2023年7月1日土曜日

大学教育はどれくらい丁寧であるべきか?

担当する科目の巡り合わせで久しぶりに「演習科目」を担当した。
5年前に設計した演習授業のスタイルを用いた。
毎週問題を配布し、1週間か2週間後にほぼ全く同じ問題からなる小テストを行う。
幸運にもAIなどについて、特に対策のいらない仕組みである。

学生から要望があった「解答案を配布してほしい」。
小テストのあとであっても「解答案は一切作らず、学生には配布しない」
授業設計時にそう決めていた。

コロナ禍で、コミュニケーションが十分に取れなかった間に随分僕は丸くなり、今では(コロナ前に比較すると)懇切丁寧、学生の要望になるべく(当社比)応えようという考えも持ち合わせていた。

4月の段階ではAIとの在り方などに思考をとられており、5年前の授業設計時に考えたことなどについて十分に想いを巡らせてはいなかった。学生から解答案を求められてようやく授業設計当時の僕と話をしてみた。すると

「君たちはいつ、答えのない世界で戦う準備をするの?」

と、まっすぐな声で言われた。
東工大は理系の大学である。学生は将来、なにかしらの科学、技術を身につけ、誰も解決したことのない、答えを知らない課題や問題に貢献することを「仕事」とすることが期待されている。そこに誰かが作ってくれた「解答案」はない。

高校までの数学は少々のごまかしがあることもあり、また成長過程として必要なこともあり「誰かに正しさを確かめてもらう」。しかしそれが行きすぎて、多数の問題の解答法を"覚えて"やりすごすという「パターン認識」でテストの点数をあげるスタイルをとる人が一定数でてくる。パターンを覚えて新しい問題に取り組んでいくことは学習の段階で決して悪いことではないが行き過ぎると、昨今の"AIのような思考"になってしまう。人間は少し違った思考ができる。

大学1年生の数学は、ある程度「自分で正しさを確かめられる」領域まで進む。自分自身で論理を確かめ正しいことを自ら確認できる、というと少し言い過ぎの感もあるが、すくなくとも「そこ」を目指していく態度をみせるのが大学数学である。

だからこそ「解答案は配布しない」のだ。
自分の答案が正しいか否かは、自分で確かめてほしいのである。

いきなりそんなことを言われたら大変なのは知っている。でも君たちには周りに友人がいて、先輩がいて、そして教員がいるのだ。困ったら聞いてみれば良い。授業中にはTAさんや僕が巡回して「質問し放題」なのである。僕は質問されたら解答も含めて全て答えることにしている。これまでの想いと矛盾するようだが、受け身で何もしないで解答が与えられる世界から、行動したら(ほぼ解答案のような)ヒントが与えられる世界へと一歩進んでいる。そうして、いつか誰も答えを知らない世界へと向かう準備をしてほしい。

最近、"大学授業の商品化"のような議論を目にする。商品にするならば、学生の評価をあげなければならないだろう。実はそれは(少なくとも現状は)あまり難しいことではない。懇切丁寧、わかりやすく説明して、難しいことには触れないでおいて、演習問題には学生の望み通りに丁寧な解説をつけて、学生が頑張らなくてもわかった気分になるようにして、成績評価を"あまあま"にして、それでちょっと親しみやすい雰囲気でいれば、学生の評価はいくらでも稼げる。

でもさ、それは優しいようで、「成長する機会を奪って」はいないのかい?
少なくとも僕は、いつか答えのない世界で君が世界で初めて見つけた「答え」がみたい。
だから、答えはあげない、あげられない。ごめんよ。