2017年5月27日土曜日

おうさま

大学生として4年間を過ごす意味はなんですか?

学生のとき、研究者になってから、何度か出会った質問です。
大学というのは中学高校、または社会人と比べてとても自由な時間を過ごせる場所です。
授業を休んでも、単位を落としても、まぁ許されます。
人に迷惑をかければ何をやってもきっと大丈夫。

大学という場所はその"自由"をお金を出して買う場所です。
世間も自由である事を認めてくれるとても良い場所。
多少の失敗も、受け入れてもらえるでしょう。

でも、だから。

その自由を使って何をするか、見ている人がいます。

4年間、遊んでしまったら。
きっとあなたは管理されます。
「自由だったら遊びます」
そう、宣言してしまったのだから。

4年間の自由で、
「おもしろいもの」「おもしろくなるかもしれないもの」
なにかを感じ取れることをしていたら?
さらに2年、もう3年、続けてみたら。

「この人に自由を与えたら、おもしろいものがでてくる」

そう、思ってもらえたらきっと今度は自由を与えてくれる人がでてくるはず。

大学の話をしましたが、きっとどこにいても、何をやっていても同じ。
「自分」をみせるチャンスがあったら、そこ、です。



おもしろいものが、生み出せなくなったら、終わるかもしれない。

だけど、続けていければ、それはそれは。


この海で一番自由なやつ。

それが、おうさまらしいです。

2017年5月20日土曜日

ぐわんぐわん

GW を含めていろいろイベントのある2週間をすごしました。
友達の結婚式に行って、気合いの入る研究発表をやって、もう一度友達の結婚式に行きました。

思いっきりお祝いする気持ちにしてから
思いっきり気合いをいれて
もういちど
思いっきりお祝いする気持ち。

終わって少し、きもちが、ぐわんぐわん、しています。

研究をやるときは一所懸命、そこに留まるために、きもちを深く、沈めます。
お祝いするときは、思いっきりあげます。

あげて沈めてあげて。
ぐわんぐわん。

ふだん、研究をやったあと人に会う用事があるときは
少し時間をあけて、きもちを持ち上げてからでないと
上手に話せなかったりします。

大きく動かしたきもちが、いつもより少しだけ揺れています。

イベントは全部、楽しかったです。


ひとりでは動かせなかったきもちが落ち着いたとき
何が残るのか
楽しみです。

ぐわんぐわん。

2017年5月13日土曜日

なぜ

ε-δ 論法という、大学に入りたての学生を''苦しめる''、
理解が少しだけ大変な考え方があります。
これが理解できないのは、きっと理解したくないから、なのだろうなと思うのです。
ε-δ 論法に限りません。
学校でならう数学や他の科目もきっとおなじ。


そういっても、多くの人は
理解したい気持ちはある!
そういうかもしれません。

それは、なぜですか?

単位が欲しい。いい点を取りたい。いい大学に受かりたい。

少し、難しいかもしれないと思う理由を並べてみました。
ただし、次の「なぜ」に耐えられるなら、大丈夫です。

単位が欲しい。いい点を取りたい。いい大学に受かりたい。
それは、なぜですか?

そこで出てきた理由にたいして、また「なぜ」を聞いて、
なんどか繰り返して
それでも実のある答えが残ったなら、きっと大丈夫。
今日難しくても、明日きっとわかります。

勉強に限らず、何かをやろうとしたとき、
「なぜの深さ」はとても大事だと思っています。


普通なら聞き流してしまうようなことでも
好きな人が言ったなら、
気になるでしょう。

ε-δ 論法が気になって仕方なくなったら、
明日にはきっと理解できるのではないかとおもうのです。

2017年5月6日土曜日

おとどけ

きっと素敵な考えをもっているのに。
どうしてそんな言い方に。


むかし、お芝居をすこしやってみて、思ったことがあります。

本当に伝わらない。

表現しているつもりでも、
みている人にはほとんど伝わっていないのです。
こんなにやったら大袈裟だろう、
それですこし伝わるくらい。

研究発表や授業もおなじです。
精一杯の工夫をこらして、
すこし伝わるくらい。


きっと大事なことほど、
伝えるのが難しいということなんでしょう。

普段の会話でも、おなじかもしれません。
一生懸命丁寧に、伝えて少し伝わります。

でも、すべてを懇切丁寧に説明すればいいのか?


とくに研究発表においてですが、
ぼくは意識して、すこしだけ"わかりづらく"発表することがよくあります。


お芝居や、わかりやすい例なら、お笑い。
全部説明したら、肝心なところが"台無し"になるから。

スポーツや囲碁もそう。
言葉ではわからなくてもカラダに"すっ"と入ったときに
「伝わった」と思えるのです。

伝えるのはとても難しい。


大事なことは、ときに丁寧に、ときに大袈裟に、心をこめて、

おとどけを。