2020年3月28日土曜日

遠隔授業と肌感覚

遠隔授業の担当になった。
Zoom 委員。ズームインだ。

授業はできる。課題のやりとりもできる。
きっとなんとか回るだろう。
工夫次第では、通常の授業ではできない面白いこともできそうだ。

ただ。考えれば、考えるほど、僕は対面授業が好きだ。
立場上、演習の授業が多い。基本的には問題をみんなで解いてもらう。
ワイワイ話しながらできるのが「大学」という場所のいいところだろう。
目の前にいるからこそできる、無駄な話もきっと大事だろう。
僕はいまだにパソコンなどの画面からあまり情報を頭に入れられない。
結局、板書や紙でないと頭に入らない。

だから、これは応急処置だ。
一つの空間にいられるのならば、それに越したことはない。
でも、応急処置がいま、必要だ。
だから、やる。

遠隔授業は独学と近い。
もちろん質問はできるのだけど、それでもどうしても「居る」空間が違う。
独学だったら、動画を見るより本を読んだ方が本当は効率がいいと個人的には思う。

このブログにも何度か書いたけれど、
数学の基礎の多くを独学した僕が苦労したのが「肌感覚」だ。
最初は何が問題なのかさっぱりわからなかった。
努力の量なら、なかなか負けていなかったけれど、それでもうまく結果が出なかった。
僕に足りていなかったのが「数学を学ぶ場」に長く居ることによる「肌で感じる感覚」だった。ワイワイガヤガヤ、みんなで一緒に問題を考えるような時間が足りていなかった。
正直、今でもそれは感じている。
なんとかごまかしているけれど。

だから、どうか知ってほしい。
遠隔授業では伝わらないものがあることを。
これは、応急処置で、便利だけれど
全部が終わった後に「これでいいや」とはならないでほしい。

最初は舞台があって、映画ができて、テレビができて、インターネットができて。
どんどん後に続くものが下火になってきても、
なくならないのはちゃんと価値があるからだ。
きっと同じだろう。
いったん対面授業はかなり減ると思うけれど、これは残すべき大切なものだ。

これだけを書いておきたかった。
これを書いて、今は全力で、遠隔授業を進めていきたい。

2020年3月21日土曜日

なぜ大学で数学を学ぶのか

博士課程2年の時にオープンキャンパスで配るように書いた文章。
手直しをしたい箇所も多々ありましたが、恥を忍んで、勢いを尊重して、そのままの文章でお送りしております。
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大学に入ってまで数学を勉強する意味があるのだろうか?
大学で数学を勉強しようかと考えている人は当然持つべき疑問であるし,
逆にこの疑問について全く考えずに数学の門を叩いてもらっても少し困る.
ただ,これから僕がここで話すのはまっすぐに純粋数学を志す人向けではない.
純粋数学がもつ奥深さ,そして「純粋さ」はそれ自体人生をかける価値があると思うし,
「数学者」として成功し,生きて行けたらそれはそれはすばらしい事である.
でも,最初からそれを目指すのは勇気がいる事だし,それができるのは最初の``なぜ"は
頭に浮かんでも,立ち止まる事無く走り抜ける事ができる人だったりする.
普通の人はそこまでの覚悟は持てないんじゃ無いかと思う.それでいい.
今回は,数学が好きで勉強してみたい,
けど,普通に社会に出る事も選択肢として考えている,
そんな人に向けて僕が思う「大学数学を勉強する意味」について話をしてみたい.
登場人物は「ジャグリング」と「組みひも群」だ.

