2022年2月24日木曜日

数学と演劇2

 演劇を学んだら良いのではないか?
そう思い立ったのは、東北大学で「サイエンスカフェ」をやる際に少し気合を入れて準備したこと、また「研究所紹介ビデオ」に出演したのもきっかけだった。
当初は、具体的な効果や目標も定まってはおらず"あやふや"であった。
昨今の「選択と集中」への批判に似た感覚であるが、"先の見えない"研究テーマを選んでいくことが、数学者、研究者として自分の生きる道であると信じていたので、その発想が数学や科学を飛び出すことを、単純に面白いと感じた。
「面白い」とは感じても、そこに飛び込む数学者は(少なくとも日本には)存在しないであろう。誰もやらないならやってみよう。
動き出したのはおおよそ3年半前、東京に戻ってきたタイミングだった。
暇を見つけてはレッスン場にお邪魔し、稽古をした。
一回り以上年下の人も多い中、ありがたいことに死ぬほど「ダメ出し」された。
(ただ、数学その他、"独学"ばかりだった僕は、叱責の有り難さを知っていた)

研究発表や、一般向け講演でそれなりに評価してもらっていた自信は、粉々に砕け散った。
声も出ない、滑舌も悪い、伝わらない。散々だった。
現状でも"まだまだ"であるが、当初に比べると格段に言葉を発するのが上手になっている。これは訓練で向上する技術であることがわかった。

研究者と発表

現代の研究者は、「自らの研究を発表し人に伝える」ことが求められる。多くの人が、少ないポジションを奪い合う状況では、この「発表能力」が幸か不幸か、とても重要である。
さらには、日本で最初に発明された技術が、うまく伝わらず、数年後他国の"発表上手"に再発見され、結局"奪われてしまった"などという話も耳にする。

研究者にコミュニケーション能力をと謳われて久しいが、コミュニケーション能力には2種類ある。
・他人に合わせて自分を殺し、その場を収める能力
・自分自身を相手に理解してもらう能力
「コミュニケーション能力」は前者を指す場合が多いが、研究者に必要なのは主に後者である(と信じている)。この点において、統計をとったわけではないが"ある程度レベルの高い理系"の人で、苦手と感じている人が多いと思う。もちろん、生まれつき上手な人もたくさんいる。
教育というのは才能を分割し、苦手な人にも使えるように教えるものだと思っている。
演劇の手法の中に、使えるものがたくさんある。ここでは詳細は省略するが、いつか「科学者のための演劇」のような授業ができたらいいなと考えている。