2018年8月25日土曜日

ふ自由

自由な人にあった。
いいね。自由ってこんなんだよね。

数学はなによりも自由であるはず。
あんまり自由がすぎると
不自由を感じたりする。

めんどうなこっちゃ。


夏が、終わる。

2018年8月18日土曜日

移り変わり

季節や天気を、その移り変わりを、
感じ取って生きたいと思っている。

それでも、ちょっと忙しくなると
普通の人よりはきっと随分余裕があるくせに
忘れてしまう。

少し早めに秋の空気に。
こんな日が、気持ちが良いと
きちんと感じられるようでありたい。

数学から
季節を感じられるようになりたいと
ずっと思っているけれど
それはずいぶん大変そうだ。

まずは、そこにある季節を
きちんと楽しむところから
やってみます。

2018年8月11日土曜日

やりたい放題

やりたい放題やっていきたい。
中学生の終わり、高校生のころから、
ぼくはどんどん自分に正直になってきている。
でも、ぼくはとても"いい子"だった(はず)。
ぼくがやりたいようにやっても
とくに先生の望む形から外れることはなかったので
とくに問題なくすごしていた。

高校生の終わりの頃、
ぼくの自由と学校や周りが思う"いい子''が
分かれた。
その時、先生や周りの人は
「裏切られた」という顔をしていたのを覚えている。
ぼくはぼくで、その反応に驚いていた。
いつも通り自分に従っただけだったから。

どうしてこんなことを書いているのかというと
自由ってこういうことだよな
とふと思ったから。

ルールを破る
自分に貼られたレッテルを破る
これをやると"自由"と言われるけれど
これをやることが"自由"ではない。

いつもルールを破る人は
実はルールにとても縛られている
とよく思っている。

本当の意味で、いつも
自分に従っている
そんなひとがきっと自由なんだよな。

2018年8月4日土曜日

ひとつ、ひとつ


又吉さんの卒業式でのメッセージをみた。
https://www.youtube.com/watch?v=rghxBpAASr8

よかった。

コメントに「排水溝を見つめてるだけの時間」という表現で
絶望感を表すのはさすが!
というのがあった。

考えた。
排水溝を見つめてるだけの時間、って
たぶんぼくなら絶望感ないな、と。

絶望という表現は強すぎてあまり好きではない。
使わないようにしてきた。

ただ、絶望というは、
どこかに、まぁ前か後ろに
希望とか、期待とかがないと
たぶん生まれない。

意味のないことをただぼーっとやる時間は
”なーんも無い”よね。

絶望してたら、踏ん張るのは結構簡単。
表裏一体となって、希望があるから。

なーんも無いとき
頑張るのは大変。
なーんも無いからね。

うん、いい感じに
なーんも無い
日記になってきた。

なんで又吉さんのスピーチを思い出したかというと
今日が誕生日だから。

毎週土曜に日記を!
そう決意して1年半ほど。
2度目で誕生日を土曜に引いてしまいました。

数学をしているというと
しばしば聞かれるのが
「やっぱり素数に興奮するの?」
という質問。

すみません、しません。
けど、「ぼくの誕生日、めっちゃ水曜日に来るな」
とかならないのは、7が素数なおかげ。
素敵かもしれない。

うーむ。
なーんも無いが
結構楽しい時はどうすればいいのだろう。

ま、なーんもしないんだけどね。

鼓動のように
”なーんもしてない”
そんな意識で
何かをしたいのです。
難しいけどね。