本題を始める前に,少しだけ数学が「どんな風に使われているか」について話したい.
高校生になって,微分積分を学ぶ.
きっとこれが,たくさんの「数学嫌い」を生み出したのではないかと思う.
けど,この微分積分学が世の中をひっくり返したのも事実.
全ての電気を使った道具は微分積分のおかげで,
発明されたと言ってもたぶん,過言ではない.
微分積分学が応用されて行くその過程で例えば虚数 $i$ の実態も見えてくる.
英語で言うと「imaginary number」,直訳すれば「想像上の数」.
$x^2+1=0$ の解が欲しかったために,はじめは``存在しないもの" として導入された.
しかし,例えば,飛行機等の制御を行う際,
対応する微分方程式とよばれる式の解として複素数はあらわれる.
「制御」をする際,僕らができるのは基本的には``係数" を変える事,
そしてその結果として解を制御する事ができる.
解がある複素数で表される領域に入ったとき,飛行機等の「動き」は安定する.
この領域は複素数が無ければ理解できなかったものである.
想像上の数として表された虚数を導入する事によって,
実際の運動する物体(飛行機等)の動きが``見える"ようになる.
現実の物体との関連性が理解できた事で,
複素数が確かに「存在」し,そして役に立っているという事が分かる.
数学は様々なところで役に立っている!
この便利な数学を是非大学レベルで勉強してみよう!
と,謳って説得力があれば良かったのだけど,残念ながらこの主張には穴がある.
数学がいかに世の中で使われ,様々な謎を解明し,人々の生活を支えているか.
それが知りたいと,そう思うのならば向かうべき道は工学であって数学ではない.
ここまで書くと数学の先生になるとか純粋数学を研究するという目的以外に
数学科に進む意味はないようにも見える.
でも,ある.
たとえ大学卒業後,企業に就職し社会に出る事を念頭においていたとしても,
数学科に進む価値は,ある.

きっと数ある理由の中の一つであろうが,
それをボールジャグリングと数学との関連を見ながら説明したい.
ジャグリングというのはお手玉,たくさんのボールを同時に投げていろいろな技を競う遊びだ.
一見,この中に数学を見つけるのは難しい.
しかし1980 年代にサイトスワップと呼ばれる,
技の「リズム」を記述する方法が発見された.
簡単に言うと「ボールが空中に放られている時間」を数字で記述していく.
基本的にはボール$3$個の基本スタイル($3$ボールカスケードと呼ばれる)の高さにボールを投げると「$3$」,
ボール4個の基本スタイル($4$ボールファウンテン)の高さにボールを投げると「$4$」,
ボール$n$ 個の基本スタイル($n$が奇数なら$n$ボールカスケード,
$n$が偶数なら$n$ボールファウンテン)の高さに
ボールを投げると「$n$」.
「$1$」 と 「$2$」 だけ少し特殊.
「$1$」はボールを投げずに反対側の手に手渡しする事を,
「$2$」はボールをそのまま保持する事を表す.
結果として$n$が偶数ならば「$n$」として投げたボールは投げたその手に,
奇数ならば反対の手に帰ってくる事になる.
こうしてジャグリングの技一つに対して数字の列(「333」や「441」等)が対応する.
この数字の列によって,ジャグリングの技を種類分けする事ができる.
これは,ジャグリングの中に数学を見いだす画期的な理論で
これによって新しい技の開発等も活発に行われた.

しかし,サイトスワップは技のリズムを記述する``言語" であり,
同じリズムを持つ技を区別する事はできない.
それをさらに区別しようと思った時,
僕らの研究室のメインの研究テーマ「トポロジー」が活躍の場を得る.

