2018年6月9日土曜日

マナブワケ

人はなぜ学ぶのか。
なんで勉強しないといけないの?

この問いに対する答えは
沢山あって
研究などをして、生活しているぼくらは
きっと''自分なり''の答えを
持っている必要があると思っている。

これを学ぶと、こんな風に役に立つんだよ。
この理論は、こんなところで実は使われているんだよ。

そんなよく聞く答えに
ぼくは全然こころときめかない。

とりあえず、もし先生という立場で
生徒から、そんな質問をされたら
きっとそれは
「仕事とわたし、どっちが大事なの」
というのと同じで、
そんな質問させてごめんねと
そう思うべきだと思っている。

いま、学んでいることが
新しい世界を開いて
いままで見たことのない景色へつながると
そう感じてもらえるように、したい。

それでも、答えを求めるならば
ぼくは
「自分の足で、あるくため」
と、そういいたい。
こう使えるとか、こう役に立つとかは
誰かが、歩いた足跡の話。

誰も進んだことのない
だけれども、自分が信じる道がみえたとき
一歩を踏み出せるか
踏み出した先でやっていけるか。

誰も進んだことのないその道を進むには
何が必要か、何が役に立つのか
誰もわからない。
だから、いろいろ準備する。
チャンスを掴めるのは、準備ができているやつ。
学校で習うのは
こんなのが役に立つのではないかと
そうやって、色々な人が集めた
先人たちの経験。
使えるかもしれないし、使えないかもしれない。
学ぶことは確かにあるはず。

もうひとつ、そうやって
「学び」をきちんと続けていけば
きっと、一歩を踏み出す勇気になる。

何が起こるか
どんな困難があるか
わからない。

けれど、ずっと学んできた経験があれば
何が起きても、そこから学んで
きっと進んでいけると
そう思えるのではないかと。

七転び八起き
転んで、立ち上がるときにより学べるように
まずは、なんでもないときから学んでみるのが
きっといい。

ぼくの高校の校訓は
九転十起
転んだ後に学ぶ力がついてれば
最後に立ち上がりさえすれば
きっと、転んだ数だけ強くなる。