2018年1月27日土曜日

俳句、短歌

東京よ
雪ふる音も
掻き消して

昔、「東京駅で雪」というお題で俳句を作るという企画をみて勝手に作った俳句
気に入ってはいますが、深みはたぶんありません。


日本語は科学的な議論に向かない
という意見がちらほら。

でも、どこかで読んだ「俳句、短歌」という文化と
数学の相性の良さはここで繰り返し主張してもいいかなと思います。

数学では、いろいろな情報を"捨てて"最後に残った大事なところをみる、
という考え方が大事です(少なくともぼくは好きです)。
これが、俳句や短歌の文字制限のもと、情景を記述する、
という日本で昔から行われている遊びととても相性が良いと言われています。

前にも書きましたが、ぼくは"密度"の濃い表現が好きで
その意味でも、数学と、俳句や短歌は似ています。

「ひとこと」にどれだけの意味、気持ちがこもっているか。
文章や、お芝居や、様々な物語もきっと同じ。
ひとことを、
「一手」に変えれば囲碁に。
「一瞬」に変えればスポーツに。

気づかなければ、見逃してしまうほどの「そこ」にどれだけの"密度"をこめられるか。

まだまだ"絶対量"が足らなくて、そういう数学が書けないのが悔しいですが
目標はこんな感じです。