
英語で。

それを、小学生にわかるように、日本語にしようとすると
うーん、難しい。

そのポスターの英語は、きっと英語が母国語の子供には伝わる。
けど、それを直訳すると全然''子供向け''にならない。

日本語はあいまいな言語、科学には向かない。

そんなことが言う人がいたのを思い出しました。
作ってくれたドイツ人の彼にいろいろ話をきいて、

どのような話をする予定か、
どんなことを子供に伝えたいのか、

それをまとめて、一つ一つ、日本語にする。
そうやって出来上がった日本語のポスターは
''子供に優しい''感じになった(と少なくともぼくは思えた)。

あいまいだからこそ、表現力がある

そんなことを感じたり。

むかしは英語に憧れていて、
英語で思考もするべきだと思ったり
していた。
もちろん英語を推進することはよいこと。
他の言語を学んだからこそわかる、母国語のよさもたくさんある。

ただ、いまは、日本語で考えたい。
数学、科学をやるのには遠回りになるのかもしれないけれど、
時代に逆行しているのかもしれないけれど、
日本語で理解したい。

なぜか?と言われるとうまい答えはないのですが、
そんなことを思って、このブログも書いております。

2017年10月7日土曜日

レーゲンズブルク3

ドナウ川、まぁ大きな川がレーゲンズブルクを流れています。
大きな川とか湖とか、たくさんの水が静かにある風景が好きです。


老若男女、たくさんの人があるいていましたが、
ドナウ川の川沿いには柵がありませんでした。
海外はそういうところが多い気がします。

バランスを崩したら落っこちてしまいそうな風景をみて
むかし、いろいろな選択肢の中、進む道をえらぶとき
「死なないために、生きたくない」
とずっと念じていた事を思い返したりしました。

なんだろう、気がつくと自分の進む道に柵を作って、
落ちないように落ちないようにしているような気がしました。

危なそうな道、落っこちそうな道
いつもそこに向かうべきとは思いませんが、
それだ!と決めたら
駆け抜けてしまうのが一番安全だったりする。

ドイツでは女性の平均身長がぼくよりすこし高いと感じるくらい、
みんなおおきいです。
そして、毎食毎食、でっかいお肉やら大量のパスタがでてきます。

でっかい川、でっかい人たち、でっかいご飯。
きもちはでっかくなれたような気がします。

太っただけかもしれません。

ということでレーゲンズブルク日記、おわります。