2019年6月23日日曜日

いつかの結び目

トポロジーの話。今度の講演のメモ書きである。
ボールの軌道を追いかけることによって組みひもを作る話をする。
トポロジーの説明は1年前の動画(これ)をみてもらうことにして
その先の話。

人と人との関わりは、組みひものようだと思っている。
もちろん礼儀は大事だけれど、多少の"ゆれ"はそこまで関係性を大きく変えない。
積み重なって大きなわだかまりになることはあっても
一つ二つの失礼、失言はなんだかんだで、その後がしっかりしていれば
関係性を大きく変えることはない。
組みひもを多少揺らしても、交わることがなく
トポロジーが変わらないのによく似ている。

けれど、例えば

相手が本当に困っている時
助けてあげられるか。

追いかけたい夢ができた時
それをお世話になっている人に伝えられるか。

本気の思いを、相手に伝えられるか。

これが、組みひもの「絡まり」を、きっと変える。
トポロジーが、変わる。

思えば、ずっとランダムな絡まりを研究してきた。
人と人との交わりは、組みひもを形成していくとして、
その絡まりかたは、成り行きに任せるだけなら
きっとランダムであろうと思う。
偶然が積み重なって
そうやって、人と人との関わりが生まれていく。

わかっていることは、過去にできた結び目は
成り行きに任せていたら
ランダムに組みひもを絡ませていたら
ほぼ間違いなく、解けないこと。

それを解こうと思ったら、時間が経てば経つほど
大きな努力がいること。

多くの場合は、とてもとても解けず
諦めるしかないこと。

話は飛躍するけれど、
死は、そんな複雑になった絡まりを解く、
大きな視点では大切なものだと思っている。

結局、ほとんどの場合、
今、ここ
でしか組みひものトポロジーは変えられない。

本気を見せる、その前に必要なさまざまな障害を乗り越える時の、ゆれは、
やる前は大きなものに見えるのだけど、
やってみると、そうでもない。
トポロジーはきっと変わらない。

でも、その本気を誰にも見せずに、
伝えずに、行動せずに、隠してしまうと
トポロジーを、変えてしまう。

そんな風にトポロジーを変えてしまうと
いつか、後になって気づく。
そこに嫌な絡まりがあることに。
それは、解けないことに。

実を言うと、そんな勇気を持って見せつけた本気のそれは
そう遠くない未来に、大事でなくなったりもする。

それでもいいから。
動いて、伝えて、見せつけて欲しい。

大人は色々なことをいうけれど、
結局、人は、自分が見てきた世界のことしか、知らない。

今、この瞬間にある想いは、たくさんの大人の"これまで"より
ずっと、本物だ。
だけど、本物であればあるほど
価値があればあるほど、
伝えないと、表に出さないと
明日にはなくなってしまうかもしれない
たぶん、そう言うものなんだと思う。

見せつけて、その後大事でなくなってしまうのと
隠して消えてしまうことは
似ているようで、違う。

上から見ると、一周回って同じ場所にいるようで
横から見ると、一段、違う。

高校生の時、結局僕は、ぶつけた本気の道へは進まなかった。
ずっと、解けない、嫌な絡み目を感じていた。
だから、大学生の時、
僕は、絶対に譲らないと、覚悟ができた。

そんな感じ。

テンション上がって色々書いてしまった。
ここから、搾って、ジュースにします。