2019年1月26日土曜日

苦手

数学が苦手である。
もう少し正確にいうと、
世の中で「数学」と言われているものが
苦手である。
一方で、僕の好きなものも、
やっぱり「数学」と呼ばれている。
そういった意味で、
大学一年生の「数学」というのは
どちらかというと、
ぼくの苦手な方の数学で
なかなかに教えるのに苦労する。

ああ。苦手というのは
「できない」という意味ではない。
いや、苦手だけれども。
だから、どうにかして
「ぼくにとっても、楽しい」
ようにやってみている。

なんでこんなことを書いているのかというと
後期ではなんとか、
「ぼくに楽しい」ようにできた
一年生の数学。
一年生の前期の数学が、
もうどうしようもなく
苦手な数学で、
うーむ、こいつを楽しくするには
どうしたもんだろうと
今から頭を悩ませている。

ただ、今、教えてる数学は
楽しくしようと、教えているうちに
ぼくが勝手に楽しくなって
むしろいろいろ勉強したくなっている。
それは面白い発見である。

前期でそれをやるのは、たぶん
より大変なチャレンジだ。
大変な分だけ、もっと面白い発見があるかも。

がんばります。

2019年1月19日土曜日

いろいろ

一つの定理に色々な証明がつくことがある。
一度「証明」されれば、その"正しさ"は不変であり
もう一度、別の証明をする意味なんてあるのだろうか?

きっと、たくさん答えがある中で
ぼくの答えを書いておきたくなりました。

数学というのは、自由な学問であり
自分の好きなように、ルールをきめて
そのルールに従ってゲームを楽しんで良い。

何をやっても良い
そんな世界でひとは
どこに価値をもとめるか?
一つの答えで、
ぼく自身が大事だと思っていることが
「ひろがり」
である。

数字なんてただの記号で、
どんなルールにしても良い。
"2"と"3" が表す意味を逆にして
1+1 = 3
1+2 = 4
1+3 = 2
としたって、特に問題はない。

でも、このルールを作って色々な遊びをしても
その世界はおそらく、大した"ひろがり"をもたない。
僕らがよく見知っている数字の世界を
超えることはないだろう。

ぼくらは、一つのきっかけで
わっ、と世界が広がる
そんなルールを探しているんじゃないかと思っている。
素敵な世界が広がると
人々が集い、文化ができる。
"国"のようであるなと思った
という話を昔した気がする。
この"文化"の目に見える部分が定理。

自由だから、みんな好きなように
ルールを、国を作っていく。
いろいろな国々で、面白い文化ができていく。
みんなが気ままに作った国で育った文化が
つきつめると、深いところで
繋がっていることがある。
この"つながり"は数学の魅力であるし
素敵な国と繋がれた国はきっとまた素敵。

一つの定理にいろいろな証明がある。それは
一つの定理がいろいろな"文化に"現れる
そんな意味ではないかと思う。

その定理はきっと、国と国をつなぐ架け橋になって
そこから、さらに素敵な世界が広がって。

そうやって、続いていくのが
数学なのかなと思ったのでした。

2019年1月13日日曜日

評価

ぼくは「感動した数学」を忘れない。
囲碁をやっていたおかげかと思っている
対局を覚えているのと感覚が同じ。

基本的に記憶力がほとんどないぼく
そんなぼくが「覚えていられるもの」。
ぼくが何に感動するかはぼくにもわからない。
それでも、ぼくの数学は「ぼくが感動したもの」でできている。

全然見向きもされなかったり
意外と評価されたり

ひとの評価は正直気になる。
けど、全然評価されない自分の論文を読んでも
ぼくは、おもしろっ!となる。
このおもしろさが分かるのはぼくだけ!
と悦に入ったりもするが、
ただの負け惜しみだろうか。

一方で、
「ひとに評価される数学をやるべき」
そういう人もいる。
ともすると、他人の価値観で数学をするようで
なかなか受け入れられなかった。
それでも、最近は評価されることは大事だと思っている。
ひとに合わせることはできないのだけど。

たぶん、理想は自分の「面白い」を
周りが評価せざるを得ないほど
突き抜けたレベルで表現すること、かな。

とりあえず、しばらくは自分の「面白い」を
それだけを、追い求めてみたい。

それでダメなら、そのときは、そのときだ。

2019年1月5日土曜日

跳躍

明けましておめでとうございます。
毎年、年が明ける瞬間
全力でジャンプしています。

おれ、年明けの瞬間地球上にいなかったぜ!

という、子供の遊びです。
こういうくだらないことを
ひたすらに、続けていきたいです。

じーちゃんになっても
毎年やっていきたいです。

ずっと続けていきたいことがあるというのは
良いものだと思っております。

今年もよろしくお願い致します。