2018年3月31日土曜日

数学会

数学会に参加してきました。
たくさんの分科会があって、
各分科会ごとのセッションに分かれて講演があります。
通常、数学の講演は1時間ほどですが
数学会ではだいたい15分。
(1時間の特別講演などもあります)
1時間、知らない話を全くわからないまま聞くのはつらいけど
15分なら、ということで
ぼくは自分と違う分野の分科会によく行きます。
分からないことも多いですが
いまその分野でどんな人がどんなことを
研究しているのかが感じられて
楽しいです。

いろいろなつながりもあって
思いもよらない分科会で
思いもよらない人と会えたりして
なぜか今回はたくさんの女の子と話せて
うん、ぼく、ほくほくしました。

2018年3月24日土曜日

小説

小説が読めなかった。
もっというと文章が読めなかった。
文庫本で、2ページくらいは大丈夫
けど、10ページも読むと、なんというか
説明のしようが難しいのだけれど
文字は意味を失い
頭の中でおとが響くだけになる。
理解は全くできない。

課題図書などで、どうしても読まないとならないときは
仕方ないからたくさん休憩をはさみ
ゆっくり時間をかけて読んでいた。

困ったのが国語の試験。
時間制限の中で速く読んで
問題の答えを速く探す必要があって
文字が途中で意味を失うぼくにはとても難しかった。

一度、トイストーリーが試験に出て
''読みやすい''という理由でとても長く
さんさんたるできだったことがある。
文字の数が、とにかく問題でした。


最近になって、自分が小説が読めるようになっていることを知った。
時間制限とか、課題とか
''強制''されることがないからか
たのしい
相変わらず、速くは読めないのだけれども。

文豪と呼ばれる人の本を読んでみている。
文章ってすごい。
スポーツとか''危ない''ときとか
いろいろな動きがスローになって
事細かに動きがおえる
めったにないことだけれども
経験したことがある人も多い現象だと思う。

それが、見事に表現されていて
ただ文章を読んでいるだけなのに
目の前には確かにスローに登場人物が舞っている
そんな体験をした。

いくつかの設定を説明されたあと、
勝手に数学が動き出して
先を読まなくても''動き''がみえる

そんなことを思い出したりもしたけれど
似ているような、すこし違うような。

文字が読めなかったから、
文字をたくさん追わないでいい
数学という学問が肌にあって研究している。
この''弱点''は、ぼくの数学をシンプルにするのに
役に立っていると信じている。

それでも、数学も詰まるところ、言葉でできていて
言葉で、言葉で説明できないことを説明するのが
きっと数学で
それを続けているうちに
自分が、まさに言葉でできている小説を
読めるように、楽しめるように
なっていることを発見をして
ふふ、ずいぶんうれしい。

2018年3月17日土曜日

いいてんき

「良い天気ですねっ!」
いいてんきですねぇ
「いーてんきですよね!いやあ!よおい!」

平泉に行ってきた。
陽気なおっちゃんと
あたらしい挨拶をした。

雰囲気のある場所
どこか懐かしい。

いちおしをとばして
人があまりいない庭園へ

すっかり春の陽気。
その中に
一面が凍った池。
歩けそうなほど凍った池は
はじめましてかもしれない。

おみくじを、引いてみる。

末吉
あたらしいことはやめておけ
という。

申し訳ないが運命さんよ
そこだけは譲れない。

やっぱりいちおしに行きたくなって
おっちゃんに道を尋ねる。

バスとかもありますが
いー天気ですから
いー天気ですから
歩いて行きましょう
あそこの道をまっすぐです。

本当にいい天気。
途中、冒頭の陽気な
おっちゃんと会った。

記念館があった。
忘れていた
子供のころ義経が好きだった。
義経は平泉を気に入り
鎌倉のまちづくりに
平泉を手本としたという。
懐かしさの理由をしった。

いちおしは見所も多々ありましたが
ひとがたくさん。
せわしない。
弁慶の像、大きくて顔が怖い。
家族連れ、子供がひとこと
「お母さんみたい」
「ちょっとやめてよー」
と、お母さん。
楽しそうである。

帰り道、ぶらぶら適当に歩くと
義経が没した場所に出会う。
向かう途中
「おーい、にいちゃん!」

有料でした。
おっちゃんが
ハンコの日付が狂ったから待てという。

「焦ったって、なーんもいいことないから」

ぼくの乗りたい電車までは
あまり時間がない。

「ま、いっか。ズレてたらごめんな。ポン。」

あってた。
高台へ登る
義経堂。

夏草や
兵共が
夢の跡

芭蕉がそう読んだ場所。

ぼくの前には
広がる田畑、山、川。

そして、大きな道路を走る
車、車、車。
更なる工事を、知らせる看板
生活している人々がいる。

世界遺産に登録された平泉
世界遺産にふさわしい街並みに!

