2018年1月27日土曜日

俳句、短歌

東京よ
雪ふる音も
掻き消して

昔、「東京駅で雪」というお題で俳句を作るという企画をみて勝手に作った俳句
気に入ってはいますが、深みはたぶんありません。


日本語は科学的な議論に向かない
という意見がちらほら。

でも、どこかで読んだ「俳句、短歌」という文化と
数学の相性の良さはここで繰り返し主張してもいいかなと思います。

数学では、いろいろな情報を"捨てて"最後に残った大事なところをみる、
という考え方が大事です(少なくともぼくは好きです)。
これが、俳句や短歌の文字制限のもと、情景を記述する、
という日本で昔から行われている遊びととても相性が良いと言われています。

前にも書きましたが、ぼくは"密度"の濃い表現が好きで
その意味でも、数学と、俳句や短歌は似ています。

「ひとこと」にどれだけの意味、気持ちがこもっているか。
文章や、お芝居や、様々な物語もきっと同じ。
ひとことを、
「一手」に変えれば囲碁に。
「一瞬」に変えればスポーツに。

気づかなければ、見逃してしまうほどの「そこ」にどれだけの"密度"をこめられるか。

まだまだ"絶対量"が足らなくて、そういう数学が書けないのが悔しいですが
目標はこんな感じです。

2018年1月20日土曜日

あっちそっちこっち

少し前に、なんだかとても良い講演をきけたおはなし。
気にはなっているけれど、
よくわからないと思っている分野は
結構いろいろあります。
そのうちの二つ、全然関係ないと思っていた二つが
実はつながっております、という講演。

数学をやると''絵''が見えます、そんな話をなんどかしましたが、
実は、絵が見えるためにはその分野において
ある程度経験が必要です。
(少なくともぼくの場合)

定義を見ても、その分野の人が何を、見ているのか
なかなか見えないことも多々あります。
直接聞いてみても、こっちの言葉とあっちの言葉の違いもあって
なかなかうまくわからない。

先日の講演では、あっちと、そっちの、言葉が、
ぼくが最近、こっちに、あることに気づいた言葉で説明されて
ずいぶんわかった気分になれたのです。
細かいところをきちんとわかったわけではありませんが、
ずいぶんと良い気分になれる講演でした。
語り口もなんだか素敵で、心地よかった。

ぼくは気ままに、やりたい研究をやる人になりたい。
そのために、知らない分野もどんどん学びたい。
そんなとき、''気分''がわかっていると見えかたがぜんぜん違う。

良い講演をきけました。
ぼくもあんな講演ができるように、なりたい。

2018年1月13日土曜日

考えるということを考える

今日は「集中」すると言うことについて。
20代前半のときは自分でもよく「集中」出来ていたなと思うのですが
その「集中」はよく聞くそれとは、少し違う、気がするというおはなし。

気がついたら朝だった。

そんな"集中"をよく聞きます。
しかしぼくは、もちろん通常よりは頭は動いているが
上手く集中できて"いない"ときに
あっという間に時がたったと感じると思っています。
単純作業、計算、プログラミング。
頭は動いているような、止まっているような。

考えてみると、そんな"集中"は
「時間」に「感覚」が置いて行かれている。


ぼくが、「集中」できたと思うとき、
1時間や、30分といった、短い時間に
ものすごい沢山のことが「わかる」。

いつもなら数時間、もしかしたら月単位で得たであろう感覚を
"一瞬で"得る。

時間に対して,自分が非常に"速く"動く。

これは何なのだろうと思い、考えて、ふとこれは
スポーツでよく聞く「ゾーン」に近いのかもしれないと思う。
この「集中」を目指したい。
スポーツで、時間に対して自分が置いて行かれてはいけない。
きっと、「考える」でもおなじ。

「集中」すると言うことを「潜る」と表現する人がいる。
「3月のライオン」とか。
数学者でもそのような記事を書いているひとが。

なるほど、と思う。
潜ったときは時間がゆっくり流れる。
1分がとても長く感じる。
1分にいろいろなことを感じる。
感覚が冴える。
そして、とても心地よい。

思い返すと、
周りの音がいつもよりよく聞こえ
雑音に「弱く」、静寂を欲する。
そんなときに、よく「集中」していた。
いろいろ冴えちまう、そんな感じ。

「気づいたら朝」の集中は「何も聞こえなく」なり
きっと、少し、違うもの。

その「潜る」時間、「ゾーンに入る」時間の量が研究者として
大事なんだろうと思っていたし、今でも思っている。

実は,20代半ばを過ぎた頃から数年、ほとんど「そこ」には行けなくなった。

今は、たまに、です。

その辺の話は、また今度。

2018年1月6日土曜日

新年

初詣。

良いことも、悪いことも、どうぞそのままでお持ちください。

最近は、毎年そう願っている。
相変わらず良いことがあると調子にのるし、
失敗からは学びそこなってばかりだけれど。
そのままの、てざわりある日々を集めて、受け取って
良い一年と言いたい。

2017年は、「自分で動くと面白い」ということを
この歳になって再確認した。
今年は、もっともっとやっていこうと思います。


元日、向かいの家のおばあちゃんから
「まさいのお兄さん、電気がぜんぶ消えてしまった」
と呼び出される。
ブレーカーをいじったら、ちゃんと点いた。

うん、何をすれば良いのか、よくはわからないけど、
今年は良いことをしよう、と思いました。

2018年、はじまりました。
やってやりましょう!なにかを(あやふや)