2019年11月2日土曜日

きず

高校の時、音楽の先生が話していた。
生まれながらに、指が4本しかなかった子供のことを。

初めは、親に言われたこともあり、ずっと手袋をしていた。
「どうしていつも手袋をしているの?」
黙り込むことしかできなかった。
どうしても塞ぎ込みがちだった。
自分は、指が一本「欠けている」。
指がない、自分は欠陥のある人間だ。

きっかけを話してくれたかもしれないけど忘れてしまった。
ある日、手袋を、脱ぎ捨てた。
そして、聞かれるたびに説明した。
足が速い人、頭がいい人、背が高い人がいる。
それと同じように、指が4本の人も、いるんだ。
自分がひた隠しにしていた、ちょっと足りない手は
周りの人からすると、気にすることでもなかったみたい。
むしろ、だんだん可愛く見えてきた。

こんな話。
今思うと、創作かなとも思う。どっちでもいい。
僕は、擦り傷ばかりしていた子供の頃を思い出していた。
ガーゼや絆創膏で覆っていると、擦り傷はなかなか治らず、
消毒だけして、そのままでいた方がずっと治りが早かったな。
確かに、まだ血が止まっていない段階では絆創膏などで覆うことは大事。
ちゃんと守ってあげないと、痛いし、色々なところをよごしてしまう。
でも、どこかで絆創膏を取り払い、
自然に晒さないと膿んでしまう。

どこまで守り、どこで"自然"に晒すか。
難しいけれど、ずっと考えていないといけない気がする。
人と人との関わりも、そう。
一応、教育をする立場。
どこまで守り、どこで"自然"に晒すか。
優しく、褒めているのは楽だ。好かれるし。
でも、それだけだと、たどり着けない場所があると思っている。
本当に相手のことを思ったら、守ってあげてばかりじゃダメなんじゃないか。
それでいて、厳しさばかりだと、萎縮して成長が阻害されることも。
多分正しいと思っていることがひとつ。
基準がはっきりしている必要がある。
いつ、褒められ、いつ、厳しくされるか。
そうはいっても、人はどんどん成長するから、絶対的な基準はない。
うーん、わからないけど、考え甲斐があるなと思っている。
うーん。そうやって、考えて考えて。
一緒に成長するのが教育かもなと思っている。

うーん。