2018年5月19日土曜日

繕い裁つ人

映画をみて考えたこと。
あまり内容には踏み込みませんが、
ネタバレ等がいやなひとはすみません。

















繕い、裁つ、ひとの話。
先代の洋服を、ただひたすら直す。
着る人の思いに寄り添って
服を直していく。
物語はそこから
主人公が新しい出会い
周りの人の変化
いろいろなきっかけを積み重ねて
ついに、''自分の手''で
布に触れるまでを描く。

そんな物語をみながら
自分の数学に対する向き合い方について
ずっと考えていた。

ぼくらは新しいものを生み出さないといけない。
さもなければ、''次''はない。

既に出来上がっているもの
それを学ぶのはそこから新しいものを生み出すため。

だから、ついつい
議論に隙はないかとか、
見過ごされている一般化はないか
だとか
''悪いところさがし''をしてしまう。

繕い裁つ人
既に出来上がっている洋服を
尊い、守り
本当に必要なところだけを、直す。

最近、そんな風に他の人の論文を
読んだことがあっただろうか。

そんな風に、むかしのもの、を
大切に、大切にしてきた人が
最後の最後に、自分で洋服を作った。

ぼくはその洋服はどんなに素敵だろうかと
そのものを見ずして、わくわくした。

ぼくがいつか作る、''あたらしいもの''が
そんなふうに、人にわくわくを与えられたら。

そう思うと、ぼくにはずいぶん
足りないものあると

悲しいんだか、嬉しいんだか、
なんとも言えない、そんな心地になった。