2019年1月13日日曜日

評価

ぼくは「感動した数学」を忘れない。
囲碁をやっていたおかげかと思っている
対局を覚えているのと感覚が同じ。

基本的に記憶力がほとんどないぼく
そんなぼくが「覚えていられるもの」。
ぼくが何に感動するかはぼくにもわからない。
それでも、ぼくの数学は「ぼくが感動したもの」でできている。

全然見向きもされなかったり
意外と評価されたり

ひとの評価は正直気になる。
けど、全然評価されない自分の論文を読んでも
ぼくは、おもしろっ!となる。
このおもしろさが分かるのはぼくだけ!
と悦に入ったりもするが、
ただの負け惜しみだろうか。

一方で、
「ひとに評価される数学をやるべき」
そういう人もいる。
ともすると、他人の価値観で数学をするようで
なかなか受け入れられなかった。
それでも、最近は評価されることは大事だと思っている。
ひとに合わせることはできないのだけど。

たぶん、理想は自分の「面白い」を
周りが評価せざるを得ないほど
突き抜けたレベルで表現すること、かな。

とりあえず、しばらくは自分の「面白い」を
それだけを、追い求めてみたい。

それでダメなら、そのときは、そのときだ。