2019年9月28日土曜日

入試

入試が混乱しているらしい。
どんな形であれ、選抜するというのは
運やその他いろいろによる不公平は生ずるものだろう。

その意味で、僕はあまり関心がないのだけれど
(いや、できるだけシンプルで多くの人が納得できる形がいいとは思います)
この状況、僕が受験をした時を思い返すと
ちょっとだけ、いいなと思うのです。

試験というのは形が定まると「対策」ができてしまう。
この、「試験対策」が僕はずっと苦手でした。
もちろん必要だとも思うのだけれど
面白いと思ったことを、面白いと思ったように勉強したいと思っていた。
周りを気にせず、そうすればよかったのだけど
僕はそこまで頭が良いわけではないので、楽しいことだけだと
特に形の定まった「対策」ができる試験では成績が悪かった。
だから、僕も対策をした。そこまで効果があったわけではないが
やらないよりはだいぶマシだった。
でも、対策は、楽しくはなかった。

逆に、いわゆる、実力テスト、といった誰も対策できないテストで
たまに(決していつもではない)奇跡を起こしていた。
テストの内容が楽しい時はちょっと成績がよかった。

今、入試に誰も対策できない。
不満もよくわかるけど、意外とこの状況、良いかもと思うのです。

誰も対策できないのであれば、楽しむしかないから。
面白いと思ったことを、面白いと思うように身につけるしかないから。

この状況を作った大人たちを肯定するつもりはない。
とてもダサいと思っている。
でも、それでヘソを曲げるのはもったいないから。
イヤなものをみて、気分を悪くしていても、何も始まらないから。

何かを学び、身につけること
できなかったことを、できるようにすることは
とても楽しく、わくわくすること。

聞くところによると、外部試験など、
きちんと調べて、行動しないと乗り遅れる可能性もあるらしい。
確かに高校生には大変なことかもしれないけれど。でも。
もし本当にやりたいことができて、
それが周りの大人が知っている道でなければ
調べて、行動しない限り何も始まらない。

もしかしたら、そうやって調べて行くうちに、
何もなければ見つからなかった面白いことも、みつかるかもしれない。

繰り返すが、この状況を作った大人たちはとてもダサい。
けれど、これまでだったら何となく周りに
合わせていれば良かったことが、そうでなくなったことで
見つかるものも、きっとある。
大人に合わせて、一緒にダサくなる必要は全くない。

単純に学ぶことを、知ることを楽しめばいい。
もしかしたら、楽しく学んだことは試験に合わないかもしれないけれど。
誰も、試験がどうなるか分からないなら、仕方ない。
ただ、そうやって楽しんで学んで身につけたことはきっと自分のためになる。
試験とか、大人が作った枠組みに合わない、
そんなことがどうでもよくなったら。
そうなったら、自分の足で歩けるようになるんじゃないかな、などと思うのです。

いつかもう少し大きくなった時、大人に良いように使われて、自分を見失わないために。
きっと大事だと、僕が思っていることがたくさん、学べそうだと思うのです。