トポロジーとは19世紀の終わりから20世紀の初等にかけて
数学者アンリ・ポアンカレ(Henri Poincar¥'e) が提唱した新しい幾何学である.
「柔らかい幾何学」とも呼ばれるこの分野は,
高校まで勉強してきた直線や円などを扱う幾何学(ユークリッド幾何学と呼ばれる)と
記述しようとする対象が異なる.
ユークリッド幾何学では,主に線分の長さや角の角度等を計算した事かと思う.
たった一本の補助線が謎を一瞬で明らかにする様子等を楽しんだ人も多いはずだ.
話の本筋からはずれるけど,こういった「楽しさ」は非常に大事.
そうやって,ユークリッド幾何学はいろいろな図形の「量」を調べる学問だった.
それに対し,ポアンカレは全く新しいアイデアを導入した.
いろいろな``もの" がゴムのような柔らかいものでできていると考え,
それをグニャグニャ動かしても良いとしたらどんな事が分かるのか?
最初は取っ付きづらいかもしれない.
トポロジーでは円も3角形も4角形も3141592角形も全部``同じ"だと思うことになる.
互いにグニャグニャっと変形して移り合う事ができる.
トポロジーではそれでも残る``共通の性質"を研究する.
円やその他多角形を平面の上に書けば,平面を``内側" と ``外側" に分割する.
この性質はどんなにグニャグニャっと変形しても変わらない
(直感的には明らかなこの「定理」を「証明」するには,大学3年生レベルの数学が必要!! もちろん今は気にする必要は無い).
変形の過程で保たれないもの,長さ,角度,面積,etc. などの「量」はトポロジーの世界では意味をなさない.
それでも残る性質,形の量ではなくて「質」を研究するのがトポロジー.
たとえ話をすると,高校までの幾何学が人間一人一人を見ながら,
背が高い,足が速い,イケメンだ,
そんな事を議論していたのに対して,トポロジーは
「でもみんな同じ人間ではないか」と,
そうして人間みんなが共通して持つ性質に着目しようと言っている(と僕は信じている).
トポロジーは幾何学に新しい視点を与えた.

この「柔らかさ」がジャグリングの技をさらに区別して行くのに有用である事が分かる.
確かに,ジャグリングでは投げられたボールの正確な高さ(床上147cm だ!みたいに)や,
手から離れて行くボールの正確な角度などで技を区別しない.
ジャグリングと強く関係が見られるトポロジカルな対象が「組みひも群」だ.
「群」と言うのは一つの代数的な概念で大学数学で習う,が今回は説明を省く.
図 $1$ のような上と下が固定され,上から下に流れて行くひもを「組みひも」と呼ぶ.
このようなひもの``絡まり具合" を研究するのが組みひもの理論.
一見,ジャグリングとの関係は無いように見える.

図1

しかし,組みひも群には「平面上の粒子の運動の軌跡」という別の解釈がある.
時間軸を高さ方向にとり,粒子の運動を追いかけて行くと確かに組みひもが得られる.
ジャグリングにぴったりだという事が分かっただろうか?
ボールを投げている人の目の前に``平面" が存在し,
その上のボールの動きを追いかける事によって
組みひもを得る事ができるのである.
そしてこの組みひもを使えば,
サイトスワップでは区別できなかった技を区別する事ができ,
さらに技同士の関わり等も見えてくる.
具体的な技や対応する組みひもは文章や図ではどうにも説明がつかないので,
実際にポスター発表を見に来て欲しい.
来る時間がなくとも,アイデアさえ分かってもらえたならば
きっと動画サイトでジャグリングの技を見ながら対応する
組みひもを見つける事ができるはずだ.

数学なんて何の役にも立たない,勉強するだけ無駄だ
という意見を少なくない回数,耳にする事がある.
数学に限らず,学校で習うような基礎学問は直接の応用はなかなか見えてこない.
けれど,もしこの世の中に組みひもの理論が無かったら,
組みひもとジャグリングの技の関係性を見いだすのは至難の業だ.
社会に存在する様々な問題についてもきっと同じ事が言える.
もし,大学以上でならうような数学を理解していなければ,
直面している問題の中にある「数学」を見つけるのはよほどの天才でない限り無理だ.
理論というのは「構築」することが「理解」する事よりずっと難しい.
けど,天才達が作った理論を理解する事は僕らにもできる.
そうして,「レベルの高い数学」という目を持っていれば,
社会にでて直面した問題の中に「数学」を見いだし,
驚くような本質をつかむ事ができる可能性がグンと大きくなる.
工学部で習うのは「誰かが見つけてきた数学」だ.
大学で習うような数学をキチンと理解して,
数学を探すその心さえ失わなければ,
きっと「誰も見つけた事の無い数学」が見つけられる.

どうだろう,少しでも「面白そう」と思ってくれたなら嬉しい.
でも,本当に大事なのはやっぱり,数学が,考えるという事が,大好きという気持ち.
この話で伝えたかったのは,数学科に来たり情報科学科に行って数学を専攻しても,
将来の道が狭くなるなんて事は決してないと言う事.
不安に負けて,我慢して,安定を求めるんじゃなくて,
自分の好きな事に思いっきりチャレンジすれば,
きっと,思いもよらない道がどんどん開けて行くと思う.

