2018年6月3日日曜日

ココロはケガをする

一昔前、ぼくがダメになったときの話です。
書きたいのは、そのあとどう戻ったか。
正直言うと、いまでもその途中なので、どう戻ろうとしているか。
すこし長くなります。

はじめに、これは自分の器を計りきれず、
考えなしに様々なことを引き受けてしまった自分自身の失敗であり、
周りにいて下さった方々は何も悪くないということを断らせてください。

研究に、プライベートに、すこしだけきついプレッシャーがありました。
思えば、実際に体に症状がでる2−3年前から''種''は育っていました。
うまく集中できない期間がだんだんと長くなり、
いつしか集中ってどんなふうかわからなくなっていました。
すこしずつ育った''芽''にいくつか大きなプレッシャーが重なり、
自分でわかる''反応''がでました。
人が近づいてくる、電車に乗るといったことが本気で怖くなりました。
駅のホームで、あ、あと一歩跳んだらもうぜんぶ考えなくて良くなる、
なるほどな。と思ったりしました。
ただ、本当にひとはこんな風になるんだと、
どこか外から見ている自分もいて、
その意味では壊れきってはいなかったのかもしれません。

ぼくはそれが、うつ、とよばれることを認識していて、
そして無理をしない、自然に触れるなど、治すのに良い方法を知っていて、
さらに、かなり自由の利く状況だったこともあり
そこまで悪くならずにすみました。

紫陽花の季節で、家から近かった鎌倉や江ノ島を散策して、
優しい方に巡り合ったりもして、数ヶ月で''普通''の状態までは戻りました。

しかし、そのあともう一度、全力で前に進もう
そう思ったぼくに声が聞こえるのです。


おまえは一度 ダメになった人間 もうがんばっては いけない


実際、全力で走ろうとすると、''つまずき''ました。
聞こえる声は説得力をまし、後戻りしてしまうことを繰り返しました。
巷にあふれる声も、そんなとき、頑張るなというのです。

幸か不幸か、''普通''でもそれなりに前に進みました。
でも、ぼくはここ(数学と工学3)を知っていて
なにより、この感覚(考えるということを考える)を
ずっと感じられなかった。

がんばりたい、でも、がんばれない。

過ぎていく日々、
''普通''には進む自分。

これでいいのかもな。
ぼくは、こんなもんなのかもな。

走ろうとしてはダメになる自分。

いまの自分を受け入れよう、
受け入れさせようとも思いました。

1年ともう少し、そんな風に過ごして、
ようやく、そんな自分を受け入れようと思い始めたそんなとき、
心のずっと奥で、ずっと押さえつけられながらも
燻っていた火種が叫びました。

イヤだ まだ走れる 走りたい


そんなことを言われても、走るとまたダメになるんよ。


そんな中、大きな失敗もしました。
論文にミスが見つかり、ひどく自分を責めました。
救いだったのは、これ以上ないと思うほどの優しいレフリーレポート。

時間がかかってもいい。直して、もう一度もってこい。みてやる。


数週間ほど、走らされるように、走れた。
けど、ミスは直らなかった。

ぼくは、当然のようにまた、走れなくなりました。



***


あれはたしか井の頭線、明大前付近、いつかの春。
ふと、ああ、これはケガなんだと、
なんの前触れもなく思った。

カラダと同じようにココロもケガをする

いろいろなことがすっと理解できた気がした。


いま、自分がうまく走れないのは、
足首をネンザしたまま、走れないのと同じ

きっと、一番ダメだったときぼくは''骨折''していた。
それだとたしかに、一歩も動けない。

ネンザは厄介。
頑張れば走れてしまうから
そして走るともれなく、悪化するから。

足首ならまだ良い、悪くなったらちゃんと痛い
どうして動けないかよくわかる。

でもココロは、なにも言わず、
なんなら乗り越えてみろよと言わんばかりの反応をだして、
そうでいて、無理するとちゃんと動かなくなる。


一筋縄にはいかなそうだけれど、ケガだったら。
ぼくは元陸上部。ヒザをケガして手術して、それでも続けていた。
ケガの後、どうすればいいのかを、知っている。

きちんと治して、治った後も
走る前、走った後、きちんとケアをする。

いろいろな意味があってはじめたこのブログですが、
ひとつは、''アイシング''。
いろいろな刺激で動いたココロを、
冷やして、自分が''置いておきたいところ''に
きちんと置きなおすために、書いています。

なるほどな、と思った。
そして、「前」がだんだん、みえてきた。

うつになるような、ダメになってしまうような人間は
弱い奴だとどこかで思っていた。
弱い自分は頑張ってはいけないと。

ケガだと思うと、そんなことはなかった。

アスリートはみな、どこかしら、
もしくはいたるところ、ケガをしている。
手術が必要になり、長期間動けなくなることもある。

彼らはカラダが弱いのか?

そんなことは、ない。

普通なら、逃げ出してしまうほどの負荷から逃げなかったから、
普通なら、たどり着けないような境地を目指して、努力をしてきたから、

それでなお、走り続けるから、
ケガもするんだ。

誰よりも、強いから、
ケガもするんだ。

一番厳しい自分は、認めてくれなかったけれど、
たしかに結構、がんばってきた。

そういえば、いろいろな人に支えられてもいた。
もともと生意気なぼく
不安定になってより生意気になっていた。
友人も、ひとまわりも、ふたまわりも上の人たちも
腹も立っただろうに、変わらず接してくれていた。

勉強を、研究を続けたかったのに、辞めていった友達もたくさんいた。
辞めて行く友達が、去り際に言った

まさいをみて、はじめて勉強することがカッコいいことだと思えた
いつかまた、飲もう

たぶん一生忘れない。


ケガなら治る。
折れた骨は、くっつく。
より強くなる。


走りたい 走らなきゃ


閉じ込められていた、燻った火種を外に出してみた。
酸素に触れると、ちゃんと燃えた。

この火はそんなに強くないことを知った。
風や雨が来たら、ちゃんと守ってやらないといけないと知った。

でも、守ってやればまだまだちゃんと、燃えるらしい。

よかった。
ぼくはまだ、走れる。


そう思って、もう数年。
少しずつ走って、論文のミスは直せた。
一番のお気に入りができた。

まだまだ探り探り。
だけど、ぼくはいま、元気で楽しい。
そして、ちょいちょい走ってる。

よかった。

本当はケガなんてしないで、日々過ごせれば一番だけど、
もしかしたら誰かの役に立つかもしれないので、
置いておきます。

きっと、大丈夫。