工事の計画を知らせる看板
もちろん、住んでる人々が大事。

ぼくはただ
そのままでも、いいよ。

と、こころのなかで呟いた。

そうか
そのままでも、いいのか。

かえってきた
いいてんきだった。

気がつくと
小さな数学がひとつ、できていた。

2018年3月10日土曜日

プロモーションビデオ

まさいさんはここに体育座りです。

え、あ、はい。



研究所の広報の一環で
プロモーションビデオを撮るとのことで
協力しました。

2:40からちょっとしゃべります。
(その後もちょこちょこ映ります)



途中に挟まれる''講義風景''の撮影が楽しかった。
監督さんがちゃんといて
構図を指定された後
即席でそれっぽいセリフと動きを自分で考えて
それを撮ってもらいました。
ぼくが少しだけ''自由''であることがわかると
監督さんは演出をつけてくれるようになり
10年前、お芝居をやっていたときを思い出していました。
いくつかの演出に対応しようとして
数秒、左手がお留守になったりしています。

思ったのは、映像の撮影は演劇と似ているようで
結構ちがうということ。
演劇では、一つのシーンの練習にかけられる時間が長い
ひとつひとつじっくり作り込む。
今回の映像の撮影は、全部で15分くらい。
その''瞬間''に全てを出さなければならない。
難しかった。
映像で魅力的に映るプロの人は
普段どれだけ訓練しているんだろうと
想像だけで、ずいぶん尊敬した。

そして、研究のことを考えた。
数学の研究は演劇に似ている。
じっくり、じっくり考えて
そして得たものを少しずつ書き残していく。
一方で、例えば他の分野の人と話をするときは
今回の映像と似た感覚がある。
テーマも大抵決まっているし
それまでの積み重ねも大事だけど
その場その瞬間で何を出せるかが大事。
互いに関連しあって、
どちらもとても、おもしろい。

こんな風に、まったく違うものから
''同じアイデア''を抜き出すのが抽象化ですね
って話をブログを書き出した頃
よくしていたことを思い出しもしました。

とりあえず、おもしろかったです。

2018年3月3日土曜日

一人雪

雪の降る日に
旅に出た。


山中にある、名所に向かった。
なるほど、名所であって
人々が往き交う。

雪で滑る山道に苦労する人々。
どうやらぼくは
やっぱり道産子みたい
すいすいと登る。

頂上は本来
見晴らしがいいらしい
雪で何も見えない。

ま、ぼくは雪を見にきたのだから
いいのさ
と一人で勝手に満足。

登りで調子に乗ったぼくは
帰り道、見事に滑って転んだ。
ずいぶん久しぶりに
あんまりキレイに
すってんころりん
したものだから
こどものように、笑った。

駅に戻ると、電車は一時間後。
駅員さんにおすすめを聞くと
「なーんもねぇんだここは」
なぜかすごく嬉しそうだった。

「そういや、芭蕉の記念館があったな」

向かってみると吹雪いている。
ぼくの前には
かろうじて轍のおもかげ
足跡はひとつもない

「ま、冬だかんらやってねぇかもしれねぇけども」

なんとか、辿り着くと
やってた。

とびらを開けると
受付のお姉さんがあたふたあたふた。
そりゃ、誰もこないと思いますよね
そんな天気。

芭蕉の句がどうやら好きらしい
いいことを知った。

すべておき
当てなき坂を
一人雪

駄洒落である。
投稿俳句コーナーに置いておいた。

電車は一時間に一本だったので
ひとつ見送り、
芭蕉の句の中で雪を見ていた。

なんとか歩けるほどの吹雪
駅にもどる。

真っ白な視界に
二つ、目を光らせてやってくる電車は
なんだかとても
力強かった。

あぁ、そうそう。
数学。
歩いてるときは
半分くらいは考えている。
あとの半分は、まぁいろいろ。
こんな時に出会った数学は
この旅と一緒にあたまに残る。
それがとても楽しいのです。

一人雪。