Enjoy your life.
正井 秀俊

2020年3月14日土曜日

こどく

誰もやっていないことをやる。
自分にしか、できないことをやる。

それは、孤独だ。

一緒に話す仲間もいない。
誰にも理解されない。

苦しい。

なるほどな。
世の中が発達して、沢山の人が「自分だけの道」を目指せるようになった。
だから、いま、苦しむ人が多いのかもしれないなと思った。

少し前までは、個性なんて悠長なことを言う暇はなく、みんな一緒に、みんな同じ方向を向いて、みんなで一つの目標に向かうことしか、できなかった。
チーム一丸。日本が、世界が、一つになって。

素敵なストーリーも生まれていた。

それが、いま、個性に重きをおけるようになった。
みんな違う。みんな、それぞれ、良さがある。
認めることができるようになった。きっと、良いことだろう。

だから、たくさんの孤独も、生まれた。

一緒に話す仲間もいない。
誰にも理解されない。

一方で、インターネットの波に乗り、一気に広まる価値観もある。
みんな違う。みんな、それぞれ、良さがある。
そう信じていたはずなのに、あいつは多くの共感を得て。
そして、自分は。

一緒に話す仲間もいない。
誰にも理解されない。

いま、生まれた苦しみなんだ。
限られた天才の悩みだったものが、ぼくら庶民のところに降りてきた。
これまで、どの時代にもなかった出来事だ。
だから、誰もその解決方法を知らない。
だから、僕らがその答えを必死で探すのは、きっと意味があることなんだ。
見つけるのは、僕らだ。
見つかれば、きっと。

2020年3月7日土曜日

一人で数学に憧れていた時に元気をもらっていた本、動画

先日の記事(一人で数学を学んだ時の覚書)でも書きましたが
僕は田舎でひとり、数学に憧れていました。
その時に元気をもらっていた本や動画を少しだけ紹介します。
お出かけしづらいならば、本を読めばいい。
リンクを貼ったのでクリックすれば関連ページに飛べます。

100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影―
ポアンカレ予想を解いたペレルマンが主役?の本。
ペレルマンは捕まらないので、ポアンカレ予想に関わった多くの(超一流)数学者へのインタビューがたくさん。あとがきの最後の一言が好き(ぜひ読んで)。
(幾何化予想に関するこの記事はかなりこの本に影響を受けている)

若き数学者への手紙
数学者が、数学を志す女の子、メグに向けて数学の面白さ、価値を伝える手紙をまとめたもの(実際に送った手紙ではなく、おそらく「そういうスタイル」の本)。
幼いメグに向けたものから、だんだんと成長していくメグへ、数学者として生きる楽しみや、ちょっとしたコツなどがとても良い語り口でまとめられている。


動画(こっちは数学は直接関係ないけれど、この二つの動画に大学生の時に出会えたことはとても幸せであった)
「最後の授業」ランディ・パウシュ
余命半年を宣告された、超人気教授(バーチャルリアリティが専門)が、最後に伝えたいこと、というテーマで話した1時間の講演。正直、一つの映画をみるより、おすすめ。「夢を叶える」とは?壁にぶつかった時、どう乗り越えたか?「人生が終わるその瞬間まで、楽しむことをやめない」かっこいいですよ。

スティーブ ・ジョブズ・スタンフォード大・卒業式スピーチ・2005年
こちらはとても有名な動画。ぜひ上の動画と合わせてみてほしい。
どちらも、「死」の裏返しとしてみることで、生きることを、本当の意味で生きるとはどういうことかを強く考えさせてくれる。

これらに影響を受けて僕はよく問いかけていた。
Do something to Live? Live to Do something?
人生は一度きりである。どう生きるのか。
人はいつ死ぬかわからない。今日と同じ明日が来る保証はどこにもない。
そんなことを強く意識させるこのご時世に何を考えるのか?
きっと、大事だと思う。