2020年4月19日日曜日

科学と文化

或る日「突然」失われた日常が戻ることはないだろう。
戻るとしたら、徐々に、ゆっくり、少しずつ。時間をかけて。
僕個人の予想だと、ながーい時間がかかる。
その時に、何を戻し、何を変えるべきか。
科学と文化が協力して、考えたら素敵だ。

科学は「何ができるか」を
文化は「何をすべきか」を
それぞれ提案して。

何ができるかが分からなければ、何をすべきか、分からない。
何をすべきかが分からなければ、何を作ればいいか、分からない。

科学が、文化が、芸術が、大切に扱われるべきだと言うならば
こういう時に進むべき「未来」を提示して見せる必要がないか?

オンライン技術はほとんど全部、外国産で
アーティストや芸術家は、なんか「文句」と「いいね」ばっかり集めてる。
もちろん、全てがそうではないだろうし、難しい、苦しいのもわかるけど。
だいたいは、残念ながら。

かく言う自分も、なんにもない。
ただ。

数学は、科学と文化の中間地点にいるはずだ。
数学は科学の基礎である。
同時に、数学の研究は文化的だ。
「正しさ」の感覚。
先が見えない時に「正しさ」を嗅ぎ分ける嗅覚。
きっと役に立つはずだ。

ひとまず目の前の課題として、
どうやって学生を学校に来れるようにするかを考えている。
半分?1/10? 一部だけでも、なるべく早く教室で授業をするための方法を考えている。
オンラインと対面の両立が必要だ。黒板を中継するための方法、実は大体できている。
この騒ぎは年単位で続くと思っていて、その間、新入生が
入学して一度も大学で授業を受けられない期間が続くのは違うだろう。
いつまでも何もしないわけにはいかない。
「できること」を探していくべきだと思う。
「スペースに余裕がある教室での授業」などは「できること」ではないか?
少なくても「すべきこと」だと僕は思う。
今はまだ早いにしても、社会全体として、どこかで舵を切る必要がある。
「できること」と、「すべきこと」を、きちんと考えて。

一方で、僕たちは大きく学んだこともある。
淀んだ空気はきれいになり、濁っていた川は透明さを取り戻した。
変えられないと思っていたことは、いとも簡単に変わった。
元どおりに戻す必要はないし、正直、戻してはいけないものもたくさんあるだろう。

命についても考える必要があるだろう。
「助けられるはずの命」という言葉を度々目にする。
いずれ失われると。
いま、実際のところは救われた命のほうがずっと、ずっと多いだろう。
命が人間だけのものじゃ、ないならば。地球は少し、きれいになった。

3月の中旬頃に英語で「地球にとってのウイルスが人間であり、コロナはそのワクチンである」というツイートが回ってきた。極論かもしれないけれど、この類の主張が「日本語」で表現されているのが散見されるようになったのは本当に最近だ。

海外がいつでも正しいとは言わない。
僕はこだわって、日本に居座っている。いいところがたくさん、たくさんある。
世界中で、「課題」が浮き彫りになった。
そのほとんどが、「やればできる」ことだったように思う。
考え方の、心の問題だった。

ずっと思っていた。物質的な豊かさはもう限界で、これ以上追い求めても結局苦しくなるばかりではないかと。
一方で、精神的豊かさは大いに、大いに成長の余地がある。

きっと、そういう時間だ。
さあ、世界が、日本が、僕が。
何を考えるか、正直に言えばとても楽しみである。